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佐川の仕事で先輩だったYさんへ・・・✉

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どこの営業店だかセンターなのかわからないけど、佐川急便では外国人留学生を全員解雇にしたところがあるようです。僕達が佐川急便で働いてた頃といえば暴力と暴言の日常で、具体的に業者名を挙げるとヨシモト興業なんか毎日のように人が殴られていましたね・・・。
僕と先輩が佐川を去って14年、未だ佐川急便の本質は変わってないみたいです。渡邊美樹は佐川の出身ですが、ワタミでは過労自殺を出してしまったし、佐川の呪いの恐ろしさって言うのは、14年経った今でも悲しいくらいに実感します。
思えば先輩が僕を同じチームに抜擢し、日々狂気に満ちた日常を過ごす中、初めてのサシ呑みを誘ったのは僕でした。どうして後輩である僕が先輩を飲みに誘おうと思ったのか、今ではよくわからないんですが、おかげで何度か一緒に呑むことができましたね。
先輩が佐川を去る直前、北多摩に引っ越しすると言ったとき、3DKで家賃が7万円と教えてもらったことで、僕は多摩ニュータウンが引っ越し場所として選択できるようになりました。
奇しくも腰を壊したことで重労働から離れる必要ができ、東京都での仕事はコールセンターを始めたのですが、いつしか僕は不安障害に苛まれ、パロキセチンやレキソタンを飲む生活を過ごしました。勤めていた会社は解雇となり、別のコールセンターで9ヶ月、夢真HDでの2ヶ月を経て、ITの世界に入っていくわけです。
ところがここでもまた問題が起きました。在特会系右翼団体の民族浄化デモが会社の窓ガラス一枚隔てた向こうで行われることになり、僕は政治闘争に身を投じることとなりました。
佐川を離れ、暴力から身を置いたと思えば、また闘争。闘争にかまけている内にまた体を壊して再転職。最近、都下で閑職に就けたおかげで、ようやく身の回りが少し平和になりました。尤も、このタイミングで今、新たな問題が発生してるんですけどね・・・。

iPadAir2砺波市⑦

いま佐川急便時代を振り返って先輩が強いなと思えたところは、貴方が恋多き人だったということです。
僕と先輩と鷹さん、3人でよくつるんでいましたが、僕も鷹さんも「ふつうへのかえりかた」が良くわからなかったんですね。恋多き貴方でしたから、佐川を去った後、きっと良いお相手に巡り合えたんじゃないかと思います。
鷹さんはまだ佐川にいるのでしょうか。彼はとても不器用だっただけに、正直ちょっと心配です。
僕は「ふつうへのかえりかた」がわからなくなりました。あれから14年、もし叶うのならば、近況報告もかねて、貴方ともう一回飲みたいです。
一足早く「ふつうのくらし」へ向かった貴方に相談もかねて、また一杯。
どこかで飲めると良いですね。

                       センチュリー・大橋より

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