マガジンのカバー画像

ウクライナの芸術家シリーズ

21
ロシアの芸術家と思っていた人の大半が,実は現ウクライナの出身だったりして驚いてます。その芸術家が生まれ育った当時はソ連の一部だったりしたわけですが,それにしてもウクライナはロシア…
運営しているクリエイター

2023年12月の記事一覧

【Benno Moiseiwitsch, 1890-1963🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ13】

名ピアニストのベンノ・モイセイヴィチ(1890-1963)は旧ロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)生まれ。 同年に同じ街で生まれたピアニストにフェインベルクがいる。ただ,フェインベルクは4才の時にモスクワに引っ越しているので,接点はなかったのかもしれない。 1904年から1908年までウィーンでテオドール・レシェティツキーに師事する。始めのオーディションで革命のエチュードを弾いたときには,レシェティツキーに,「私なら左足でもっとうまく弾けるよ。この曲には100位の繊細な表現が

【ドン・コサック合唱セルゲイ・ジャーロフ🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ12】

コサック・ダンスの「コサック」はウクライナの南ロシアにあった軍事共同体やそのメンバーを指す。ウクライナの中南部で遊牧民がルーツらしい。その一部は16世紀頃に南ロシアのドン川の下流に移住してドン・コサックと呼ばれるようになる。ドン・コサックはドン・コサック軍をつくり,やがてロシアの非正規軍となる。1917年のロシア革命のときには反革命側(白軍)として活動した。 白軍敗退後,ドン・コサック軍の副官だったセルゲイ・ジャーロフは1921年にトルコの捕虜収容所で主にドン軍のメンバーか

【Sergei Prokofiev, 1891-1953🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ11】

作曲家,ピアニスト,指揮者として活躍したプロコフィエフ(1891-1953)もロシア帝国(現ウクライナ,ドネツク)出身。サンクト・ペテルブルク音楽院でリャードフに和声法と対位法を,リムスキー・コルサコフに管弦楽法を学んでいる。 大御所の紹介はwikipediaの日本語ページだけでも充実した内容になっているのでそちらに任せるが,日本に始めてきた西洋の大作曲家でもある。1918年にアメリカ亡命を決心したとき,ヨーロッパは世界大戦中の真っ只中だったので,アメリカに向かう中継地とし

【Samuil Feinberg, 1894-1962🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ10】

名ピアニストで作曲家であるサムイル・フェインベルク(1890-1962)はロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)生まれ。バッハ研究で名高く,ソビエト連邦で平均律クラヴィーア曲集の全曲演奏を初めてしたピアニスト。見出し写真の右がフェインベルク,左が弟子のメルジャーノフ(Victor Merzhanov, 1919-2012)だ。メルジャーノフは弟子の原田英代氏の招きで晩年に何度か来日しており,原田氏に時々レッスンを受けていた嫁がマスタークラスを受講したと言ってた。羨ましい。 モス