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紛れもなく泣きたかったのは

突然の電話に予想してなかった出来事。

一瞬言葉を失った。その後に大粒の涙が溢れ出したバレないように、気づかれないように声を消して我慢した。不幸中の幸いじゃないけれど私よりも何年も生きているから身体に支障が出るのは仕方がない事でだんだん耳が遠くなっていっているから私が泣いてるのは多分気づいてなかったと思う。大好きなおじいちゃんが癌見つかったという事そして無事に手術が終わったと言う報告。それがどんなものかは少なくとも良いものではないって事は確か。私の将来の夢を一番に応援してくれて、関西に上京して一人暮らしを始めるとなった時もそれ以前から食べ物の事には十分に気をつけるように言われていたし、本人も気をつけていたはずだ、80を越えても仕事をやっている元気さは本当に尊敬できる。だけどもう休んでもいいんじゃないかと思う。どうしてここまでやる必要があるのかはお兄さんを受け継いでお店を切り盛りしているからだろうか。直接は聞いた事がないけれどダンプの運転手から喫茶店のオーナーになっておばあちゃんと、私のお母さんと三人でお店を開いている。地元の人にも愛されていて今でもありがたいことに忙しい日々が続いている。本当に自慢の店だ。おじいちゃんもおばあちゃんも。私の大好きな二人。二人が一緒だからこそなんだ。私は18まで地元で育った。この二人が育ててくれた、もちろんお父さんもお母さんも育ててくれた。けど一番はおじいちゃんから教わったものが確実に多い、常に笑顔でいなさい、辛くても笑顔でいなさいと人の前で嫌な顔をしてはいけないと、接客業という職種にいれば色んなお客さんがくるけど笑顔でいなさいとこれは耳にタコができるぐらい聞かされていた。その時は何回も何回もまたこの話かと思っていたけどいざ働いてみるとその言葉がどれだけ大切なものかと後から気づいた。どんなに辛くても嫌な事があっても笑顔だと自然と周りも笑顔になるそして何に悩んでいたかも忘れてしまう本当に不思議だ。だからどんな時もこの言葉を思い出して今を頑張れている。そんな教えをしてくれたおじいちゃん、もうそんなに長いかはわからない。これが現実なんだといつかは受け止める日が来る事はこの先間違いなくあるはずだ、おじいちゃんに限らず、大好きなペットもいつかは最後のお別れをする時が来る。そんな経験が少ないからこそ考えるだけで涙が溢れ出しそう、考えれば考えるほど会いたくて仕方がない。紛れもなく泣きたかったのは私でもなくおばあちゃんの方だ、電話があった日の夜におばあちゃんに電話をかけた。一言発した後に私はまた涙の蛇口が全開して心配させてしまった。涙もろい私はいつもこう、安心させてあげるのは私の方なのに心配をまたかけてしまった。電話の向こうで、大丈夫やけん。おじいちゃんは強いから。泣かんでよかとよ。ってそれを聞いた瞬間おばあちゃんが一番強い気がした。色んな出来事を二人で乗り越えてきたからこそ出る言葉のんだろうなって、本当に私が情けなく感じてしまった。これを気に私は空にいつも願っている。今日も一日大切な人が健康で無事でありますように、と私は魔法が使えるわけでもないけど願う事は沢山出来る。この先どうなろうとも願い続ける。本当に大好きな二人、尊敬する二人、直接は言えないけど誰よりも強く思ってる。いつかは私もおばあちゃんみたいな強さをもっておじいちゃんみたいな優しくてたくさん色んなこと教えてくれる人と結ばれていきたいと、本当に二人の関係性が理想で、言葉に表すのが難しいけど本当に尊敬している。明日も明後日も健康で、無事でいれますように。

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