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無職になったら何をするだろうか?

こんばんは、きたかわです。今日はこの10年の間に積み重なった小さな、でも考えるべきだろうなという悩みについて書きたいと思います。

私はこれまで会社員だけれど、なんとなく会社員をやっていて、それはお金のためで、でも転職を2回しても、インターン含めて7社の会社、会社規模もビジネスフェーズもそれぞれ異なる会社を経験しても、いつも何か足りない感じがしていました。

そうしたらついに、“無職”になりました。

無職といっても、本当に職を失ったわけではありません。来週からの自分の仕事がなくなってしまったのです。

コンサルタントとしてクリティカルな場面のはず。それは十分に理解しているのですが、正直なところ「あー、どうしよっかなー」という感じ。そして実は今自分はとてもラッキーなのではないか、と思っています。


3つのポートフォリオを作るための時間

私には目標があります。経済的自由を手に入れたい。そのためにビジネスモデルの異なる3つの仕事をしていこう、と思っています。

一つは労働集約型の仕事、一つはそうじゃない仕事、一つはまだ分からないですが、ハイブリッドか、もしくは今まだないビジネスをやってみるのも面白いかもしれないですね。とにかくお金の出どころをどうにかして多様化させて依存しないようにしたいと考えています。

一方で、じゃあそれってどこからタネを持ってくるのかというと、自分の続けられること、続けても苦ではないようなジャンルなのかなと。最近Twitterでもよく言われていることですね。確かにそうだよな〜といろんな方のキャリア論とかを横目に見ながら、いざ自分が“無職”期間になって、はたと次のようなことを思いました。

自分、好きなこと、ない。

小さな、それでいてとても長い期間持っていた悩み

好きなこと、ない。と言っておきながらなんですが、私は好きなものはあります。音楽を聞かないと精神的にしんでしまうし、体を動かすことが好きです。服も好きですし、本を読むことも、絵画を見ることも好きです。哲学も好きです。食べることも好きです。

他にもたくさん好きなことがあるのに、私はどれ一つとして語れることがありません。「xx好きなんだよね!」で、会話が終了。決して、興味がないわけではないのですが、例えば好きなアーティストの細々とした情報が表現は正確ではないかもしれないですが覚えられないのです。だから、好きなことが新しい何かに発展したり昇華することがないのではないかと、なんとなく、感じるようになってきました。


染まることが怖い

なぜ語ることができないのか。その答えは、一つは話す人がいないから、つまりはコミュニティやグループに入ることが苦手なことがあるのかな、と思っています。

小さい頃から「あなたはこうだから」と優等生的に育てられてきたからでしょうか、画一的な物の見方にとても抵抗があります。自分はもっともっとたくさんの可能性や一面があるのになぜそれを無視されなければならないのか、とよく憤っていたものです。

だからこそ、自らむしろ引いて、受け入れてもらって次の段階にいきそうだと思ったら踏みとどまる、そんなことを繰り返してきたのかもしれません。だから浅いところで終わってしまっていたのかも。深く語れるようになる人はそう数はいないので、よりコミュニティに入っていかないと探せないのに。要は、語りたいことを語る前に、語りたいことを語れる人に出会う前にその場から立ち去ってしまっていたんですね。


怖くてもい続けてみる

最近、あるコミュニティにお邪魔させてもらうようになりました。週に1回、2回くらい顔を出しています。3ヶ月くらい経ちましたがうまくいくときもいかないときもありました。それでも、通ってみて、時には何もしない、時には積極的に動く、ことをしていって、なんとなく自分が受け入れられるような実感を持てるようになってきました。相手のひとたちとの会話で、それは自分の思い込みではないと思います。

話がだいぶ逸れましたが、無職期間になって、そういったふらっと立ち寄れるコミュニティは自分はいくつあるだろうか? と思いました。

たくさんの「好き」がある中で、今コミュニティであったりTwitterで何か発信できたりするようなことが何ひとつありません。依存がいやだと言いながら、結局仕事に依存していたのだと思います。甘えていたのだと思います。仕事、やらなくちゃいけないものだからね、と。


life is short.

life is short. 無職期間になってこうして自分の今の状態を言語化してみて、やっぱりそうだよな、と思いました。気づいてたよ、と思いました。

もしかしたら、昔の自分だったら、いや、それは自分の記憶力が悪いからだ・・・とかなんとか、よく分からない抵抗をしていたかもしれないです。でも今では、大人になって自分のことを受け入れてくれる人が少しずつ少しずつ増えて、変なプライドで自分を守らなくてもよくなったからか、こうして言語化することができています。

多分今、なんだと思います。好きなことを好きと正直に言って、自分がこだわって好きです、とか、このディティールが好きなんです、とか言えるものを探し始めるのは。

Life is journey to seek something (special to me).

今回無職になって週末を過ごしてみて、何も仕事のことを心配することがなくて、(いや ここは中途半端にちょっと心配してしまってほんの少し勉強したのですけど)自分にぴったりとくるものを探していったり、何か疑問や足りないものにフィットするものを探していく旅なんだな〜とぼんやり思いました。

自分と同じものを探しているひとなんか誰もいなくて、変に思われるかもしれないけれど、少なくとも寛容な人はいてくれるはず、と信じて少しずつ探していく途中で何かを共有できる人と出会えたらいいなあ、できたらそんな人とできるだけ長くお付き合いしていけたらいいなあ、と思います。


そのための発信は、サボらないようにしたい所存...
少しずつ「好き」を語れるようになっていきたいですね。今回ばかりは、どこかにい続けてみたいと思っています。



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