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注意、読みすぎ。利かせすぎ。

前回の投稿がまあまあ暗めの内容だったので、今回は少しゆるいお話です。
といっても、私の頭の中身そのままなので、ややこしくなってしまう気がしてなりませんが...。
とにかく本題に入りますねっ



私、ドラマが苦手なんです。
嫌いを濁した「苦手」ではなく、そのままの、得意の反対の「苦手」です。
(これについては今度、苦手なもの好きなものについて考えてみるnote、改めて書いてみようと思います。長くなりそうなので...)

なので、今までドラマは片手に収まる程度しか見ていないのですが、最近「いちばん好きな花」というドラマに興味が湧き、久しぶりにリアルタイムで視聴しています。

先日第三話を見たのですが、その中で「自分の考えや気持ちを、意識的に他人に話さないようにしている。」というニュアンスの話が出てきたんですね。

この部分がとても記憶に残りまして、今回noteで考えをまとめてみようと思いました。

まず私は、かなり幼い頃から「考えていること、思うことを丸々全部話すべきではない」と考えていました。本心と本心をぶつけ、泣きじゃくって互いに腹を立てている同級生たちのことが、全く理解出来ず、「(ムカついても、悲しくても、悩んでいても、誰かしらを不快にさせるなら表に出さない方がいい。)」そう思っていました。さらに、相手が欲している言葉を汲み取って、一番ベストなタイミングでお届けしていました。「今だー!」って。


その甲斐あってか、家族や友達、先生など周囲の人間からは、「気の利く子」「空気が読める子」「優しい子」だと言ってもらっていましたし、誰かと喧嘩した経験も今のところありません。

幼い頃から今までずっとこんな感じなので、言って良いことと言わない方が良いことの調整が下手で、《言わない》にレバーがシフトしがちなようです。

そんな風に生きていると、ふと、私は誰かと本音を交わした事がないなと思いました。これまで、私に対して、何らかの感情を顕にする人は誰一人居ませんでした。当たり前です、だって私が本心を言わないから。

きっと、人が本当に欲しているのは、自分と本音で語り合える人間なんです。ぶつかって、痛くても苦しくても醜くてもいいから、とにかく本音で。だから、都合のいいことを言ってくれるだけの私のような存在は、つまらなくて。
あ、本音で語り合う、という言い方はなんだか綺麗に聞こえますが、綺麗なだけじゃあないですよ。悪口や陰口だって含まれます。

もちろん、悪口や陰口を言いたい訳じゃないけれど、その場のノリや友達同士の付き合いで、引きつった笑みを貼り付けて参加していた人もいるでしょう。
きっとその人も私と同じで、最後には結局、だれにも選んでもらえないんです。本心じゃない、薄っぺらいその場だけの言葉って、そこにいる人は割と気がつくんです。その時は上手く流せたとしても。
それにもちろん、悪口陰口を言われる側の人からすると、本心で言っている人と変わりありませんし。
(少し話が逸れてしまいましたかね?汗)

なんだか少し残酷ですよね。誰かに好かれたくて、誰にも嫌われたくなくて、一番必死なのに、誰にも選ばれないなんて。

ずっと、好かれることも嫌われることもなく。ただその時、そこに居るだけの人。
いつか私にも、誰かと感情のぶつけ合いができる様な日が来るのでしょうか。来てほしいような、ほしくないような。

ただ、いつもいつも、このnoteの中身みたいなややこしい事ばかり考えているので、やっぱり正直、誰かに本音を話すのは気が進みません。実は私も何度か、「(この人なら...)」と思えた方に、考えたことをそのまま言ってみたこともありました。が、大方は、苦笑いでそれとなく話を逸らされました。◜. ̫.◝
(私の会話力が皆無なせい...?)

とにかく皆さん、空気の読みすぎ・気の利かせすぎ・食べすぎ には、一緒にちょこちょこ、気をつけましょうね。
ほら、なんでも適量がいちばんだって言いますし。



ありがとうございました。






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