見出し画像

憲法9条の擁護 あるいはウクライナは(ある意味で)憲法9条をもっていながら攻め込まれ、ロシアは(ある意味で)憲法9条をもっていながら攻め入ったが、けれども・・・・・・

(全文読めます。)

 2022年2月24日、かねてから国境周辺で大々的な演習を繰り返していたロシア軍がウクライナに攻め入った。攻め込まれたウクライナは死体と瓦礫の山を築きながらも意外にも持ちこたえ、一ヶ月が経とうとしている。
 事態の先行きは不透明であり、ウクライナ軍も善戦しているとはいえ民間人は大量に殺され、今後核兵器や化学兵器が用いられるかもしれないと噂されている。
 しかし、本稿はそうしたウクライナ/ロシアの情勢についてのものではなく、その情勢が日本に飛び火して起きている議論についてのものである。それは具体的には憲法9条に関するものであった。

 要するに、「憲法9条」などという「盾」は力ある国の侵略の前では無力ではないか、というものである。それに対し、憲法9条の価値を擁護する側は「誰も9条を盾とは言っていない、自国の憲法が他国に対して効力を発揮しないのは当然である」とか「むしろロシアに9条があったならばプーチンは軍を動かせなかったはずだ、9条は「盾」でなく「足枷」だ」といった風に抗弁した。
 だが、小国が蹂躙されるのを目の当たりにして「9条は「足枷」である」というセールストークに魅力を感じる人は少ないだろう。しかも、これまで9条を擁護する人々は9条をまさしく「平和を守る盾」として売り込んできたのである。「世界の宝」9条を擁する平和国家日本という信用があればこそ攻め込まれることはない、というのがその弁だった。それを翻してこれでは説得力もなにもないだろう。

 しかし、本稿は憲法9条を批判するものでなくむしろ擁護するものである。だがその前提として「世界最高のメイドインジャパン。史上最大の抑止力。日本国憲法9条!」式の理解は改める必要がある。
 憲法9条は「世界最高のメイドインジャパン。」ではない。このことはアメリカによる「押し付け憲法」という意味でなら広く知られていることである。だがここで言っておきたいのは憲法9条は何か世界に卓絶した特異な条文ではないということである。それは「メイドインジャパン」でなければ、マッカーサーお手製の特注「足枷」のようなものでもない。憲法9条は日本の敗戦以前からすでに存在していたのである。
 1947年に制定された日本国憲法の憲法9条は、1928年のパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)に由来し、1945年の6月26日に署名された国際連合憲章2条4項を元にしている。それらはそれぞれ次のような文言である。

第1条  締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することを、その各々の人民の名において厳粛に宣言する。
第2条  締約国は、相互間に発生する紛争又は衝突の処理又は解決を、その性質または原因の如何を問わず、平和的手段以外で求めないことを約束する。
(パリ不戦条約 第1条および第2条)

すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
(国際連合憲章2条4項)

 憲法9条はこれら条約、条文の引き写しであり、本来それ以上の独自なものをもたない。これらは侵略戦争の放棄、否定をせまるものであって自衛戦争を否定するものではなく、それゆえ憲法9条もまた同様のはずなのである。

 憲法9条についてのこの見解は篠田英朗氏の著述に依拠している(篠田英朗氏は、カンボジアでのPKO要員からキャリアをはじめた国際政治学者、平和学者である。最近ではウクライナ.へ執拗に降伏を促す橋下徹氏に「現実の戦地・政治をリアルに感じ取ることのできない学者」と断じられたことで目にした人もいるかもしれない。)。その著『ほんとうの憲法 ――戦後日本憲法学批判』では次のように述べられている。

 国連憲章によって確立された20世紀後半の国際法から見れば、憲法9条の戦争放棄の条項に、何ら新しい要素はない。日本は国際連盟の常任理事国であり、不戦条約の原加盟国だった。それにもかかわらず、日本は、満州事変以降、侵略行為を繰り返して国際の平和を脅かした。そこで連合諸国によって、日本に国際法を遵守させるために導入されたのが、憲法9条だった。(篠田, p. 42)

 日本国憲法制定当時、日本は独立国家ではなく、国連加盟国でもなかった。したがって憲法の条項を通じて、国連憲章の規定を守る法的枠組みを確立しておこうと憲法起草者が考えたとすれば、それは当然かつ合理的なことであったはずだ。国連憲章より後に成立したものでしかない日本国憲法が、国連憲章を追認する内容を持っていることを不思議に思うのは、単に日本人の国際的な歴史感覚の欠如による。(同書, p. 55)

 篠田氏が強調するのはこのようにつくられた日本国憲法があくまで国際協調主義を基調とするという点である。
 前文にて「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」と謳う日本国憲法は、9条においても国際平和に目を向ける。

第9条 日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平󠄁和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛󠄁爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前󠄁項の目的を達󠄁するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認󠄁めない。
(日本国憲法9条)

 ここで目的となっているのはあくまで国際平和、国際協調なのであり戦力の不保持はその手段にすぎない。ここで言われているのは、完全に武装を放棄すれば日本は世界に稀な平和国家という評判を得て何もしなくても他の国がまるで稀少な動植物を保護するかのように勝手に守ってくれるといったことではない。憲法9条は一国平和主義ではなくあくまで国際協調主義を基盤にしている。憲法9条は本来個別的自衛権を否定しないばかりか集団的自衛権をも否定しないのである。

 さてこのように考えたとき、ウクライナにおける侵略にかこつけてなされた憲法9条についての議論に新しい光を当てることができる。
 「憲法9条という「盾」がウクライナにあったらウクライナは攻め込まれなかったというのか!?」「憲法9条という「足枷」がロシアにあったらロシアはウクライナに攻め込まなかった!!」という議論の応酬があった。だがむしろこう言うべきなのである。
 「国連の一員であるウクライナは(ある意味で)憲法9条をもっていたが攻め込まれ、同じく国連の一員であるロシアは(ある意味で)憲法9条をもっていたが攻め入った」、と。

 つまり、憲法9条は「盾」にならないばかりか究極的には「足枷」にすらならないのである。だがそれは憲法9条の問題、日本固有の問題というよりは、現に国連憲章が「盾」にも「足枷」にもならなかったという問題から考えるべきである。

 この局面では現在の国際連合のあり方を批判することも必要だろう。だが同時に国連憲章2条4項が「楯」にも「足枷」にもならなかったとしても、なお国連憲章2条4項を擁護するべきだと言わざるを得ない。そうでなければ、この国際法を破ったロシアを批判することもできない。新しい国際的な「平和のための同盟」ないし「反戦連合」がどのようなものになるにせよ、それは国連憲章2条4項の精神、侵略戦争の否定は受け継いだものになるはずである(少なくともそれがつくられるところまで世界が保ったなら)。
 そしてそれと同じ意味において、憲法9条もまた擁護されるべきである。少なくとも、ロシアの侵略を批判しながら同時に国連憲章2条4項の引き写しである憲法9条を破棄あるいは改めようとするのは、国外から見れば矛盾に満ちた行為と言えよう。

 だがここで憲法9条の擁護と言っても、それは「9条教」と揶揄されるような、非武装無防備を旨として他国が勝手に守ってくれるのを期待し、侵略されたなら降伏するか民衆蜂起に賭けるといったたぐいのいわゆる「9条」を擁護するのではない。
 憲法9条周りの論争で私が残念に思うのは、まず憲法9条を擁護する側がただただ平和・非武装と唱えて軍事や地政学をないがしろにすることであり、次に憲法9条を批判する側がしばしば粗雑な「力の論理」に依拠したリアリズムでもって憲法9条をその理念ごと冷笑し否定してしまうことである。しかし本来は平和を目指す者は血生臭い現実と向き合いその中から平和を構築せねばならず、そして軍事や力を持とうとする者は平和への責任に向き合わねばならなくなるはずである。
 力を持ってしまった国は、「力こそ全て」式の「力の論理」よりもなお複雑な国際社会の中で平和への責任が求められる。その「国際社会の論理」は、「平和主義」を単に建前としてしか理解できない人間の目にとっては、あまりに複雑怪奇であるだろうし、力や軍事から目を背けようとする者にとっては理解不能であるだろう。

***

 以上は一般的な側面から見たときの憲法9条の擁護である。憲法9条は国連憲章2条4項の引き写しであり、国連憲章2条4項を擁護すべきであるように憲法9条を擁護すべきである。
 しかし憲法9条を考えるとき、それだけで全て済ませることができるだろうか。たしかに憲法9条は国連憲章2条4項の引き写しである。だがその条文は戦後日本の歴史の中で日本固有の文脈の中で読まれてきたということもたしかである。憲法9条は日本の政治空間の中で軍事的な自衛権全般、あるいはとくに集団的自衛権を否定したものであると解釈されてきた。そこには軍事は全てアメリカの安全保障に任せて日本は経済成長に専心した方が都合がよいという戦略(「吉田ドクトリン」)もあり、ついには1972年の「個別的自衛権は合憲、集団的自衛権は違憲」とする内閣法制局見解に至る。
 このように日本人は意識的にないし無意識的に憲法9条を今日我々が問題にする「憲法9条」に読みかえてきた。「引き写し」と簡単に言うが、ある言葉、条文を他の言語体系、政治空間に組み入れるという翻訳行為は大なり小なり何らかの「読みかえ」を招来する(戦後の日本は、篠田氏の指摘するように「八月革命説」などによってこの翻訳行為そのものを隠蔽、抹消しようとしてきた)。そしてこのことが篠田氏の言う「裏の国体」「表の国体」という事態につながるのであろう。

 戦前の日本は西洋各国を研究し自国の憲法、体制を作り上げた。日本は近代的な国民国家として自らを作り上げようと努力したが、「国民国家」というものを「一君万民」「臣民はみな天皇の赤子である」と翻訳して移入せざるを得なかった。そこに天皇を頂点に戴く「表の国体」ができあがった。だが同時にその裏では近代国家の仕組みの一つとして天皇を見、国家を運営する「裏の国体」があった。
 そして同様に、戦後日本の「表の国体」は「憲法9条」に代表される「絶対平和主義」だが、その「表の国体」を支えるのは日米安全保障条約によって国家が維持されるという「裏の国体」である。戦後日本は「国際協調主義」を「絶対平和主義」に翻訳することで理解し、その実質の安全保障体制を他国に任せることで存続してきたのである。

 そしてこの「表の国体」「裏の国体」のバランスは永続するとはかぎらない。戦前日本は「表の国体」が強くなりすぎたことで「裏の国体」を飲み込み(天皇機関説事件)、ついには第二次世界大戦、一億総玉砕で終わった。
 戦後の「表の国体」「裏の国体」はどのようになるだろうか。ここでも「表の国体」が強くなりすぎて「裏の国体」を飲み込み、ついには非武装絶対平和主義、一億総降伏で終わるのだろうか(戦後すぐの非武装論者は簡単に侵略された場合の民衆蜂起に賭けることができたが、現代の非武装論者は民衆蜂起に向き合うことさえできないだろう。早く降伏すれば助かると言うか、逃げればよいと言うのではないか。しかし降伏してそれで情勢がマシになるとは限らず、逃げると言っても日本国民全員が逃げることは現実的に考えて不可能である。実際には(経済的に・政治的に)逃げることのできるものだけが逃げて、あとはみな取り残されるのである)。
 あるいはそもそも「裏の国体」を支えるアメリカの弱体化により「裏の国体」自体が成り立たなくなるのだろうか。

 憲法9条に関する議論は、表面的な擁護や表面的な批判の応酬にとどまるのでなく、このように変動しつつある歴史的状況の中で日本の未来をどのように考えるかというところからなされねばならないだろう。

(この先文字はありません。)

ここから先は

0字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?