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エッセイのように生きる

暇です。コロナで自粛を始めてから早1ヶ月。知り合いと会えたのはたまたま出くわした2回だけ。家ではゴロゴロしたり、プログラミングしたり。確かに環境は変わったので、最初の2週間は新鮮な気持ちになりました。でも今は特に新しいことをしているわけでもない。そんな毎日を過ごしています。

「そう悪くないんじゃないか?」そんな方もいるかもしれません。
しかしこの弊害が思わぬところに出ています。ビデオ電話です。笑

人と会えない時間が多くて寂しい。独り暮らしの大学生なので、大学があるだけで当たり前のように友達に会える分、寂しさが余計に際立ちます。
だからビデオ通話したいじゃないですか!とにかく人と話がしたいのです。

では、弊害とは何かと言うと、とにかく話す内容が浮かばないんです。笑

1回目の電話はまだいいんです。常套句、「最近何してる?」を使えばいい。問題は2回目以降なんです。同じメンバーと電話しようものなら、「"最近何してる?"も何も自粛してるから変わんねーよ」という状態がみんなに起こるわけです。経験したことありませんか?笑

これは本当に深刻で、普通に生活してたら、1つか2つくらい新しい発見はあります。仕事、恋愛、趣味、遊び、人間関係などなど、、しかし今ではそれも抑圧されて毎日に変化がありません。すると、ただ無駄話をしたいだけなのに、面白い無駄が生まれていないから話しようがないのです。

エッセイのように生きる

でも、きっと1人での生活だってそんな単純じゃないはずです。世界一周や長期間海外にホームステイなどするのが、自分探しに役立つ理由は「時間」です。時間があるから、暇だから、自分のことを見つめ直す時間が取れる、そういうものだと思ってます。今はどうでしょうか?

通勤時間がなくなり、無駄な外出も無くなり、「時間」があります。時間だけはたくさんあるのです。こんな時こそ、多忙な毎日で耳を貸せなかった自分の気持ちの機微を感じ取ることができるかもしれません。

昨日電話してた友達が、「〇〇ってエッセイみたいに生きてるよね」と言われていたのですが、日々の生活の中で自分の感情を丁寧に汲み取り、発信しているからだと思うんです。その友達の話は、普段の何気ないに日常だけど、、面白い。でも他の人だって同じような話ができるはずです。コロナで家に籠ってるからこその新しい発見、気づき、些細な笑い話。そういった小さな出来事に目を向けていくいい機会だと思っています。

いつもとは話す内容が違うかもしれない。でもそういった些細な変化に気づけるようになることも楽しく生きるウィズコロナの処世術のはずです。些細なことでも、話題にし、たまにはビデオ電話で共有して楽しみながら、自粛生活を乗り越えましょう!


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