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歌誌『塔』2024年4月号作品批評(2024年6月号掲載)-後編-

みなさま、こんにちは。

半年にわたる選歌評欄の担当も今月が最終回です。
執筆の機会を下さった塔短歌会の編集部の皆様に深く感謝しております。
それから私の拙い歌評を読んでくださった皆様にも。

それでは4月号の作品批評をどうぞ。

選者:梶原さい子
評者:中村成吾

飛んで来た種で生えしか南天に雪降りかかり赤き実冴ゆる(竹内多美子)

『塔』2024年4月号p296

去年は見なかった場所に南天の実がなっている。風のしわざか鳥のしわざか。嬉しい発見だ。
雪の白が南天の赤をよりいっそう際立たせる。無駄のない言葉の運びが読んでいて心地よい。


帰省しない私の今年の居場所です人気の少ない深夜のマック(平田あおい)

『塔』2024年4月号p298

事情があって今年は帰省しなかった。ずっと家に籠っていてもよいのだが、なんとなく外で時間をつぶそうと思った。
いつもは若者や家族連れで込み合っているマックも深夜となれば人気が少ない。しかしゼロではない。
私と同じようにマックで夜を過ごす人もいるのだ。干渉しないしされたくもない。しかし、わずかに人のいる空間が自分にとって心地の良い居場所になる。


人ひとり亡くなり工事は止まりおりとても静かな冬の原発(平田あおい)

『塔』2024年4月号p298

死亡事故が発生した。再発防止策が策定され、許可が下りるまでは工事は中止となった。
ふだんは行き交う作業員の忙しない足音や大きな重機の轟音…現場はさまざまな音に溢れている。しかし今日は不気味な静けさ。冬特有の重たい曇天が原発を包んでいる。
おそらく皆様はご記憶にないと思うが、二〇二〇年の東京五輪で、新国立競技場の建設作業に従事していた現場監督の方が過労自殺された。
なぜか私はこの報道が忘れられず、掲出歌から連想が飛んだ。
いま大阪・関西万博に向けて建設が急ピッチで進められていると聞く。同じ轍を踏まないようにと祈るばかりだ。
死人を出してまで開催しなければならない行事など存在しないのだから。


沈みゆく夕日に問いぬこの平和この安楽はいつ迄つづく(藤﨑惠)

『塔』2024年4月号p298

昨今の世界情勢を見ていると私も主体と同じ思いになっている。
先日、X(旧Twitter)で「第三次世界大戦」という言葉がトレンドになっていた。平和は戦争の準備期間だとか、戦争と戦争の間を平和と定義するのだとか、各人の様々な定義づけが画面に流れていく。
私たちはいつになったらホモ・サピエンスすなわち「賢い人間」になれるのだろうか。
夕日は沈んでもよいが、平和な日常は決して沈んではならない。


かあさんと庭に呼ばれきひらがなをこぼしたような初雪の日に(丸山かなえ)

『塔』2024年4月号p300

「かあさん」と呼ばれて庭に出てみると、うっすらと初雪が積もっていた。その景を「ひらがなをこぼした」ととらえたところが秀逸である。
砂子ぼかしの料紙のような景色だったのかもしれない。
「かあさん」「ひらがな」「初雪」いずれもやさしい響きをもっており、歌の輪郭が丸みを帯びているような感じがする。


まひるまの公園に繰るあたらしき詩集の白の眩しかりけり(近藤由宇)

『塔』2024年4月号p300

詩集や歌集は余白の多い書物である。小説は行間を読むというが、詩歌集は余白を読む愉しさがある。
「眩しかりけり」という措辞もおおらかでめでたい。


道の辺のひとりでに咲く草花に見えて手入れをする人がいる(栗谷葉月)

『塔』2024年4月号p300

庭の草花とは違って何もしなくても勝手に咲くと思っていた道端の花。
しかし、草を抜いたり水をやったり手をかけている人がいるのだ。
手入れをする人にとっては、きっと道端の花も庭の花も同じ愛着があるのだろう。心の豊かさの一端を見たような気がする。

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