うちの子ふーう
長女の名前は「ふう(芙生)」
この名前にしたのは「ふぅー」っという、音の響きがいいなと思ったから。ふとしたときの安堵の気持ちや落ち着きのある子になったらいいなぁとか、「ふう」って名前なら、ふうを怒るときでも、力の抜けた感じになるかもという想像があったからでした。
そんな親の願いを裏切るのが子の定めなのか。元気で声が大きく、ハキハキしゃべる、気の強い女の子になりました。おっとりした次女とのコントラストも相まって、しっかりもので正義感のある、お姉ちゃん気質なふう。
長女のふうが小学2年生、次女が小学1年生なので、まだいっしょにお風呂も入るし、ときどき読み聞かせもしています。(最近は、おばあちゃんに送ってもらったコナンや、よつばとをそれぞれ1人で読んでたりもします)
いま読んでる本が、こちら。
かわるばんこに3人で声に出しながら読んでるので、毎日1話ずつのペースで読みすすめています。(実はまだ、ちょうちょのお話までしか読めてません。昨日はなぜか2人とも、逆立ちしながら読んでました汗)
ツネタとふう
「ウーフはおっとりしてて、次女に似てる。長女はツネタに似てる。」そう思いながら、読んでいると
「ツネタ、はらたつ」と長女がいうのです。
「なんで?」ときくと
「顔がいやだ。目がつりめだし、いや」
ちょうちょのお話で、ツネタが泣いているウーフに
「へんなウーフ。さかなも肉もぱくぱくたべるくせして、は、ちょうちょだけ、どうしてかわいそうなの。おかしいや」
といったところ。その言い方もひっくるめ、その「顔がいや」というきもちになったんだろうなぁと想像しつつ「ふうはツネタに似てるのに、嫌いになるんだなぁ」と、へんに感心してしまいました。
なんで?を想像してみよう
ツネタにはツネタの正義感がある。はっきりと思ったことを伝えるし、へんなことをへんだといえる、勇気がある。
ふうにもふうの正義感がある。自分だけがお手伝いしなきゃいけないときは「なんで、ふうがやらないといけないの?」というし、おやつを食べてるときには「これあげるから、それちょうだい」という。
だけど、そんなふうだから、「自分のことだけ考えずに、相手のことを考えなさい」と怒られてしまうし、たぶんふうは「なんで私のこと、わかってくれないの?私はおかしくない。。」と思ってるんだと思う。
それにふうは、人のいうことを真に受けない。
「雲から雨がおちてくるんだよ」といっても「なんで水が浮いてるの?」という理由がわからないと、「うそだ。信じられない」という顔になる。(わたしが冗談を言い過ぎ、信用してもらえないのも原因かもしれないが。。)
「理由がない、わからない、わりきれないこともある」
「なんで?って聞いたら、なんでか、分からなくなることもある」
「自分にとって正しいことは、相手にとって正しくないことかもしれない」
口に出して伝えることも、相手に聞くことも大事だけど、ふと立ち止まってみて、自分なりに想像してみたり、考えてみることも大事。
ドキドキと、逸る気持ちを落ち着かせ、「ふぅー」っと世界をみたら、新しいふうに出会えるのかもしれません。(うまく伝えられるかなぁ)
これからのうちの子たちが、もっともっとたのしみです。