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ウクライナの芸術家シリーズ

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ロシアの芸術家と思っていた人の大半が,実は現ウクライナの出身だったりして驚いてます。その芸術家が生まれ育った当時はソ連の一部だったりしたわけですが,それにしてもウクライナはロシア…
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#ラフマニノフ

【シューラ・チェルカスキー,1909-1995🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ21】

名ピアニストのシューラ・チェルカスキー(Shura Cherkassky, 1909-1995)はロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)出身のピアニスト。ユダヤ系だったチェルカスキー一家は1917年に起きたロシア革命の時にアメリカに亡命。チェルカスキーは,やはりかなりの腕前のピアニストだった母親からピアノの手ほどきを受けていたが,渡米後にラフマニノフの門戸を叩く。しかし,「腕の姿勢が悪いから,2年間リサイタルやめて練習しなはれ」と言われたらしい。結局,「コンサート? そりゃ,どん

【Benno Moiseiwitsch, 1890-1963🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ13】

名ピアニストのベンノ・モイセイヴィチ(1890-1963)は旧ロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)生まれ。 同年に同じ街で生まれたピアニストにフェインベルクがいる。ただ,フェインベルクは4才の時にモスクワに引っ越しているので,接点はなかったのかもしれない。 1904年から1908年までウィーンでテオドール・レシェティツキーに師事する。始めのオーディションで革命のエチュードを弾いたときには,レシェティツキーに,「私なら左足でもっとうまく弾けるよ。この曲には100位の繊細な表現が