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【SS】ティッシュ配り
凍える12月の夕暮れ。オレンジ色に縁取られた雲が浮かぶ茜色の空の下。誰しもが厚手のコートに身を包み、寒さから逃げるように足速に歩いていた。
郊外にしては、栄えている駅前だ。チェーン店なり薬局なりスーパーなりが軒を連ね、店頭で客引きをしている店も珍しくはない。
臨時の仕事のため、僕は慣れない道をとぼとぼと歩いていた。すると、ティッシュ配りの人に突然ティッシュを差し出された。僕は反射的にそれを受け取ってしまったのだが、差し出されたティッシュと共に、そのお兄さんはこう呟いた。
「早く帰らせてください〜、、あっ、どうも〜」
僕は一瞬自分の耳を疑った。
普通、ティッシュ配りの人は「お願いしま〜す」だとか、「こんばんは〜」だとか言いながら、もしくは何も言わずにティッシュを配るものだろう。
それがどうして「早く帰らせてください」という言葉が出るのだろうか。僕は彼の雇用主でもなんでもない。
だが、ふと気付いた。もしかしたら、彼はあのティッシュを全て配り終えたら、仕事を切り上げられるのではないか。ノルマを達成したら、早めにバイトを終了させることができるのではないか。
確かに、このバカ寒い中、延々とティッシュを配り続けるのはなかなかしんどいだろう。
それなら、まあ一応に辻褄は合う。
僕はなんだか彼に興味が湧いて、ティッシュを受け取った後、すぐに引き返して、彼の様子が窺える道端に立って、彼の様子を少しばかり観察していくことにした。
やはり僕の耳は間違っていなかった。
しばらく観察していると、彼はティッシュを配りながら次第に大きな声でこう言うようになった。
「もらってくれたら早く帰れるんです〜、、あぁ〜!ありがとうございます!!」
「もう流石にあったかい家に帰りたいんです〜、、どうも〜助かります〜!!」
「もらってくれると個人的にすごい助かります〜!」
なんて度胸なんだ。彼は常識の枠組みに囚われないティッシュ配りを展開した。
すると驚くことに、どんどんと道ゆく人が、皆ティッシュをもらっていくではないか!!
「お疲れ様です」と言って笑顔で受け取る人。受け取る際に激励の声をかける人。ついには、わざわざティッシュをもらいにお兄さんの元へ歩み寄る人たちさえいた。ちょっとした人気者状態だ。
これはすごかった。ティッシュ配りのお兄さんの言葉が、人々の共感を呼んだのだ。
共感の力は人を動かす。
するとコツを掴んだのか、ティッシュ配りのお兄さんは少し離れたところに置いていた、ティッシュが大量に入った紙袋をおもむろに持ち出してきた。
そして自分の目の前にどんと置き、彼は駅前に響き渡る大きな声でこう言った。
「皆さ〜ん!本日もお疲れ様で〜す!! 僕はこのティッシュを全部配り終えるまで家に帰れませ〜ん!! もしよろしければ、みなさん、僕にお力を貸していただけませんか〜?? もう手が悴んで一刻も早く帰りたいで〜す!!」
一斉に駅前の街ゆく人々が彼を見た。
彼はそう言い放つと、同じようなことを繰り返し喧伝しながら、ティッシュ配りを再開した。するとどうだろうか。
みるみるうちに、人々は大道芸にお気持ちの投げ銭を渡すかのように、笑顔で彼に歩み寄り、ティッシュを受け取っては「頑張ってください!」と言って、彼の周りにはちょっとした人集りができた。皆が彼の仕事を見守っていた。
それから、ほんの数分のうちにティッシュは完売した。(無料だが)
彼はティッシュを配るだけはなく、仕事帰りの人々に不思議な笑顔までも配ったのだ。
彼は「こちらが最後の一個になりま〜す!!」と大声をあげて、最後の一個を高々と掲げて周囲の観衆に見せた。そして一人の通行人に手渡した。
するとどこからともなく拍手が沸き上がり、駅前は謎の一体感に包まれた。最後の一個をもらった女性もなんだか誇らしげな顔をしていた。
一部始終を観察していた僕も、不思議と微笑みながら拍手をしてしまっていた。
彼は「皆様!ご協力ありがとうございました!!」と笑顔で深くお辞儀をして、空の紙袋を片手に、どこかへと消えていった。
不思議なものを見た。工夫ひとつで、世界は変わるんだ。
いや、工夫だけではない。彼は常識からはみ出ることを恐れなかった。
僕はいいものを見たなと思いながら、また寒すぎる駅前を歩きはじめた。茜色だった空はもう黒がかった群青色に染まりつつある。良いお年を。
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