未だ13歳の少女に一歩も追いつけぬ私✡
皆さんジブリのヒロイン好きですか?
ジブリには魅力的なヒロインが多いですよね。
勝手な予想ですが、ジブリヒロインで最も人気が高そうなのはナウシカじゃないかと思っております。
ナウシカと言えば宮崎駿の性癖・・・もとい、理想が詰め込まれたヒロインなので、その分、ナウシカの人気は凄いんだろうなと、勝手に想像しているわけですが、実は私が一番好きなジブリヒロインはキキなのです。
魔女の宅急便の主人公であるキキは、13歳にして魔女修行のために見知らぬ街に行き、そこで社会生活をスタートさせるわけです。
このキキ大好きさで中学生の時に赤面しながら絵本を買ってしまい、それはもう中学時代はキキが大好きだったのです。
さて、中学の時、私がキキに抱いていた感情は「異性として好き」な感情とは別に、もう一つの感情がありました。
それは私の思う「理想の社会人の姿を体現した存在としてのキキ」です。
そしてそれから30年近くが経った今、キキを見て思うのが、なんとも情けない「会社人としての私」がいるだけだったのです。
🏙ぶっちゃけ社会人としての自覚はない
人間というのは、就職浪人でもして引きこもりにでもならない限り、いずれは労働者となり、その時から「社会人」などと呼ばれるようになります。
私は高卒で就職しましたから、18歳の時から「社会人としての自覚」なんてものを求められるようになったわけですが、この「社会人としての自覚」なんてものが、働くようになって20年以上経過した今ですら、ただの一度も実感として湧いたことがないんですよね。
これはね、大阪で働くようになった今でもそうです。
川崎勤務時代、自分は政治活動に首を突っ込んでましたけど、ではそうしたロビー活動などをしていた頃をして「自分は社会人になった」と思えたのかと言うと、やはり何か違うような気がしており、果たして「社会人とはなんなのか」と言う本末転倒な疑問を持つにいたります。
🐸少なくとも内勤は「社会」からは断絶される
働くようになってから就いた仕事を振り返って見ると、大半は構内で作業するものばかりでしたね。
こうして構内で働く仕事ばかりしていると何が起こるかって言うと、休日は主体的に社外の人と付き合うようにしないと「社会から断絶される」って言うことです。
「社会人」という言葉に反して「社会の事を何も知らない」状態になりますし、ともすれば「窓ガラス1枚隔てた向こうのことすら知らなかった」なんてことが起こります。
幸いITの世界にいると、Connpassを通じてIT勉強会に参加する機会は持てたりするので、エンジニアコミュニティに参加出来たりもしますけど、そういうコミュニティに顔を出してみないと、本当に井の中の蛙となってしまいます。
🏢所詮自分は[会社人]に過ぎない
キキを理想としつつもキキと比較した今の自分は、まぁ情けないサラリーマンの姿をしたものです。
例のウイルスでエンジニアの勉強会もあまりなくなってしまいましたし、或いは関西に引っ越した時点で政治闘争の現場からも身を引いてしまった為、会社と家の往復しかしてないわけです。
「こらアカン・・・」
とは思うのですが、何か行動が伴っているわけでもなく、気が付けば関西に来て1年が経過してますね。
こう言ってはなんですが、今の私はキキやおソノさん夫婦より収入は断然良いとは思うんですよ。
高卒の私が大卒社員と同等の年収を貰えるようになってるってのがIT業界の恩恵ってモンだし、なんだかんだで「IT自体」は楽しいものです。
でも私が今のところ「会社人でしかない」というところが揺らがないんですよね。
🚛IT業界よりもキキのやっていることの方が価値がある
今にして思えばキキはUberEatsの先駆け的なことをやっていたと思いますが、それはそれとして、別にUberEatsそのものに価値があるってわけではないと思います。現実問題としてUberEatsはほぼ単なるデリバリーですし、家から出たくない人は面倒事が省けて良いって言う利点があるに過ぎないです。
前の会社(というか常駐先)でやっていたことと違い、今の会社で私がやっていることは、確かに何かしらの価値があるのは間違いありません。
ただ、それはキキやおソノさん家のパン屋さんがやっているような、誰かを豊かにする仕事かどうかというと、ちょっと違います。
尤も、魔女宅の世界では資本主義の影響力はそんなに強くはないとは思うのですけども、それはそれとして、現実世界に生きる我々は資本主義に飲み込まれ、競争(ケンカ)に明け暮れ、ストレスに潰されて、大人であることに疲れて生きているわけです。
こんな大人を目指していたはずではないのですが、現実は現実として重く受け止めなければなりません。
思えば魔女宅の魔女修行は面白いものです。
普通に魔力修行をやるなら社会になんか出ず、悟りの修行でもしていた方が効率的でしょうが、あの世界は「社会に出る」ということが魔女修行なのです。
資本主義に飲み込まれた私たちは気が付けば「会社」しか見なくなり、競争に明け暮れる中で、実際には「社会」から隔絶されていることに気付くのです。
だからキキは私などより何歩も前を飛んでいます。
少なくとも私は未だ、13歳の少女に一歩も追いついてないということを、京都に移って1年経った時に、よく気付かされることとなりました。
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