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[徒然]漏らすか、漏らさないか。それが問題だ。

満員電車。通勤ラッシュ。つり革にしがみつくいつもの朝。

車窓からは、朝日が大きな川を照らし、鳥たちが飛び交い、河原では朝のジョギングをする人たちが見えた。

今日も世界は、なんだかんだ平和だな、とか思いつつのんびり電車に揺られていた。


だが突然、言表し難い違和感を感じた。乗車した時から、確かに僅かな違和感は感じていた。それが何かは判明つかなかったが、確かに何かがそこにあった。

そうか。あれは便意の片鱗だったのか。

違和感の謎が解けスッキリした同時に、さらにスッキリしたい欲求に強く襲われた。もう便意は明らかだった。



だが、気付いたのが遅すぎた。

もう電車は既に出発し、生憎その電車は特急だった。僕の計算によると、次の駅に着くまでに最低でも15分はかかる。

世間一般で言う、時すでにお寿司ってやつだ。(ふざけていられるのも今のうち)

これは意外とまずいことになるかもしれないなと、俺の野生が呼んでいた。



あぁ、換気のためにちょこっと空いたその窓の隙間から飛び出して、車外に飛び出してしまいたい欲求に駆られた。もしくは非常ボタンを押して列車を緊急停車させて、途中すぎる下車をしたい欲求にも駆られた。

しかし、まだいうて余裕はあった。


しばし瞑想でもしてやり過ごそう。瞑想はすごい。俺だけの空間へと俺自身を導くことができる唯一の方法だ。自律訓練法のようなものでもある。

目を閉じれば宇宙が広がり、俺は大地と繋がり、また大地は俺と繋がる。すべての母に包み込まれる。大地讃頌だ。まるでサウナ後の外気浴をしているときみたいな陶酔状態をイメージする。何よりイメェ〜ジが大切だ。



・・・・・・5分は経っただろうか。やっぱり限界だ。

瞑想なんかでやり過ごせる域を超えている。これはもうこの世の終わりだ。ノストラダムスさえも予言することができなかった。突然の破滅だ。卓越したケツ筋でも無い限り、このダムの決壊を抑えることは難しかろう。


僕は最悪のシナリオを一瞬のうちに想像した。それは恐ろしすぎるものだった。

真の恐怖とは、人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことであると、ポーランド出身の小説家 ジョセフ・コンラッドは言っていた。

彼は間違っていなかったんだ。



もう想像してしまったが最期、もう全身の汗腺という汗腺から絶望の断片が流れ出して止まらない。止まらない。手足は小刻みに震え、頭皮にまで鳥肌が立った。死にそう。まじで。今日ばかりは、まじだった。



ああああ!!!ああぁぁあああああぁぁぁあああ!!

もう何もかもがどうでもよくなった。

世界平和だとか、コロナだとか、日大の理事長がうんこみたいな奴だったとか。

ああああ!!!うんこって言葉を出さないでくれ。あああ、もうそんなものはどうでもいい!!


脱成長コミュニズムがなんだとか、虚無がなんだとか、ニーチェの言葉なんていざというときに役に立ちやしない。

ニーチェの言葉が、便意を収めてくれるんですか??
あぁんん!?!?ゴラっ!!どついたろか

世界の裏側で何が起きていようが、俺の知ったこっちゃない。気候変動、悪しき新自由主義、もう全てが無に等しく。全てが混沌としていた。

今はうんこのことだけを考えさせてくれ。うんこで頭がいっぱいなんだ!!!



一旦落ち着こう。そして想像しよう。

うんこが、直腸から大腸へとゆっくりゆっくりと後退していく様を。それはさぞかし美しい光景だろう。村上春樹の「アイロンのある風景」という話の最後のように、静かで美しい情景だろう。もしくは、12月の白い息のように、どこかへふっと消えいってくれないだろうか。

そんなことを想像していた。



ドアが開いた。天からの迎えが来たようだ。ついに開いた。

僕は何かに導かれるように、降りたこともない駅で、一歩も遠回りをすることなく男子トイレへと到達した。

幸い。これは幸いすぎる幸いなのだが、個室が空いていた。


俺は全てに感謝した。母に。いや母なる大地に感謝した。そしてこの駅に。このトイレに。TOTOに。

全てに感謝したんだ。



そして身体がふっと軽くなる。雀の羽のように軽くなる。

視界が柔らかな透明の光に包まれた。光たちは個室トイレの壁々に乱反射し、幻想的な幾何学模様を浮かべていた。


俺は遅刻するだろう。だが、それでいい。それでいいんだ。

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