すごい一体感

第二章 「空気」

「日本の」?

 前章では「残念」の意味に変化がないということを確認したが、私が言いたいことは、求めていることはそんなことではない。私は今という時代、ここという場所について語る言葉を探して、「残念」という言葉について検討したのだった。
 言い足すならば、「残念」という言葉が、その意味において変化がないということは、決して単に「今も昔も一緒である」ということを帰結しない。「残念な美人」や「残念なイケメン」の与える「ときめき」の示すように、そこには何かイメージの変化があるはずなのである。
 変化について知るためには、変化していない部分についても確認しておかなければならない。そのためにも、残念の意味に変化がないことは押さえておかなくてはならなかった。

さて、前章でわれわれが最終的に見出したのは、日本のインターネットの残念さというものが、実はコミュニケーションの残念さであった、ということである。ところで、インターネットについてはともかく、日本のコミュニケーションの残念さについてなら、われわれは様々なことの語られるのを聞いてきたはずである。曰く同調圧力に屈しやすい、曰く論理的でない云々。そのような議論の中でも、「空気」という言葉を用いた議論は、その言葉自体、日常的なコミュニケーションの中でしばしば使われるものであっただけに、日本のコミュニケーションの残念さを有効に分析することができた、と見ることができるだろう。
 それゆえ、私は山本七平の『「空気」の研究』をまず取り上げ、そこからわれわれの時代について考えることにしたい。
 しかし、この「日本の」という三文字について不満がある人がいるのではなかろうか。梅田望夫が「日本のウェブは『残念』」と発言したときも同様の不満をもつ者がいた。つまり、海外とくらべて日本が特に残念であると本当に言いうるのか、という問題である。梅田望夫は、はっきりと英語圏のネットが日本とくらべてすぐれていることに疑いをもっていなかったが、しかしその判断は正当なのだろうか。もしかすると、一方の最悪な部分と他方の最良の部分を比較するような愚を犯しているのではあるまいか。「隣の芝は青い」式の錯覚ではあるまいか。
 ことによると、何か定量的な調査や何やらで、実証的に日本と海外の比較が可能になるのかもしれない。だが、私としては、労力のわりに得るものが少ないのではないか、と思う。もしも、海外も日本と同じように病んでいるということが分かったとして、それが何だというのだろう。あるいは逆に日本だけとくに劣悪なのだとして、それがどうしたというのだろうか。どちらにしても、われわれの面している状況自体には変わりないではないか。
 私は、これから本書の中でさまざまな「日本論」「日本人論」のたぐいを持ち出すことになるだろう。だが、日本固有の特性や、日本人特有の性格というものが果たして言いうるのか、厳密な比較のもとに検証しうるものなのか、私は懐疑的である。そして、そのような検証は、本書の関心の示すところではない。日本の劣悪性をしめして、まるで持病や運命を嘆く人のように自己憐憫に酔うことは、私に必要なことではない。また、日本の優越性をしめして、掌中の珠を愛でるようにその美しさをたたえることも、私の任務ではない。
 私が日本論に興味を示すのは、それがただ、ここについて、われわれの生きている場所について、その理解のための有益な示唆をえられるに違いないと思うからというそれだけの理由による。それが世界の他の地域とどう異なるか、正確に評価する作業は、私の任ではない。
 本当に日本というものの特性について何か厳密なことを言いうるものだろうか。だが、それはそれとして、私はそうした試みを評価する。そして、そうした試みは避けられないものだったのだろう、とも思う。日本という、この、さまざまな概念、言葉、理論を輸入してきた地域に生きる者にとって、自らを理解するための概念を他人が他人自らを理解するために作り上げた概念から汲み取るためには、一般理論に対するズレとして特殊として自らを位置づけるほかなかったと考えられるからだ。
 また、海外の、どこであろうとかまわないが、そのどこかを日本と対比してなにか理想的な国として描く論がはびこることも理解できることだ。というのは、日本のあり方を把握した上で、そのあり方が唯一ありうるあり方でないということを示すためには、別のあり方をした理想的な社会、ユートピアを示すということは効果的だからだ。たとえば、西洋におけるユートピア文学、およびイエズス会士や啓蒙思想家によって紹介された理想化された中国像は、西洋人に今ある社会が唯一ありうる社会ではないということを教え、彼らの社会変革に力を与えたと言われている。
 問題は現状を把握すること、そして現状を乗り越える道を探ることである。この問題意識において、私はこれらの議論に共感するのである。

山本七平のみた「空気」

 山本七平はある雑誌記者との会話から『「空気」の研究』を書き始める。道徳教育について意見を求められた山本は自分の意見を答えるが、記者は「うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃ」ない云々という話になる。そこで、山本七平は次のように書く。

 以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの”絶対の権威”の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では・・・・・・」「議場のあのときの空気からいって・・・・・・」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても・・・・・・」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々々、至る所で人びとは、何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている。*1

 続いて彼は、戦艦大和の出撃さえ、何らかの論理やデータの結果ではなく「全般の空気よりして」そうせざるを得なくなったのだということを関係者の証言などから確認する。この「非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ」*2「空気」なるものは果たして何であろうか。それが、彼の研究の出発点である。
 では、そもそも「空気」はどのように発生するのだろうか。そこで彼は北條誠の書いた「自動車ははたして有罪か・米国よりも厳しい日本版マスキー法の真意は」という論文を参照する。この内容は、破産に瀕した自治体が穴埋め財源のために自動車関連税を数倍に引き上げようとしている、そして、そのために自動車を公害の根源である悪者に仕立て上げて、増税やむなしの「空気」をつくり上げようとしている、というものだ。山本七平は、この一連の動きを「人工空気醸成法」として読み取ろうとする。
 ここでは何が起きているのか。当時の、自動車と公害に関する論争で生じていた現象は何か。ここでは車が、車そのものの善悪が問題になっている。山本七平は次のように言う。

「車が悪い」「車は元凶」と言っても、車自体は一つの「物体」にすぎない。物体それ自身は人格ではなく、倫理的判断の対象ではなく、善でも悪でもありえず、もちろん裁判の対象にもならず、「車が悪い」ことも「車が善い」こともありえない。そしてこれがその判断の対象になりうるのは、「物神」として人格化された場合だけである。*3

 彼はさらにこれに関連して別の例をあげる。
 古代の墓地を発掘している調査隊が必要なサンプル以外の人骨を、連日少し離れたところに投棄していた。日本人はそのうち病人同然になってしまったが、共同して作業に当たっていたユダヤ人はなんともなかった。
 ここでも見いだされるのも、物質が心理的な影響を及ぼすという現象である。
 さて、では結局、「空気」とは何なのか。山本七平はそれを「臨在感的把握」という言葉で表現する。そこでは車や人骨は、けっして単なる物質ではなく、臨在感を感じさせる何かであり、もはや他との連環のなかで、つまり論理やデータとの関係のなかで理解することが不可能になる。それは「善い」か「悪い」かであり、相対的に是々非々的に分析し判断することはかなわない。
 次に、彼は西南戦争時の官軍のプロパガンダを取り上げる。「官兵を捕へて火焙りの極刑・酸鼻見るに堪えず」。この一八七七年の新聞記事に対し、彼はまずその不合理な点をあげ、これがまったく信用ならない創作であることを確認する。

従ってこれは『私の中の日本軍』で分析した「百人斬り競争」や「殺人ゲーム」の嚆矢ともいうべき記事である。非常に残念なことに、日本の新聞には一世紀に近い、この種の記事を創作する伝統があると見なければならない。〔中略〕
 言うまでもないが、このような形で西郷軍を臨在感的に把握し、その把握を絶対化すれば、西郷軍は〔中略〕神格化された「悪」そのもの、いわば「悪の権化」になってしまう。従って、当初は西郷側に同情的だったものも、また政府と西郷の間を調停してすみやかに停戦して無駄な流血をやめよと主張したものも、その上で西郷と大久保を法廷に呼び出して理非曲直を明らかにせよと上申していた者も、すべて「もう、そういうことの言える空気ではない」状態になってしまう。というより、おそらく、そういう空気を醸成すべく政府から示唆された者の計画的キャンペーンであったろう。
 一方これの対極は、いうまでもなく神格化された「善」そのもの、「仁愛」の極である天皇と官軍である。〔中略〕
 こういう形で、官軍を臨在感的に把握しそれを絶対化する。すると人びとは、逆にこの神格化される対象に支配されてしまい、ここに両端の両極よりする二方向の「空気」の支配ができあがるのである。こうなると、人びとはもう動きがとれない。*4

 さらに彼はある命題、理念が絶対化されていかなる相対化も許されなくなってしまう日本社会の有様をみる。

 われわれの社会は、常に、絶対的命題をもつ社会である。「忠君愛国」から「正直ものがバカを見ない世界であれ」に至るまで、常に何らかの命題を絶対化し、その命題を臨在感的に把握し、その”空気”で支配されてきた。*5

 山本七平は、こうした社会と対照的なものとしてユダヤという、神という唯一絶対の存在があるがゆえに、神以外のすべてのものを絶対化することを許さず、相対化して把握する姿勢を培ってきた文化を取り上げる。そこでは、「正義は必ず勝つ」というような命題も、では敗者はみな不義の者で権力者はみな正義なのか、という具合に相対化される。それが『ヨブ記』の主題だった。
 さて、それはともかく日本の話、もとい「空気」の話に戻ろう。

一つの命題、たとえば「公害」という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、公害問題が解決できなくなる。「差別」という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、差別という問題を解決できなくなる。これが最もはっきり出ているのが太平洋戦争で、「敵」という言葉が絶対化されると、その「敵」に支配されて、終始相手にふりまわされているだけで、相手と自分とを自らのうちに対立概念として把握して、相手と自分の双方から自由な位置に立って解決を図るということができなくなって、結局は、一億玉砕という発想になる。そしてそれは、公害をなくすために工場を絶滅し、日本を自滅さすという発想と基本的には同じ型の発想なのである。そして空気の支配がつづく限り、この発想は、手を替え品を替えて、次々に出てくるであろう。*6

 このあと山本七平は、こうした「空気」を雲散霧消させてしまうことの出来る力をもった「水を差す」の研究にうつる。だがこれに関しては後述させていただこう。

現代版「空気」の研究の試み

 こうした「空気」の分析は今なお有効であるだろうか。少なくとも、彼の見出したコミュニケーションの歪みは現代でも確認することができる。

 このブログでは次のように書かれている。

電力需給という目の前の不安と、原発事故という長期的な不安。私たちは二つの不安にがんじがらめにされている。原発容認派と脱原発派との違いは、この二つの不安のうちどちらを優先しているかの違いだ。本質的には「不安の解消」という共通の目的を持っているのに、歩み寄ることができないのはなぜだろう。圧倒的多数の人々は、どちらに傾倒することもなく、ただ不安を抱き続けている。新聞、雑誌、インターネット……。メディアでは双方の陣営が、自分たちの正しさを証明しようと躍起になっている。お互いに自分の派閥がいかに理性的であるかを誇示し、相手の陣営の非論理性を罵倒している。日本の将来について議論するはずが、ののしりあいになってしまうのはなぜだろう。憎しみにも近い感情が渦巻いてしまうのはなぜだろう。
誤解を恐れずに言おう。
それは「原発」が〈神〉だからだ。
〔中略〕
「原発」を〈神・妖怪・もののけ〉のようなものだと捉えた場合、それを「討伐しよう」と考える人々と、それを「祀り上げよう」と考える人々とに二分されてしまう。前者はデモを起こしてシュプレヒコールを上げ、後者はデモを許しがたい反社会的行為として糾弾する。
以上が「原発(原子力発電所ではない)」についての日本人の信仰・精神性にもとづく考察だ。

 このブロガーは、当時の脱原発派と原発容認派との対話とは言い難い衝突をこのように分析する。この構図は先ほどの、ある対象を臨在感的に把握し、絶対的な「善」ないし「悪」とみなして冷静な議論を不可能にしてしまう、という「空気」に関する山本七平の研究とほぼ同じものであるように見える。
 こうしたコミュニケーションの構造の一部を捉えるにあたって、彼の研究は今なお有効であろう。
 だが、果たして「空気」の研究としては今なお有効なのだろうか。
 上記の記事、そしてその背後にある現実の衝突について考えてみるとき、そこでは「空気」という語彙はさしたる力を持っていなかった。これは一体何故だろうか。
 原因を考えてみよう。たとえば、「空気」という表現は事後的に「当時の空気では」というかたちで現れてくるものなのだと考えたなら、今その語彙が登場していなかったとしてもおかしなことではない。だが、『「空気」の研究』では、「うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」と述べる記者の話も出てきた。これは当時における「今現在」の話である。
 ここで考えられるのは、当時と現代の世論のあり方の違いである。当時は、世論は少なくとも表面上分裂しておらず、世間全般にただよう「空気」というものがあり得た時代だった。そこでは、その「空気」から逸脱した山本七平のような人間に対し、「空気」なんですから分かってくださいと理解を求めるのは、決して危険なことではなく、「ああそれなら」と分かってもらうことさえ期待できた。だが、現代は、この脱原発派/原発容認派に代表されるような分断の時代である。そこで不用意に自分の立場を「空気」で説明するようなやり方は自分と自分の陣営に対する攻撃材料を与えるだけだろう。ここで、自分の立場を「空気」という言葉で分かってもらおうとすることはどうしようもなく非現実的である。
 では、「空気」という言葉は使われなくなったのだろうか。この言葉はいまや死語の一つになろうとしているのだろうか。
 もちろん、そんなことはない。二〇〇七年の流行語大賞にノミネートされた「KY」という言葉は「空気読めない」の略語だった。その翌年の二〇〇八年には社会学者土井隆義によって『友だち地獄 ――「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書)という本が書かれたが、その内容は、他人をなるべく傷つけず、「優しい関係」を維持するために場の雰囲気を伺い空気を読み慎重に出方を決める若者たちの姿についてのものだった。

 このような人間関係の息苦しさは、ある中学生が創作した「教室は たとえて言えば 地雷原」という川柳にも巧みに表現されている。しかし彼らは、その人間関係から撤退する選択肢をもちあわせていない。なぜなら、たとえ息苦しいものだとしても、その人間関係だけが、彼らの自己肯定感を支える唯一の基盤となっているからである。*7

 「空気」は今なお盛んに用いられる表現であり、そしてこの「空気」は今もまたコミュニケーションの歪みを孕んだ言葉である。しかし、かつて『「空気」の研究』で見出された構図は、今や「空気」という表現とは別のところで生起しており、逆に今「空気」という表現のもとにある歪みは往時のものと異なるように見える。これは一体どういうことだろうか。

「空気を読む」の研究

 ここで一つ思いださねばならない。「空気」は古くからある表現だが、「空気を読む」はごく新しい表現だ、ということを。たとえば、一九七七年に発表された山本七平の『「空気」の研究』には「空気を読む」という表現は一度も出てこない。そもそもそんな表現はまだ生まれていないのだ。
 「空気を読む」という表現が果たしていつ生まれたのか、はっきりとしたことは言えないが、少なくとも出版された書物のタイトルの中でこの表現を含んだ最も古いものは二〇〇四年の『「場の空気」を読む技術』だと思われる(CiNii Booksより「空気を読」で検索)。また国会図書館で検索してみると、「イグザミナ」という雑誌の二〇〇二年七月号に「川村龍一のテクテク(10) 空気を読まない素直な子」という文章が掲載されたようである。いずれにしても二十一世紀に入って徐々に広がってきた表現のようだ。
 さて、では「空気」と「空気を読む」とでは果たして何か違いがあるのだろうか。
 「空気」はただよいたちこめ、つかみとることのできない存在であり、そういうものとして人を拘束する。その「空気」の中にいる人間は、「空気」を共有していない後世の人間からは理解しがたい行動をとることもあるが、しかし「当時の空気」からしてみれば至極自然というほかない。「空気」という言葉がその表現によって示しているのは大体このような状況である。
 では「空気を読む」という言葉はどのような表現なのだろうか。土井隆義が示唆するようにこの言葉は、むしろ息苦しさ、窒息、そして空気を「読まなくてはならない」という緊張感と関係している。
 それでは、「空気」を用いた表現について、「空気」と「空気を読む」とでその機能にどのような違いがあるだろうか。
 山本七平のみた「空気」は、その実際の表現において、「当時の会議の空気では・・・・・・」「議場のあのときの空気からいって・・・・・・」というように、自分の責任をうやむやにし、自分の当時の立場への理解を求めるような、免罪的な機能をもつものであった。私は、「空気」のせいでそういう選択をせざろうえなかったのだ。だから仕方ないのだ。そういった自己弁護、免罪符として「空気」という表現が役立っていたのである。
 一方、「空気を読む」ではどうだろうか。そこでは暗黙の了解から逸脱してしまった人間を処罰するために「空気を読め」や「あいつは空気が読めない奴だ」といった表現が用いられる。ここでは、「空気を読む」という表現は断罪的な機能をもっており、「空気を読む/読めない」という能力の問題としてその当事者の責任を問いただす役を担っているのである。つまり、まったく正反対の方向の機能をもつ表現なのだ。
 とはいえ、「空気」からの逸脱が処罰される、ということは山本七平の時代にも感じられていたことだ。彼は、まるで「抗空気罪」があるかのようだ、というふうに表現する。そして、そのような処罰の予感があったからこそ、「空気」に責任を帰すことが可能だったわけである。もしも「空気」に逆らったなら・・・・・・あなたにも分かるでしょう? というわけだ。
 だが、こうした「空気」からの逸脱もまた、この二つの表現、二つの「空気」、そして二つの時代では異なったかたちをとって現れているように見える。
 山本七平は、「空気に対抗して論争した論説を、その空気が消え去った後で読むと、その人びとが、なぜこんなに一心不乱に反論していたかが、逆にわからなくなってくる」と述べた上で次のように書く。

 また私は二十年ぐらい前に、千谷利三教授の実験用原子炉導入の必要を説いた論文を校正したことがある。先日その控が出てきたので、何気なく読んでいて驚いたことは、「実験用原子炉は原爆とは関係ない」ことを、同教授は、まことに一心不乱、何やら痛ましい気もするほどの全力投球で、実に必死になって強調している。今ではその必死さが異常に見えるが、これは、「原子」と名がついたものは何でも拒否する強烈な「空気」があったことを、逆に証明しているであろう。*8

 ここでは「空気」からの逸脱者はきわめて意識的な反抗者として現れている。だが、「空気を読む」の世界において、逸脱者とは何だろうか。「KY」、「空気を読めない」という無能力者。ここで彼は自分の逸脱に意識的ではなく、ただただわけも分からないうちに「空気を読め」と罵倒される。
 そもそも、「空気」と「息苦しさ」が同居する「空気を読む」という表現は何か異様だ。この二つは本来まったく逆のイメージではないのだろうか。
 内田樹は『日本辺境論』の中で新渡戸稲造の『武士道』の一節にすでに「空気」が描かれていることを読み取る。
新渡戸稲造はある時ベルギーの学者に、あなたの国に宗教教育がないのなら、どうやって道徳教育を授けるのか、と聞かれた。このことを思い出して、彼はこう書く。

当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである。*9

 この一文を内田樹は次のように読む。

 広く人口に膾炙したフレーズですが、これは日本人の倫理性についてずいぶん多くのことを語っています。新渡戸稲造にして、おのれの正邪善悪の観念を形成しているものを「体系」というかたちで言うことができなかった。それは何となく決まっているものであり、「これは武士道にかなっている」「これはかなっていない」という判断には汎通性があるけれど、改めて「それは何を規準に定まるのか」と問われると、うまく答えることができない。「武士道」というのは「鼻腔に吹き込」まれるもの、まさに「空気」以外のなにものでもないからです。
 武士道を成文化した文書は存在しません。*10

 武士道は、はじめ武士階級特有の道徳規範であったが長ずるに「全人民に対する道徳的標準を供給し」「大和魂」を形成する。新渡戸稲造は次のように書く。

「大和魂」は遂に島帝国の民族精神を表現するに至った。もし宗教なるものは、マシュー・アーノルドの定義したるごとく「情緒によって感動されたる道徳」に過ぎずとせば、武士道に勝りて宗教の列に加わるべき資格ある倫理体系は稀である。本居宣長が

   敷島の大和心を人問はば
     朝日に匂ふ山桜花

と詠じた時、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。*11

 内田樹は言い添える。

 新渡戸は武士道の神髄を「山桜花」の審美的たたずまいに託して筆を擱いてしまいます。それは結局「匂い」なのです。場を領する「空気」なのです。*12

 以上が『武士道』から読み取られた「空気」である。だが、実際にその文章に描かれているものは「鼻腔」や「匂い」、つまり呼吸というイメージだけだ。実際に「空気」とは新渡戸は一言も言っていない。しかし、私は内田樹の読みに賛成する。「空気」という表現は本来、呼吸のイメージと結びついたものであったはずだと考えるからだ。
 「空気」という比喩は本来、人々がそのなかに暮らし、動き、呼吸する意識することのない共通の前提であり、そういうものとして人々を支配し、人々を生かしめている何かに与えられた表現だったのではないか。
 そこから考えてみると、山本七平の「空気」の研究は、その病態のみに注意が向けられたものでしかない。「空気」という表現について、それこそ絶対的な善悪において把握することを避けつつ研究するのであれば、政治家や軍人の言い訳に出てくる「空気」だけではなく、普通の生活のなかで口にのぼるような、「明るい空気」「暗い空気」「重い空気」「軽い空気」といったものについても考えを及ばせるべきであった。しかし、山本七平は「空気」をよどみの果てに固体化さえしてしまったような病態において捉えたのだった(しかし、この行く先はその研究の出発点において定まっていたのだ、とみることもできる)。
 「空気」という表現はもともと何を表していたか。そのことについて考えるとき、われわれは、「空気」というものを、私と他人の間にただよう、あの奇妙な流動体として捉えなければならなくなる。彼が笑うとき、「空気」は明るくなり、彼が泣いているとき、「空気」は暗くなる。「空気」という表現は、もともとこのような情感の共有を指していたのではないだろうか。この「空気」はたとえばマルティン・ブーバーが『我と汝』のなかで言う次のような「空気」と同じものだ。

精神は〈われ〉のなかにあるのではなく、〈われ〉と〈なんじ〉の間にある。精神は身体を流れる血液のようなものではなく、あなたが呼吸する空気のようなものである。人間は〈なんじ〉に応答できるとき、精神のなかに生きる。*13

  本来、「空気」という比喩は、明るくもなりうるし、暗くもなりうる、重くも、軽くもなりうる可変的なものへの表現であった。対して、山本七平が、「空気」を問題化することによってもたらしたのは、その空気という概念を、ある抑圧の原理として固体化することだった。そして、この「空気」から「絶対の権威」と「つかみどころのなさ」だけを引き継いだのが、「空気を読む」における「空気」である。ここでは「空気」という「つかみどころのない」ものが、しかし「絶対の権威」をふるって自らを「読む」こと従うことを要求する。そして、実のところ誰も「空気」を吸っていないのだ。
 誰も「空気」のなかで呼吸していない。ただただ「読む」ことに懸命になり、「読めない」という烙印を押されることを恐れている。誰も「空気」のなかで生きていないので、「空気」の命令に自然に体が従うといったかたちで従うことができない。目を凝らして、気を張りつめて「読む」こと、それだけが「空気を読む」の世界に生きる人に可能なことだ。そして、目を凝らしても、実のところ「空気」とは「つかみどころのない」ものなのだから、本当に自分が読み切ったのか、本当に自分が適切に行動しているのかは、決して分からない。
 「空気を読む」。この表現の異様さは、比喩が二重掛けされている、という点にある。まず「空気」という比喩表現があって、それをさらに「読む」ことのできる「成文化した文書」(内田樹がごく自然に「空気」と相反すると前提していたもの)へと比喩する。この二重の比喩のなかで、第一の比喩は殺され、人々はどこにもない命令書のために身をこわばらせ、罵倒され、右往左往するのである。
 「空気を読む」とは、このような「空気」の死を意味するのだ。
 この時代のなかで、われわれは実は「空気」を求めているはずだ。あの呼吸できる「空気」、人と人の間を流れる清冽な風、おだやかな風、そのようなものを求めているはずだ。日常系、もしくは空気系とも呼ばれるジャンルの隆盛はこの欲求を背景にしているだろう。また、『リリィシュシュのすべて』という、息の詰まるような学校社会を描いた映画において、「エーテル」という天使的気体が重要概念として現れるのは、いわゆる「空気」というものが呼吸不可能なものになってしまったからだろう。それゆえ代わりの気体的比喩が要請されたのだ。ここでは、学校や家庭、普段会う人々とのコミュニケーションはきわめて困難なものになってしまっており、ただリリィシュシュの歌う歌だけが心を動かし、自分の内面を理解してくれ、つながりを感じることができるものになっている。
 あるいは、皮肉なことだが、このような状況でなおも「空気を読む」という表現において「空気」という言葉が生きのびていることそのものが、「空気」への欲望によるものかもしれない。つまり、もはや共通の前提がなく、自分の規範も単なる局地的なハウスルールにすぎないものかもしれないにもかかわらず、それに満足できず、自分の命令を「空気を読め」というかたちで表現するのである。このような人々が場を支配して、「空気」を蘇生させようとするのだが、「空気を読め」という二重の比喩を織り込んだ表現は、それが口に出されれば出されるほど「空気」というものが実は共有されていないことを露わにせざるをえない。この状況がさらに語気をあらげて「空気を読め」と叫ぶことにつながる。悪循環である。

インターネットは水浸し

 さて、話を戻そう。そもそもわれわれがこうしたコミュニケーションの歪みについての議論を振り返ることにしたのは、インターネットの残念さというものがその内容、流行りのジャンルといったものによるのではなく、発言の作用の仕方、コミュニケーションの困難による、ということを明らかにしたからだった。そこで、インターネットにおけるコミュニケーションの歪みについて考える前の予備研究として、コミュニケーション一般の歪みについて「空気」を手がかりとしてみたのである。
 一つ考えてみることができるのは、インターネットは同じ考えをもつ人々が集まることを容易にし、それゆえに現実社会では困難になってしまった「空気」を醸成することが可能になっているのかもしれない、ということである。「サイバーカスケード」とも呼ばれるこの現象は、同種の人々を寄せ集め、しばしばその主義を先鋭化してしまう。集団のなかから異質な人間が排除されてしまうため、歯止めがかからなくなり、暴走する。
 しかし、これがインターネットの残念さの全てであろうか。なるほど、こうした「空気」の暴走はしばしば見られることだ。「祭り」と呼ばれる事態は、たしかに現実社会で困難になった「空気」の醸成、さらにいえば祝祭を代行しているのだと言えるかもしれない。だが、個々の匿名者の無秩序な発言をながめてみたとき、むしろ問題は「空気」ではなく「水」ではないか、と思わせられる。
 「水」。この概念は、「空気」に引き続いて山本七平が日本人の日常的な表現から引き出してくるものだ。「水を差す」の「水」である。山本七平は経験談を持ち出す。

 私の青年時代には、出版屋の編集員は、寄るとさわると、独立して自分が出版したい本の話をしていた。みな本職だから話はどんどん具体化していき、出来た本が目の前に見えてくる。〔中略〕
 するとその場の「空気」はしだいに「いつまでもサラリーマンじゃつまらない、独立して共同ではじめるか」ということになり、それもぐんぐんエスカレートし、かつ”具体化”していく。私は何度か、否、何十回かそれを体験した。すべてはバラ色に見えてくる。そしてついに、「やろう」となったところでだれかがいう「先立つものがネェなあ」――一瞬でその場の「空気」は崩壊する。*14

 「水を差す」とはこのようにふくれあがった幻想をパチンとつつき破ってしまう行為のことだ。この行為自体はきわめて健全なものであると言いうるし、この「水」に理想をみることさえ可能だろう。

 ここまで読まれた読者は、戦後の一時期われわれが盛んに口にした「自由」とは何であったかを、すでに推察されたことと思う。それは「水を差す自由」の意味であり、これがなかったために、日本はあの破滅を招いたという反省である。従って今振りかえれば、戦争直後「軍部に抵抗した人」として英雄視された多くの人は、勇敢にも当時の「空気」に「水を差した人」だったことに気づくであろう。従って「英雄」は必ずしも「平和主義者」だったわけではなく、”主義”はこの行為とは無関係であっても不思議でない。*15

 しかし、その行為は何もかも消化分解し腐蝕してしまう雨のようなものでもある、ということを山本七平は指摘することを忘れない。「空気」は「水」でかき消え、その「水」の取り戻した通常性が、また「空気」を醸成してゆく。このループを、彼は『「空気」の研究』で分析したのだった。
 さて、インターネットは「空気」の暴走というよりも、むしろ「水」の氾濫であるように私には見える。「マスゴミ」に対する批判や、既存の左翼的思想に対抗する右傾化というものも、なるほどその運動自体が「空気」を生み出すこともあるだろうが、その出発点では世間の「空気」というものをつつき破りたいという衝動が大きかったのではなかろうか。
 そのつつき破る衝動は、その「空気」がネット上のものであったとしても変わらない。
 たとえば、変態毎日新聞騒動のとき(毎日新聞が英語版サイトで日本人の変態性を強調する事実無根の記事を過去数年にわたって多数発信していたことが発覚した二〇〇八年の騒動。記事によると日本人は食事の前にその材料となる動物を獣姦するし、日本人の若い女性はファーストフードを食べると性的狂乱状態になるらしい)、毎日新聞に憤ったニュー速+民は、罵りあいにいそしむ普段の姿から一変、この悪事を世の中に知らしめなければならない、と一致団結した。そのとき、ある一人の人がこんな発言を書きこむ。

すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。
中途半端はやめよう、とにかく最後までやってやろうじゃん。
ネットの画面の向こうには沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。
信じよう。そしてともに戦おう。
工作員や邪魔は入るだろうけど、絶対に流されるなよ。

 彼はこのとき確実に「風」を感じたのだ、「空気」を感じたのだ。だが、この書き込みは一体どんなものとして拡散されていったのだろうか。カバオのアスキーアートが叫ぶという滑稽なものとして。

「すごい一体感を感じる」は揶揄され、恥ずかしいコピペとして出回ることになったのだ。
 去年(二〇一八年)なんJ民によって起きた「ネトウヨ春のBAN祭り」も「空気」の現象としてではなく「水」の現象として理解するべきだろう。この事件は五月十五日に立った「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」というスレッドを発端にしており、いくつもの「ネトウヨ」のYouTubeアカウントがBAN(アカウント停止処分)に追い込まれている。だが、このことを「ネトウヨ」に対する義憤というかたちで理解するのは当の彼らが受け付けないだろう。むしろ、この事件は、いわゆる「ネトウヨ」たちが「まっとうな日本人」「日本の一般的な成人男性」をきどって、彼らの常識・感性を当然のものとみなす「空気」それ自体に対する「水」差しだったのだと理解できる。なお、「日本の一般的な成人男性」という文句は、ある人が自分の動画の削除をアメリカのYouTubeヘルプフォーラムで抗議した際に使おうとした自己紹介文なのだが、拙い英文のために「I am a Japanese general adult man」、つまり「私はアダルトマン将軍である」ととれる怪文に変化してしまった。「general」は名詞では「将軍」という意味である。
 梅田望夫があのように大勢の批判者を引き寄せたのも、彼が「ネット」を理想的に描き、バラ色の未来というあまりに大きく膨らんだ「空気」に「水」を差したくてたまらない人々がたくさんいたからだと思われる。中川淳一郎の見た「揚げ足取り」や「いちゃもん」というのも同じような「水」だと考えられるだろう。
 「敵に回すと恐ろしいが、味方にすると頼りない」とはしばしばネット民に対して言われる言葉だが、この言葉も、自ら「空気」を醸成して運動をおこそうというのではなかなか上手くいかないが、ある「空気」に対して「水」を差そうという場合にはわんさと集まってくる彼らの性質について述べたものだろう。
 このような彼らの態度は「冷笑的」と批判されることもある。冷笑的で建設的でなく、他人のやっていることに揶揄ばかりする。しかし、「みんなと一緒にもっと建設的になろうよ」と言われたところで、それはむしろ逆効果であろう。彼らはそのような「空気」そのものに「水」を差したくてたまらないのである。
 ネット民を現実社会からの落伍者とみなすステレオタイプにあえてのっかるならば、ここで彼らは「空気を読め」と言って彼らを窒息死させた「あいつら」を、逆に水攻めにして溺死させるのである。しかし、こうした水攻めの動きもまた「空気」を醸成してしまうだろう。だが、そうした「空気」さえ、いずれはじけて消えてしまうのだ。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし!

*1 山本七平『山本七平ライブラリー① 「空気」の研究』(文藝春秋)、11頁。
*2 同上書、16頁。
*3 同上書、22頁。
*4 同上書、35~37頁。
*5 同上書、51頁。
*6 同上書、64~65頁。
*7 土井隆義『友だち地獄 ――「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書)、9頁。
*8 山本七平、前掲書、15~16頁。
*9 新渡戸稲造『武士道』矢内原忠雄訳(岩波文庫)、11頁。
*10 内田樹『日本辺境論』(新潮新書)、129頁。
*11 新渡戸稲造、前掲書、130頁。
*12 内田樹、前掲書、131頁。
*13 マルティン・ブーバー『我と汝・対話』植田重雄訳(岩波文庫)、50~51頁。
*14 山本七平、前掲書、68頁。
*15 同上書、127頁。


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