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空白の時間

先日知人に
「小学校時代はどんな子供だったの?」と聞かれた私は、何も言えなかった。それを説明できる言葉が見つからなかったから。
10秒くらい考え込んだ後、一言、覚えてない。とだけ答えるしかなかった。


記憶が全くゼロ、というわけではない。
ただそれは、あまりに断片的すぎて「思い出」として語るためのストーリーを持ち合わせていないだけで。言ってしまえば「写真」のようなもの。しかも写っているものの背景を説明できない、本当にただの風景画。

教室の窓のそばの大きな桜の木、ゴォっと風が吹いた時に舞った花びら…とか。
小3の時に5年ぶりに顔を合わせた、幼稚園時代の同級生の男の子の「あっ」という驚いた顔、とか。
凶暴な女にアスレチックのてっぺんから突き落とされた時に見た青空、とか。
こちらをクルリと振り返った可愛い女の子の顔、とか。

刹那的。
数少ない「写真」のエピソードもほとんど無く、あの時何をしたのか、何が起きたのか、私がどんな女の子だったすら何も覚えてない。

少し覚えているのは、音楽会ではリコーダーが苦手だったから鍵盤ハーモニカを担当したこと。それから当時の音楽の先生が私の歌をすこぶる褒めてくださったこと。高学年になると中学受験組がクラスの半分を占めており、大変ギスギスしていたこと。
耳にこびりついて離れないのは、自衛隊オタクだった男の子が給食の時間に歌った歌だ。
ぎゅーにゅーはーコッペパーンコッペパーン(ダースベイダーのマーチで」
シュールすぎる。…本当に、それくらい。

ただ、学外の活動なら、断片的に語れるものもなくはない。
例えば初めて水に浮かぶことができた日のこと、とか。
初めてのピアノの発表会で弾いた曲とか。(モーツァルトのソナタ)
それから初めて1人で行った「大きな街」とかも。
なのに、本当に「学校生活」については思い出せない。本当に不思議なくらいに。



対する中学時代は、記憶は「写真」ではなくきちんと「映像」で保管されているようで。

例えば以前の記事で書いた、おませな女の子たちの「身だしなみ指南」。
メガネは外し、髪を伸ばして、くるぶしソックスをはいてスカートの裾を短くすると、可愛く見えてなおかつモテるらしい。知らん笑。

廊下に貼られた、部活の先輩の書道。非常に達筆だったけれど銅賞だったはず。私も同じ時に銅賞を取ったけれど、先輩の方が何倍もお上手だったからなんだか恥ずかしくなった。

当時は今よりももうちょっと、ちゃんとした「女の子」だったので、それらしく「憧れの先輩」がいたけれど、その先輩が好きなのは私の友達の方だった、とかもあった。確か「好きな映画」の話になった時に彼は、題名は伏せるが「恋愛の未練をグダグダと永遠に引きずっている男女」のアニメ映画が好きだったと話していた。私はむしろそういうのは好みじゃなかったけれど、私の友人(先輩が好きだった方の女の子)は「あれは本当にいい作品だった」と評していたので、なるほどそういうことか。と1人で納得していた。むしろお似合いかしら?って。
ちなみに私の好きな映画といえば、今も昔もマイケルジャクソンの "This Is It" とジェームズキャメロンの "Avatar" なので、いろんな意味で壊滅している。

当時の生徒会長とも同じ部活に所属していたけれど、こっちの方は明晰な頭脳や天井突き抜けたコミュ力や周囲からの厚い信頼などと引き換えに、もっと大切なもの、具体的にいえば世界の常識のようなものをどこかに置いてきてしまった人だった。もちろん悪い人ではなかったけれど。
この人は朝っぱらに寝違えて首をかしげたままの私を見て「おっ治してやるよ!」と言いながらいきなり頭を掴んで元の位置に戻そうとしてきたことがある。本当に、悪い人じゃなかったけれど、やばい人だった。今思い出しても、相当やばい。

同じく中2の時、同じクラスに明晰な頭脳と他の諸々を引き換えにしてしまった幼馴染がいた。貶してない。むしろ褒めてる。ちなみに私に数学を教えてくれたのは彼なので、もし彼がいなかったら私の数学能力は今よりももっと悲惨だったであろうことは何よりも明白である。そういう意味で彼は命の恩人にも等しい。
ある日、急に目の前にずいっと大きめの封筒が差し出されたので、なんだろうと思ったら中にシャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」上下巻が入っていた。彼曰く、母親の本棚から発掘したらしい。1ヶ月くらい貸せる、と言われたのでありがたくお借りした。当時の私は、ロシアとかフランスとかに偏っていたが本当に本をよく読んでいたので、おそらくそのせいだろう。当時ドビュッシーが好きだった私にラヴェルの存在を教えてくれたのも彼なので、本当に感謝してもしきれない。

音楽室のピアノは自由に弾いて良かったので、同じクラスになった幼馴染(こちらは幼稚園からずーっと一緒の女の子)とよく連弾した。確かレスピーギとかフォーレとか。ピアノの初見弾きは彼女が得意だったので、彼女のピアノに合わせて歌ったりもしていた。あの時間は何にも変え難く素晴らしいものだった。(ちなみに彼女はピアノ初見弾きができたし寧ろ得意な方だったが、私にはてんでできなかった。私は耳コピの方が得意で楽譜を読むのはひどく苦手だった)
ちなみに今のバイト先に私を紹介してくれたのは彼女だ。

中3の時はクラスメイトに好き勝手あだ名をつけていたので、クラスに可憐な「ロザリー」がおり、歌の上手い「クリスティーヌ(テノール)」がおり、雪国出身の「エルサ」がいた。かなりシュール。ちなみに「ダニエル」もいたが、こちらは私がつけた名前ではない。英語圏からの帰国子女だったためそう呼ばれていた。
当時は割と皆が志望高校をオープンにしていた。というわけで私は過去問を解くのを友達によく手伝ってもらったし、私もまた友人たちの難しい数学の問題をパズルのように眺めていた。時々、英語の問題を解説したりもしたし。

あげるとキリがないのでここら辺までにしておくが、見比べて欲しい。この小学校時代との差の激しさを。

先述の知人には、小学校時代の「抜け落ちた記憶」について「忘れたいほど嫌な出来事があったとか?」と聞かれたが、それはないと断言できる。当方、学校生活はかなり平和に暮らしてきたつもりだ。



無論これが日常生活に支障を及ぼしたことなんて当然ないけれど、その代わり非常に困惑することは時々ある。大体は一緒のバイト先で働いている後輩のせいだ。
どうやら小学校からの知り合いだったらしい。ちなみに私は高校時代からしか認知してない(習い事が一緒だった)。

「初対面が、僕が小4、貴女が小5。縦割り班も地区割班も一緒だったので、何かとイベントの時はご一緒したはずなんですけど?ついでに中学校時代は部活が2つ被っていました」
「確か小学校の時、男の子みたいな格好してませんでしたか?」

その記憶は合っていると思う。一人娘しかいない家に男の子用の半袖半ズボンジャージが保存されてたから、多分それのことを言っているはずだ。
小学校の図書館に読みたい本がないとぼやいてた、だとか、やたらとマイケルジャクソンの曲を聞かせて洗脳しようとしてきた、だとか、残念ながら全く覚えてないが概ね事実であろうことを聞かされることがたまにある。
「自分が知らない自分の話」を他人から聞かされるというのは中々なものだ。他人の話のように聞いている気分なのに、それは全部私の物語だというのだから
なんならいっそ私の身の回りにいた友人たちの方が「私」という人物について詳しそうだから、いざとなれば彼女らや彼らに頼って記憶を創造すればいいや、と考え始める始末である。
というか9割の確率でかつての友を頼ると思う。


ことさらに思い出したい!と願っているわけではないが、思い出せるのなら是非とも思い出してみたいものである。
なんたって人生の半分近い記憶なのだから。断片的で刹那的な、脈絡のない「写真」だけでは、あまりにも、心許ない。

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