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【何故、カフェを作ったの??】エピソード1

こんにちわ!!


今日の熊本はまさに春!街中をTシャツ1枚で歩いていらっしゃる方も多く、雲ひとつ無い、晴れ晴れとした日でございます。

皆さまはどのようにお過ごしでいらっしゃいますか?^^

私は定休日を利用して本を読んだり、買い出しをしながらフラッとまだ行った事の無いお店へお邪魔したり♪のんびり、ゴールの無い時間を楽しんでおります。


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さて、初回のテキストでは【初陣】というタイトルで簡単な自己紹介をさせて頂きました。見てくださった皆さま、本当にありがとうございます。

もしまだ見ていらっしゃらない方、是非一つ前に戻って頂き、【初陣】もチェックして頂けますと幸いでございます。


早速ですが、今回のテキストのタイトル【何故、お店を作ったの??】。

こちらについて詳しお話をさせて頂けたらと思います。


先に結論からお伝えすると、

自分の人生を生きて、価値ある仕事をしつづけたい。

真剣に今を生きている方々のお力添えができる様なサービスを提供していきたい。

まさにこれを実現したい為にお店を作る事に決めました。


自分の命と人生は、結局は自分しか守れないし、周りの人達に流されていたら都合の良い様に利用されて終わってしまう。ましてや私の学歴と経歴で勤められる仕事は(務めていた数々の仕事は)、何処に行ってもお客様を搾取したり、会社に搾取され続けて行く仕事しか出来ない。給与も少なく将来も見通しが見えない。本当に自信を持って”この仕事をしているんだ!”と言える仕事は自分で作るしかない。。。そして私と関わる方々を裏切るような事はしたくない。。。

高校を卒業してから直近の職場でのサラリーマンをしていた全ての職業経験と人生を基にして、本気でこの様に思っていたのです。(今も思っています。)


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私の深く深く、心のダイヤモンドになっているこの思いをお伝えするには、16年前に遡る必要があります。


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当時20歳だった私は音楽を本気でやっていた、いわゆるバンドマン。


最終的には、デジタルエモーショナルロック系の音楽をやっていたのですが、私が25歳くらいの時に約6年間のバンド活動を辞める決断を行いました。

19歳から25歳まで、脇芽をふらず、ずーーーーーっと音楽と向き合っていましたので、辞める決断はとてもエネルギーを必要とし。辛すぎる決断でしたが、何故か肩の荷がおりたような、そんな感覚だったのを覚えています。


辞めた理由は音楽活動を継続して行く為に重ねに重ねてきた借金に耐えられなくなった事と、音楽を進めて行く上での展望を描けなくなったという理由。


※余談※どれだけお金が無かったかという笑話---------

日雇いバイトで祭りのテキ屋の仕事をした事があります。その際、私だけご飯や飲み物を買うお金が一切なかった為、無一文丸腰で仕事をしていました。真夏のテナント設営で喉がカラカラになった時です。かき氷専用の氷は、氷が解けないように石灰でコーティングして分厚い紙袋に入れて納品されていて。周りの怖い人達と可愛いテキ屋で働いている女の子の目を盗んで、かき氷が入っていた分厚い紙袋に顔を突っ込んで石灰まみれの水を飲んで水分を補給したり、会場に溜まった水たまりの水を手ですくって渇きを補っていました。それ以降、どんな仕事でも出来るようになり、バカにされてもメゲない精神力を持つ事が出来ました。笑

今では考えられませんが。。。電波少年という番組の猿岩石の様でした。笑

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このマガジンの中に入っている記事で完結しています。

何故カフェを出店しようと考えたのか。 ちょっぴり恥ずかしいけど本当の事を書いています。 やっぱり、少し自分の都合の良いように書いちゃって…

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