〈理知的陶酔〉よりも〈刹那的青春〉を。|曖昧で文学的な最高純度の大学生活
興醒めな葉桜の木の下で本のページをめくっていた4月下旬。
僕はカントを読みながら、理知的な陶酔の極地に到達していた。
ずっと暗い部屋の中でジグソーパズルをするような読書を通して、全てのピースが揃うような快感。
下手をしたら射精よりも快感なのではないだろうか。
そんな最高の瞬間を邪魔してきたのが、羽鳥だった。
「基礎ゼミ、一緒のクラスだよね?」
身長の低くて太っているのに、やけに上品な男が僕に向かって話しかけた。
「ごめん、あんまりメンバーの顔を覚えてなくて。僕は五味ゼミだけど、君も?」
すると羽鳥は嬉しそうに、「そう!俺も五味ゼミだよ。俺羽鳥、よろしく」
「よろしく」
「何読んでるの?」
「これはね、カントだよ。純粋理性批判」
「おお、僕らは哲学科じゃない。英米文学科だろう?」
「確かにそうだね。じゃあこの本はもう捨てるよ」
すると羽鳥は急に焦って、「うそうそ!冗談! 最後までたくさん読んでください」と必死に言った。
この瞬間、なぜだかわからないけれど、僕は羽鳥と友達になることを決めた。
僕は大学に入ったら、狂人のように読書に耽ろうと決めていた。きっと社会人になったら、ろくに時間も無くなるのだろうと感じていたからだ。
ゆっくりと不幸になっていく過程を、読書によって有耶無耶にしてやろうとしていたのだ。
だが、そんな僕にも友達ができた。
〈羽鳥〉は、大学で初めて僕に声をかけてくれた奴。〈ミツヤ〉も同じ基礎ゼミで仲良くなった残念イケメン。
僕らの基礎ゼミの担当教員は五味正生と言って、最高の教養を備えたおじいさんだ。
正直、僕は友達と駄弁ったり、無意味な遊びをしたり、毎日酒を飲んだり、そんな頽廃的な生活を送るつもりなんて毛頭なかった。
でも気づけば、僕らはいつも行動を共にし、知らないうちに刹那的青春を謳歌していた。
それはきっと幸せなことなのかもしれない。
「理知的な陶酔」を味わうよりも最高なこと。
それが僕にとっては、「刹那的青春」だった。
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