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【ミェチスワフ・ホルショフスキ, 1892-1993🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ15】

伝説的ピアニストの一人,ミェチスワフ・ホルショフスキ(Mieczysław Horszowski, 1892-1993)はオーストリア=ハンガリー帝国(現ウクライナ, リヴィウ)で,ユダヤ系の家庭に生まれた。

ホルショフスキは,自身はポーランド出身であると説明しているらしい。リヴィウ付近の国境は頻繁に変わっているが,1919年にポーランド・ウクライナ戦争後,1939年にドイツに占領されるまでの間ポーランド領だった。この期間がちょうど若きホルショフスキの活動の時期重なるので,ポーランド出身と称するのは尤もだ。

母親はショパンの直弟子カール・ミクリにピアノを学んだとのことなのでポーランド出身なのかなと思う。ちなみにホルショフスキ自身は,ベートーヴェンの弟子のチェルニーの弟子のレシェティツキに師事している。えーと,要はベートーヴェンの曾孫弟子ということだ。

4歳のときにすでに神童として有名だったらしいが,パリに住んでいた20歳頃はアンリ・ベルクソンの講義に夢中になり,文学や哲学の勉強をするために演奏を中断している。(当時,ベルクソンの講義は大勢の人が押し寄せる名物講義だったらしい)
このエピソードから想像できるように,超絶技巧的な腕前を披露するようなタイプではなく,知性と感性が絶妙にバランスのとれた自然な演奏スタイル。カザルスとの共演による室内楽曲の名演も数多く残している。

カザルスが一時期政治的理由で演奏活動をやめていたときに,プラド音楽祭を企画してカザルスに演奏活動を再開させたのもホルショフスキ。

99歳まで演奏会を開催し,日本には95歳(!)のときに来日している。当時,室内楽にあまり興味がなかった無知な僕はホルショフスキのことをあまり知らず,興味はあったものの年齢を全面に出して国内での宣伝に少し嫌気を感じてコンサートには行かなかった。

その後,友人から「ホロヴィッツのコンサートに行くよりこちらに行くべきだったぞ」と言われて悔しかったのを覚えている。当時,テレビでも特集番組が組まれてライブ録画も放映された。実際,録画を見るだけでも素晴らしい演奏で,自分の無知が悔やまれた。まぁ,人生こんなことばかりだ。

動画(動かないけど)は平均律2巻の抜粋。静かに息をするように歌っている美しい演奏。1956年の演奏。


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