NOと言えるすばらしさを
「きょうは ようちえん いかないよ。」
毎朝のようにその一言からはじまるわが家。
4才の息子は、2才の後半から約1年半の間、登園拒否をしていた。
そしていろいろ悩んだ末に、この5月から登園を再開している。
引っ越しをしたこともあり、いままでよりゆったりとした園に転園したものの、やはり『毎日幼稚園に行く』というリズム自体が本人にとって不服なようで、再開してからここまでほぼ毎朝「きょうは いかない。」とうったえる息子。
なんとかなだめすかして行ってしまいさえすれば、結局はたのしく過ごして、お迎えに行くころには「まだ あそぶ!」と言うのに。
翌朝になるとまた振り出しにもどって「いかない。」と言う心理がわからず、毎朝のように頭をかかえるわたし。
それでもやはり、ちゃんとNOと言えることってすばらしいよな、と、この歌を聞いてあらためて思った。
『ぼくのお日さま』 -ハンバートハンバートー
だいじなことを
言おうとすると
こ こ こ ことばが
の の の のどにつまる
こみ上げる気持ちで
ぼくの胸はもうつぶれそう
きらいなときはノーと
好きなら好きと言えたら
ひとことも言えないで
ぼくは今日もただ笑ってる
きらいなときはノーと
好きなら好きと言えたら
吃音をテーマにしてつくられたこの歌は、そうでない人の胸もうつ、シンプルだけど力強いメッセージがあるようにかんじる。
ケンカをしたり、ごはんをイヤがって食べなかったりするときなども、ついそれを咎めてしまう気持ちになるけれど。
その前にまず、自分のきもちを自分の言葉でちゃんと言えるすばらしさを讃えてあげたい。
「イヤなんだね。」
ただその一言だけで、ほんとうはいいはずなんだ。
他の言葉はなにもいらない。
イヤなことはイヤと言えなければ、好きなことも好きとはきっと言えないから。
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