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老松神社の松を探して

 福岡市早良区東入部にある老松神社は、他の同名の神社とは少し異なる由来を持っています。
 伝説によれば、菅原道真公が大宰府へ都落ちする途中、東入部の今宮神社に立ち寄り、その場所に自ら松を植えたところ、その松は瞬く間に老木となりました。このため、神社は「老松」と呼ばれるようになったとされています。

 しかし、現在の老松神社には松の姿は見られません。「早良郡志」によれば、延喜21年(西暦921年)の今宮神社は、菟道嶽の中腹に位置していたようです。「福岡県神社誌」では、正暦2年(西暦991年)には、今の場所に社殿を立て、天満天神紅梅殿として遷座したとされています。

最盛期の老松神社は、神領40町8反(12万坪?)あり、上古は社殿壮麗にして楼門と神橋等ももっていたと伝えられている。

福岡県神社誌より

 最盛期はかなり大きな神社だったようですね。

 道真公が参拝の前に手を清めたという「松ヶ根の井」の案内板から、参拝したのは延喜元年(西暦901年)で、その当時の「今宮神社」とお手植えの松は、菟道嶽の中腹にあったものと思われます。遷座の際に移植されたのかどうかは不明です。

 天正7年(西暦1579年)9月11日に、小田部・龍造寺の戦争で社殿が全て焼失し、文禄年間(1592-1596年)に元の場所に再建されるまで、曲渕神社で祭られていたようです。現在の境内には松の姿はなく、老松神社と小さい今宮神社が同じ敷地にあります。

 菟道嶽の元の場所も菟道嶽城・荒平城の落城後、その城跡とともに雑木林に埋もれ、現在は痕跡を見つけることはできません。
 残念ながら、松は菟道嶽の中腹にあるか、もしくは戦火で焼けてしまったかのいずれかのようです。

 元々「老松神社(老松社)」は「天満宮」の古い呼称だそうです。
老松社、天満社は日本各地に大きい神社から小さい祠まで多く見られます。
道真公が昔から愛されてる神様であることがわかりますね。

これが「松ヶ根の井」

…早良区役所東入部出張所の真裏なんですが…せっかくの史跡なので掃除してほしい。

追記:
 松ヶ根の井から南に数十メートルの場所、菟道嶽に少しあがったところ、荒平古墳群のE群・2号墳があります。2007年調査書の中で「奥壁北側には松の大木が根を張っており」という記述があり、その場所に大きな松があることが伺えます。老松の松だったらいいなあと思います。
 老松でなかったとしても、松ヶ根の井からそう離れていない山側周辺に昔の今宮神社があり老松があったのでしょう。



早良郡志
大正時代に書かれた福岡県早良郡(現在の福岡市早良区)の地誌

福岡県神社誌
大日本神祇会福岡県支部 昭和19年刊


2023.03.24 加筆修正





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