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過越の食事のひみつ

今日の御言葉は、旧約聖書出エジプト記12:21~28 です。
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27『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。民はひれ伏して礼拝した。
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🐏:「過越の食事」っていうと、ぼくはイエスさまが十字架に着く前の「過越の食事」のイメージがあるな。

👧:(マルコ14:12)弟子たちがイエスさまに、「過越しの食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と聞いたら、イエスさまがおっしゃった通りに、席が用意されていたって話だね。
「過越の食事」には、ぼくたちの「救い」の大切な意味があるんだ。

🐏:イエスさまが弟子たちとした「過越の食事」と、一番最初の「過越の食事」ってつながりがあるのかな?

👧:一番最初の「過越の食事」はね、神さまが、神さまの民に、教えた食事なんだよ。

神さまの民が、エジプトで奴隷の生活をして苦しんでいた。神さまはモーセを、神さまの民をエジプトから脱出させるリーダーにした。
神さまの不思議なわざ、血の川の災い、カエルの災いや、イナゴの災い・・・、そのたびにエジプトの王ファラオは、「イスラエルの民は出て行け!」と言うのですが、災いが消えると、「・・・・、いや、やっぱりダメだ」を繰り返します。

そして、ファラオの心がかたくななので、神さまは「エジプト人の初子(=初めて生まれた子ども)を全員殺す」という最後の、一番つらい、災いをくだされたんだ。

そのころ、神さまに大切な礼拝をするときは、子羊か山羊をいけにえとして殺して焼くことになっていました。
神さまはモーセを通じて、神さまの民にこう言いました。
「神の民の家族は、それぞれの家で、子羊を殺していけにえとして、捧げなさい。その血を枝にひたして、玄関に塗りなさい。それが、あなたたちを救うことになる。」
神さまの民は、言われた通りにしました。
神さまはその夜、エジプトのすべての初子を撃ったのですが、イスラエルの民の家は子羊の血のしるしによって、区別されていました。
イスラエルの民の家には、何もせず「通り越す=過ぎ越して」行かれたのです。

子羊の血のしるしのないエジプトの家では、初子が撃たれました。
エジプトの王ファラオの息子も死にました。家畜の初子も死にました。
エジプト人はどこの家からも悲しみの泣き声が聞こえます。
ついに、エジプトの王も 「出て行け!出て行って、あなたの神に仕えるがいい」 と言ったので、気が変わらないうちにそのまま神の民はエジプトを脱出することになりました。

この「過越しの食事」は、子羊の血を玄関に塗った家は、神さまが「過ぎ越され、救われた」ことを記念すること、神さまが神の民を「エジプトから救い出された」ことを記念するために、毎年大切に行うように言われ、神さまの民は、それを大切にして、親から子へ語り継がれてきたんだ。

🐏:ふ~ん。子羊の血が塗られた玄関を神さまが「過ぎ越された」から、「過越の食事」って言うんだ。
そういえば、「いけにえの子羊」って、イエスさまの十字架のことをさして言うよね。

👧:そう!よく聖書を読んでいるね。イエスさまは罪がないのに、罪があるわたしたちを救うために、「いけにえの子羊」になって、十字架についてくださったんだ。
そのことを、私たちにしっかり理解させるために、十字架に着く前のイエスさまは、「過越の食事」を弟子たちと一緒にしてくださったんだよ。過越の食事」を弟子たちと一緒にしてくださったんだよ。

🐏:ずっとずっと昔、エジプト脱出のときに神さまがなさった「過越の救い」と、イエスさまが「いけにえの子羊」になってくださった「十字架の救い」が、つながるんだね!
ぼく、このドキドキするお話の、本当の意味がわかって・・・、「神さま、イエスさま、ありがとう!」って言いたいよ。

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⛪天の父なる神さま
わたしたちは、旧約聖書のエジプト脱出での過越しのできごとから、神さまの救いの御業を聞きました。イエスさまが、いけにえの子羊となって、わたしたちを救って下さいました。わたしたちの教会は、主の日ごとに、神さまの救いの御業を聴き、感謝して、礼拝します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によって、祈ります。アーメン