弱音の一雫
弱さの開示は、世界とのつながりを生むチカラになると思っている。
たとえば道で転んで泣いている子どものように、痛いものは痛いと言っていい。悲しいときは悲しいとさけんでいい。
他人から「そんなことくらいで」と言われるような理由は何もないし、「もっと大変な思いをしている人がいるんだから」とかも全く関係ない。
たとえ目に見えるケガがなくても、そこから血が出ていなくても、痛いものは痛いのだ。悲しいことは悲しいのだ。
「そんなことくらいで」と思っているのは、もしかしたら自分自身じゃない?
自分で思っているより、世界はずっと優しい。
「痛かったね。悲しかったね。」って言ってくれる人は必ずどこかにいるから。
私の痛みは私だけのもの。あなたの痛みはあなただけのもの。
そこに理由はいらなくて、誰かと比べるものなんかじゃなくて。
堂々とさけんでいいのだ。
「たすけて」って言っていいのだ。
あなたが落とした弱音の一雫に触れた誰かが、無意識に蓋をしていた辛さや重さを開放するきっかけになることだって、きっとある。
そうしてそれが、やさしい波紋をひろげていく。
世界ってそうやってつながっていくものなんじゃないかと思うから。
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