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木曜のウダウダ

「よくまあ毎週毎週話し続けることができんなあ」
あっちこっちから聞こえてくる毎週木曜日の定番フレーズだ。
自分でもそう思っているからなおさらである。
ぜひ世界の七不思議にひとつ付け加えてもらいたい。
名称はと言うと…
「木曜のウダウダ」
「毎週のウダウダ」
「おじさんのベラベラ」
「おっさんのイチャイチャ」
なんかハライチの漫才みたいになってしまって笑ける。

そんな、心の拠りどころでのセレッソ大阪について。
この木曜日にも多くのことについて話す機会があった。
述べ人数で六五〇人を超える方に聴いてもらえた。
セレッソ大阪を好きな人も、そうでない方もいると思う。
それでも気にしてもらえるのが本当にありがたいなと感じる。
そうだ。
まごうことなき二〇二四年シーズンがはじまるのだ。
毎年、スタートの木曜日には気持ちが奮い立つのがわかる。
ぼくは、毎年いつものようにだけどウダウダ中で聞いた。
「新しいメンバーのチャントってどうなってるん?」
…聞いといて、自問自答してしまった。
そもそも、チャントってひとりで作っているわけではない。
仲間もいて、音楽の才能ある人もいて、成り立っている。
それは、言ってしまえば昔からもそうだ。
集まって、ウダウダしながら作っていくものなんやなと思う。
持ち込み企画!とかあったよなあ。
質問して自分の頭のなかで答えるという。
林先生か(笑)

そう言えばふと思ったりする。
いまと比べてどうかとかまったく比較しても意味ないのだけれど、
一九九〇年代のゴール裏サポーターってどうやって生息していたのか。
当時はインターネットなんてそれほどなかったし、ましてやSNSなんて。
一体どうやってみんなシーズンオフに集まってたんやろうか。
虫の知らせとか?
テレパシーとか?
それとも不思議な魔術か?
これはもう古代でピラミッドに石を積むとか高層建物を作るのに等しい。
ウダウダで話すと、そんな色んなことが思い出されてきたりする。
コールリーダーウダウダ、タイムマシン説、浮上。
そしてもうひとつ。
スタジアムでのコールリーダー的存在が何人もいたな、とか思う。
そういう人間が色んな場所で色んなかたちで目立っていた。
別にこのエッセイは三国志くくりなわけでもないのだけれど、
「天はこの周瑜を地上に生まれさせながら何故孔明まで生まれさせたのだ」
それに近いくらいの群雄割拠ぶりやったなあと脳内に思い出されてくる。
そう思うとコールリーダー的存在にはライバルが重要だ。
周瑜にとっての孔明のように。
王にとっての長嶋のように。
いくらちゃんにとってのよよよちゃんのように。
だから、特に若手のなかからでもどんどん彼のライバルが誕生してほしい。
近頃はそんな必要があるのではないかと本気で思ったりもする。
ひとりひとりの良いところをうまくつなげてさらに成長できるはずやし。
あと三〇年経ったらそんな彼らも歴史の一部になるわけやし。
セレッソ大阪の二〇二四年シーズン。
選手もサポーターも競争があってもいいとぼくは思う。
でもって、そんなライバルも「木曜のウダウダ」へようおこし。

まあ厳密には、木曜だけ、ってわけでもないのだけど。
(いつも予定変更、失礼します)

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