涼らかな風が流れる

風景と身体 【大木雄太舞踏公演「karada no fukei」感想】

 「Esse est percipi」、存在することは知覚することである、と言った哲学者がいる。18世紀の哲学者、バークリーだ。この命題はしばしば「目の前に見えているものは存在するが、見えていないものは存在しない」と簡単に説明される。だが実際にはそんな生易しいものではない。
 たとえば、私の座っている椅子の「座」は存在する。なぜなら私の尻がそれを知覚しているから。また、私が踏みつけている床も存在する。なぜなら私の足がそれを知覚しているから。視覚は唯一の知覚ではない。これは当然の話だ。だから目の前に見えているものだけが存在するのではない。
 しかし、目の前のものはどのように存在するのだろうか。私はそれを見る。しかしそれに触れてはいない。だから「Esse est percipi」の原則にしたがうならば、視覚的には存在しても触覚的に存在するかは確かではない。
 この命題に従うとき、世界は次のようなものとして存在する。
 不可解な映像が私のまわりを流れている。それらは虚無の上に貼りつけられたハリボテである可能性も十分にある。私は立っているので、私の足の裏が接している床が存在することはわかる。だが、床のすべてが硬く踏むことのできるものとして存在しているかは分からない。一歩歩けば、私は存在の薄氷を踏み砕いて落ちてゆく。それも十分にありうる。

 もちろん、こうした恐怖を抱く人はまれだ。床は存在する。人はそう信じて難なく歩く。それは人が習慣的にその上を歩いてその存在を確認しているからだ。それはいつも触って確認することができる。
 サミュエル・ジョンソンはバークリーへの反駁として転がっていた小石を蹴り上げてみせたという。ほら触れるじゃないか、というわけだ。
 しかし、世の中には触れるものより触れないものの方が多い。毎日起きた瞬間に目に飛び込んでくる天井を、私は果たして触ったことがあるだろうか。通勤路の町並み、その風景の大部分を私は触ることなく通り過ぎてゆく。
 私はときどき足を止めて風景をながめる。私がいつも空想するのはあの遥かな翠黛を撫で上げることだ。犬の毛並みを撫でるように、あの美しい山並みを撫でてみたい。手のひらで上から下、下から上と撫でてみたい。なんなら頬ずりもしたい。
 山に触る。山歩きなら機会があれば可能だろう。だが私はこの風景としての広がる山々を撫でてみたい。そして、それは不可能だ。風景とは、根本的に「触ることのできないもの」だから。

***

 31日の「舞踏ナイト」を観に行ってから、私は縁あってまた「見る」舞踏を観に行くことになった。「karada no fukei」と題された大木雄太による舞踏公演である。

 それはカフェの二階で行われた。三つある窓は開け放たれていて、演者が控えていると思われる舞台脇にかかるカーテンが風にゆれていた。床は木材で歩くとギイと音がする。
 そんな舞台に、特徴的な歩調で男が出現する。一旦かかとをあげて浮かせた足を今度は地面に沿わせ接地するぎりぎりのところで滑るように前に出す。「すり足」に似た雰囲気の歩き方だ。だが、そんなふうに歩いても床に足がつく度にギイっと軋む音がする。彼はそのまま舞台の中心に立つと直立したまま両手をゆっくりと上げて、空をつかむか撫でるかするように手を伸ばし指を曲げる。
 手は空をきる。そのまま腕は折り曲げられて自分の身体を抱くかと思えば頭上の方へ伸びていきそれに合わせて彼は変に歪んだ背伸びをする。喉から幽かな異音が発せられる。
 身体が極度の緊張に達してから、一気に弛緩する。彼は例の歩調で窓の方へ歩いてゆく。窓に達した彼は桟にもたれて外の風景を眺め、手を伸ばす。しばらくして彼は何かを諦めるように身を引き、窓を閉めようとする。力を入れないと閉まらない。何度か軋んだ音をたてて、窓は閉まる。もう一つの窓でも。しかし最後の窓では、外をすこし一瞥しただけで一気に閉める。
 そこから舞踏の雰囲気が変わる。
 簡単に言うと、私が前の記事で言った「病気」的な、身体という牢獄の檻をゆするような表現がより前面に出てくるのである。
 ここから先の七転八倒を詳述することは野暮だ。だが一つ特筆するとすれば、ここから彼はもう一つの特徴的な歩き方を多用するのである。その歩き方とは足を一切浮かせずに地面にすりつけたまま体の重心を動かすことで移動しようとするものである。それはもはや歩き方ではない。歩きたいのにどうしても足を地面から離すことができない、という矛盾である。それはまるで床を踏んでつかまえておかないと、足を離した隙に逃げられてしまうことを危惧しているかのようだ。

 風景とは決して触れえないものである。一方、身体とは最も容易に触れられるもの、というより触れることそのものである。「karada no fukei」、今回の舞踏はその対蹠的な二者を名に冠している。
 私は前回、舞踏を身体への不信にみた。身体という抵抗に抗おうとする生命をみた。これはつまり触ることのできるものとしての身体の不自由さである。それはちょうど牢獄の檻、あるいは容易に閉まらない窓だ。だが、今回私が気付いたのは、決して触れえないものに包囲されているという身体の不自由さである。手を伸ばして、歩いて近づいて、身体は風景に触れようとする。だがそのときすでに風景はそのすこし先で生起しているのだ。風景を身体のものにしようとする試み、そしてその不可避の失敗、karada no fukeiとはこのことを意味しているのではないだろうか。

 さて、前回の記事を書いたあと、私は目黒涼子本人に一つの質問をした。それはこんなものだ。私は舞踏を「する」舞踏と「見る」舞踏に分けて考えてみた。だが目黒自身はその「見る」舞踏をまさに「する」人間である。それは一体どのようなものなのか、と。彼女はだいたい次のように答えた。普通の「する」舞踏が一緒に踊る人との対話であったようにあの舞踏も一つの対話である。それは空気との対話、あるいは空間との対話である。
 空気、空間、それは決して触ることのできないものである。触ることのできないものへの対話として舞踏は身体をねじまげる。

 舞踏の終わりになって、大木雄太は再び舞台の中央にたつ。彼はもう何にも手を伸ばさない。ただ彼は手を振る。まるで船で旅立つ友人を見送る人間のように、ゆっくりと大きく手を振る。風景と対話すること、それは自分が誰かの風景になることを受け容れることだ。こうして彼は手を振ったまま、カーテンの向こうへ帰っていった。

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※写真は私がかつて屈斜路湖をよく眺めることのできる峠の頂に上ったときに撮影したもの。私は山を登ることはできた。しかし、山のこの緑の皮膚を撫でることはついにできなかった。

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