初対面の女性に敗北した

はじめに

20代後半。社会人。童貞。彼女なし。

最近、体も脳も徐々に若くなくなってきていると感じている。ご飯をよそおうと炊飯器の蓋を開けたと思ったら、ごみ箱の蓋を開けていた。醤油とコップを片付けようとしたら、コップを調味料置きに、醤油を流し台に置いていた。

まずい。しかし、絶望してはならない。希望は大切だ。そう『ショーシャンクの空に』は教えてくれた。

以前、横浜で占いに行ったら、易の結果から「今年中に彼女ができるかもしれない。ネットでも何でも、あらゆる手段を駆使して出会ったほうがいい」と助言を賜った。

過去は変えられないが、未来は変えられる。私たちは自分自身を、ひいては社会をよりよくしようと日々生きている。

出会おう。自分のために。社会のために。未来のために。

そんなわけで、マッチングアプリを通じて女性を会った。

現場まで

いくつかのマッチングアプリを併用して、本格的に動き始めた。そして、実際に会った。今回は初回ではなかったため、それほど緊張はなかった。

8月。久しぶりの連休中の夕方、むしろ私は、若干仕事に行くようなテンションですらあった。それほど乗り気でなかったのかもしれない。それも相手に悟られてしまったのかもしれない。

電車で移動する中、チャールズ・ライト・ミルズの『社会学的想像力』(ちくま学芸文庫、2017)を読んでいた。私が童貞であるという私的問題は、実は社会的な問題と関連があるのかもしれない。童貞は増えているだろう。なぜそれが公的な問題と関連付けられないのだ。社会科学者よ、嚆矢となる議論を公衆に投げかけてくれ。菅総理よ、解決に向けて動いてくれ。そのための機関だろうが、日本学術会議は。

現場

会う場所は、丸の内の地下にある随分と洒落た店だった。昼食とも夕食ともつかない時刻だったため、食事は頼まずに軽食でトークを開始した。

お互いの仕事の話。休日の過ごし方。などなど。

社会人になり、初対面の人と日によっては数十人と接することすらあるため、人並みにコミュニケーションを取ることは平気になってきていた。徐々に打ち解けてきて、笑いを取ることすらできるようになっていた。ほら、占い通り、彼女できちゃうんじゃねえか、そんな風に思っていた。

敗北トーク

お相手の女性は大阪府出身であった。私も関西圏に知り合いがおり、幼少期から何度か関西には行っていたため、ある程度関西トークに乗っかることができた。

そんな中、テレビ番組の話題を振ってみた。関西のテレビでしか見たことがない芸人は、関東の人間からすると何人かいる。月亭八光、円広志、桂南光、桂小枝・・・。それが関西ローカル番組の良さでもある。

以前、関西に数日滞在した際、朝食後にホテルでくつろぎながらテレビを流していた。朝のテレビというものは、気を引く情報の時のみテレビに目が行く。そのように私は捉えていた。
だが、その常識は覆されてしまった。うるさいのである。うるさすぎるのだ。こちらの脳みそをこじ開けて円広志が入ってくる。朝食後にホテルのベッドで見る番組ではないのだ。

人間国宝って言われてる素人を芸人が訪ねるコーナーやら、いきなりおばちゃんがシンガポールに行くコーナーやらをやっていた。もう全てがうるさい。音圧マックスなのである。中田ヤスタカの楽曲バリである。たむけんもグラサンしてないし。

そんな体験があったため、あえて関西出身のお相手の女性に、その話題を振ってみた。すると、「関東の朝のテレビはつまらない。みんな散歩している」と返ってきた。

ぐっ。

負けてしまった。

確かにそうだよ。加山も国分も高田も舞の海も有吉もタカトシも散歩してるよ。下手すりゃ夜には蛭子もマルシアも散歩してるよ。

俺も散歩は高田と蛭子しか見てないよ。

相手は僕が予想した以上に大阪人だったのだ。仕事で少しコミュニケーション能力をつけた程度の関東人が、コミュニケーションのプロである関西人に勝てるわけがなかったのだ。

「僕も朝昼の関東のテレビは見てないです。つまんないですもん」

こう返すしかなかった。負けてしまった。

そりゃそうだろう。大阪のおばはんがシンガポールに行く番組のほうが、原宿の甘い食いもん紹介している番組より面白いだろう。そりゃそう思うよ。

終劇

とはいえ、なんだかんだ会話をして、帰る時刻になった。一応連絡先の交換を提案すると、少し間があった後に「あー、そうですね」というテンションで交換することになった。

敗北してしまった。

でももう大丈夫だ。万事これでいいのだ。闘いは終わった。彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、<ビッグ・ブラザー>を愛していた。(ジョージ・オーウェル『1984年』より)

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