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世界で通用するクルーズ会社を構築した日本企業

アメリカの規制緩和政策と日本

今から約50年前の1970 年代後半、当時の大統領カーター政権末期から1980 年代初期のレーガン政権下では、アメリカの運輸部門の規制緩和の嵐が吹き荒れていました。

アメリカ人の海外旅行の主な旅行先はヨーロッパに向いていたのです。しかし当時のドル安や、ローマ及びウイーン空港におけるテロ事件。チェルノブイリ 原発事故などで、ヨーロッパは大きなダメージを受けていたのです。

規制緩和政策の始まり、航空業界も含め旅行関連業界は厳しい時代でした。

またアメリカ国内では円高や日米貿易摩擦を回避するために、トヨタ自動車や本田技研が、アメリカの中西部に自動車工場を建設する大きな変化が差し迫っていたのです。

日本企業などのアメリカでの自営化に伴い、物流の幹線も変わりつつあった。日本からの物流が、従来の消費者マーケットであったニューヨークなど東海岸に加え、工場資材なども含めて、 中西部向けの荷動きが急増したために、輸送時間の短縮を掲げた企業が、アメリカ西海岸経由での輸送に踏み切ったのです。

そのため、日本からアメリカ向けのコンテナ船の配船を航行時間が短い西海岸をメインとし、五大湖工業地帯の拠点である中西部のシカゴや東海岸にニューヨークへの物資の内陸輸送は鉄道に委ねていたのです。

この時、日本郵船はアメリカの規制緩和に対して日本企業として迅速に対応したのです。その最大の案件は北米に大手自動車会社の現地生産体制が発表され、それに備えた物流網の構築が求められていたのです。

 アメリカ向けの貨物を扱う日本郵船としては、トヨタ自動車や本田技研などのメーカーの本社機構など実務部隊がロサンゼルスに拠点を構えていたこともありその内陸の輸送方法に関して、各企業との調整が不可欠であった。

これらの事業の展開の為に、ロサンゼルス港に隣接するカーソンで物流向けの土地買収を行ったのです。

このロサンゼルスの立地の優位性を見て、アメリカにおける倉庫業に進出の先駆けとして、大規模な物流倉庫などを建設することになったのです。

日本郵船時代に建造された「クリスタル・シンフォニー」

客船事業復活のための市場調査

日本郵船本社では「氷川丸」以来の客船事業復活に水面化で動いてました。同社は客船事業といえば日本市場をターゲットと考えていたのです。

船旅といえば、日本ではフェリーなどの定期航路における輸送を目的とした客船を思い浮かべるのが一般的かと思われます。

第二次世界大戦までは、日本郵船や大阪商船など日本を基点にしたヨーロッパあるいは中国・北米などに客船の定期航路を持っていた。

この客船の多くは貨物も積める「貨客船」と言われるものでした。

当時は航空機が発達していなかったため、客船航路がメインの移動手段でした。 戦前の欧州や北米では。定期客船航路がある程度定着し、ヨーロッパと北米間の回航スピードを争うブルーリボン戦争に参入。

これらの多くは船客の輸送、特に欧米間の客船は移民などのアメリカへの送り込みが主な目的であった。すなわち、点と点を線で結ぶ「移民線」や「船旅」の領域を出ていなかった。

北大西洋で悲劇の沈没をした「タイタニック」も、新しい居住性を重視した客船ではあったが、それでもまだ定期船の発想でした。

実際私も30年前はクルーズはフェリーなどの定期客船とは一線を異なることは頭では理解していたのです。

しかし、実際に乗船してクルーズというものはこういうものだと肌で実感する必要があったのです。

アジア最大級のカジュアルクルーズ「スーパースター・ヴァーゴ」

私見のクルーズ調査報告

私の場合、クルーズデビューはシンガポール発着でスタークルーズ社が運航していた「スーパースター・ヴァーゴ」でした。

日本のクルーズはお値段的にも「高嶺の花」でしたので、海外クルーズの方が安価だという情報を知ったのです。

3泊4日のショートクルーズでしたが、その船の最高ランクのスイートルームを2人で15万円で乗船することができたのです。

クルーズを経験したことのない私にとって「スーパースター・ヴァーゴ」は新世界でした。

華やかな世界を繰り広げるカジュアルクルーズ

日本とは異なり、海外クルーズは客層が3段階に分かれていて、乗船した船はますマーケット対象の「カジュアルクルーズ」ということに気づくのです。

「やはり本場アメリカのクルーズを体験してみたい」と思い、カリブ海やアラスカ、そしてメキシカンリビエラのクルーズを一通り体験したのです。

クルーズ乗船路には必ず妻も同伴でした。

その大きな理由は男性ではチェックしきれないレストランでの食事、バー、キャビン、ヘアサロンなどのサービスについては繊細な女性の感性が求められるのでした。

その後、同じアメリカでもヨーロッパまで足を運んでクルーズを楽しむ人はカリブ海やアラスカクルーズを楽しむ客層とは異なることを知り、北欧から地中海クルーズ、さらに中東まで視察に行きました。

そして欧米で多くの事情通と情報交換を行い自身の試乗体験などをするうちに、 一つの方向性の結論が確立。その後、富裕層向けインバウンドコンサルティングの基礎となったのです。

ラグジュアリークルーズのビジネスモデルを構築したクリスタル・クルーズ

ラグジュアリークルーズのビジネスモデルを構築

日本郵船は、以前から研究を続けていた既存 の「日本におけるクルーズ事業」から日本郵船による世界を相手にした「国際クルーズ事業」との位置付けで、全く新しい切り口で多面的な情報を求めていた時期でもあります。

クルーズビジネスは、多面性のあるサービス業です。
その背景には旅行者調査や客層動態調査、BtoC調査などの社会心理学的な側面が多いので既存の固定概念は通用しないのです。

アメリカと長年国交を途絶えているたキューバ・ハバナやラスベガスのホスピタリティ・ビジネスの発展に強い関心を持っていました。

ホテルなどの多様性や発展・その背景が、顧客マーケットや彼らの行動形態の徹底的な分析とニーズに合ったホテルや関連施設を作ることで、誘客システムを構築し、マーケットを拡大・定着させているのです。

日本郵船はアメリカでの徹底的なマーケティング分析とそのニーズに合わせたクルーズ客船を造る重要性を理解していたのです。

それが業界30年においてアメリカにてラグジュアリークルーズのブランドを構築したのが「クリスタル・クルーズ」でした。その後ゲンティン香港、そしてA&Kトラベルがクリスタル・クルーズ」のブランドを継承していったのです。


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