ダブル歌会ですよね

 先ほどテーマ詠「負」の歌会とテーマ詠「SNS」の歌会に連続で参加してきました。片方はdiscord上、片方はCluster上で、文字にしてみればなんだか「今」という感じですね。

 テーマ詠「負」の方から、提出した作品。

妄想のごとく夜汽車は疾駆せり球磨川禊の過負荷ともしも
※過負荷(ルビ:マイナス)

 金曜日の15時くらいに上記の歌を提出したのですが、翌朝熊本県の球磨川が氾濫。作品の下の句は「球磨川が氾濫し、周囲の住人や建物を洗い流すという"禊"を行った。その消滅の"マイナス"が私は羨ましい」と読める、最低最悪の短歌となり、厳しい倫理的審判を問われるところまでいきかけました(金曜日の18時が作品の締め切りだったので、そんな読みは生まれえないだろうと高を括っていたのですが、誤りでした)。

 球磨川禊とは、西尾維新原作の「学園異能インフレ言語バトル漫画」『めだかボックス』に出てくるキャラクターで、彼を含め「-13組」に所属するキャラクターの異能力は「過負荷(マイナス)」と呼ばれますーー参加者十人のうち、この情報を知っていた人間は私含め恐らく二人で、私は球磨川禊というキャラクターのことを、2010年代前半のある種の空気を象徴する重要なキャラクターだと思っていたので、少し衝撃を受けました。ただ、意図とは関係なく洒落にならないほど最低最悪なメッセージを伝えてしまっていた事態自体は、かなり過負荷(マイナス)っぽいなと思いました。


 もう一つはイマジナリーVライバーの倫理ちゃんの歌会です。先述の通りテーマは「SNS」。

ℒℴѵℯ…さう、なにもかも⎳ℴ ⎷ ℯ 憎み合ひ光りあふ葉と花と私と

 noteでは特殊文字の"Love"はきちんと表示されるのでしょうか。私はこの特殊文字の"Love"がわりと好きで、こんなのは軽薄な言葉遊びにすぎないとはもちろん知っているのですが、その軽薄さも含めてやはり好きだと言わざるを得ません。

 初めは「葉と花たちの景」みたいにしていたのですが、流石にその傍観者面はダメすぎるなと省みて「私」も矢面に立たせることにしました。「私と」の四音を使ってもっと作品の質を高める選択肢がありそうな気はかなりしますね。

 正直なところ、人がエコーチェンバー現象で自分の思想を固めながらクソリプを飛ばしまくる光景を"Love"と称揚できるほど私はSNSを愛せないのでフィクションではあるのですが、本当にSNSが地獄なのかどうかもわからないし、たとえ地獄であったとしても地獄に向けて"Love"を告げる気持ちは抱えてみたいです。


 最後に、その前の週に倫理ちゃん主催のバーチャル吟行をしたときの作品も以下に載せておきます。Japan ShrineというVRC空間の、夜桜の咲き乱れる神社でのバチャ吟(バーチャル吟行の略)でした。

淋しいと心の水のテクスチャがちょっと歪んで、だめだな、僕は

莫迦ばっかだよね、僕らも 夜桜をふんで感情を夜にして

 どちらも似たような「僕」の使い方ですが、主体を作中に放り出すことと、自らのアバターを三人称視点で眺める感覚とには、ほんの少し淡い繋がりを感じます。


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