240416人体のひとつくらい
ぼんやり信号待ちをしていたら、横でガシャンと音がした。おじいさんがこけていた。
こけた、というよりもう少しおおごとかもしれない。大きめの電動自転車が覆い被さっている。そこは幹線道路。信号が変わるとともにバンバン車がやってきた。
駆け寄る。大丈夫ですかと声をかける。反応がない。つかまってくださいと手を差し出す。反応がない。こちらから手をとる。反応がない。どうやら自力で立ち上がれない。車道。こわい。
おじいさんの脇から手をいれる。持ち上がらない。電動自転車をどけようとする。重い。ダメだ非力すぎる。買い物袋の中でメシャッと音がした。直前に買った小松菜が折れた音だ。なんなら心も折れている。
再び信号が変わり、横断歩道の向こう側にいた人が駆けつけてくれた。大人4,5人が協力し、おじいさんを抱きかかえ、自転車を起こし、救急車を呼んだ。
セメントが最中何を考えていたかといえば、おじいさん大丈夫かなとか、自分は何をできるだろうとか、そういったことではない。
人間って重いな!と思っていた。痩せてるおじいさんなのに全然持ち上がらなかった。金田一の犯人って本当に大変なんだなとも思った。セメント、本棚とかベッドとか自分よりでかいものをひとりで粗大ごみ置き場まで持っていけるのに。一人暮らしって何でもひとりでできるようになっちゃったなと思ってたのに。
ひとりで生きるなら、人体のひとつくらい運べるようにならないとね。
帰り道に思ったが、あのおじいさんに見覚えがある。多分1年以上前、ほとんど同じ場所で同じように自転車でコケていたのを、同じようにセメントが起こした。思いだした。そのときは起こせた。コケながら生きているおじいさんなんだなと思った。
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