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キセキを見逃したくないから、私はライブに行く

私の人生の約8割は音楽で形作られている。
そしてその8割の中でこれからもずっと大事にしていたいことは、ライブに足を運ぶことだ。

ライブ会場は、色んなキセキが溢れている場所だと思っている。

私はアーティストの軌跡を見逃したくない。
アーティストにとって、これまでの日々は一体どんな時間だったんだろう。私には到底想像しても仕切れない。
ライブとは、そのアーティストが、どんな思いで曲を書いてきたのか、このライブまでの間で一体何を見て何を得て何を感じて、何を失って何を諦めてきたのか、知る由なんてない彼等の「これまで」をほんの少しだけ垣間見ることができる場所だと思っている。

そして同時に、自ずと一つ一つのライブで魅せる表情はもちろん違っているからこそ、その日のそのライブでしか見られない彼等の「今」を私は見逃したくない。この瞬間にしか存在しない彼等の今を、この目に焼き付けたい。
だいすきだからこそ、責任を持って彼等が届けてくれるものを受け取りたいと、どうしても思ってしまうのだ。


私は観客が引き起こす奇跡を見逃したくない。
会場にいるほとんどの人が、ある一点を見つめて、温かい視線で集まる空間。会ったこともない、生まれも育ちも異なる他人が、それぞれの感情を抱きながらも、皆一つのステージを見つめている。

温かい視線が一点に集まるその根本には、みんな音楽を愛しているという思いだけが共通しているのかもしれない。いやもはや共通していなくても、一つの空間に大勢の視線が一点に集中することで生まれる奇跡を、私は知ってしまっているからこそ、これからも見逃したくない。


私は当たり前じゃないこの空間の奇跡を忘れたくない。
一時無くなったからこそ感じるこの感謝を、当たり前じゃないこの祝祭空間を作ってくれているのは同じ人間である奇跡を、私は忘れたくない。

忘れたくない忘れたくない忘れたくない。
そうやって願っていても明日の朝になれば大抵のことは忘れてしまう。彼がMCで言った言葉も、自分自身が人混みの中で天を仰ぎながら感じたことも、風に靡かれながら受け取ったあのメロディも。
でもそれでも、心にずっと残っている何かがあるからこそ、私はライブに足を運び続けるんだと思う。


キセキを見逃さないように、心に残る何かを思い出すために、ライブに足を運ぶ選択をできる自分が私は誇らしく、そんな自分に恥ずかしいくらいワクワクする。


そうやってキセキを目の当たりにしたその瞬間、世界はどうしようもなく美しいと思えるんだ。
 

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