事業内容:ホテル斡旋・貿易関連事業
弊社の事業内容として旅行サービス手配業の紹介をさせて頂きました。もう一つの事業の軸はトルコ共和国とのホテル斡旋・貿易関連事業です。
トルコ国内ホテル斡旋業
当該事業のベースは 日本の世界最高水準を提供することでトルコ共和国の観光収入源を増加の一助となることです。
そのトルコでの重要な観光収入の原資となるメディカルツーリズムです。そこで弊社はトルコのメディカルツーリズム発展に貢献すべくハイスペックな高純度99.999%の日本製水素吸入器をトルコ国内のホテルに導入し、世界中の富裕層旅行者が旅の目的としているウェルネスツーリズムやアンチエイジングに貢献し、究極のリトリート(癒し)を提供します。
水素は電力などエネルギー資源というイメージが強いのですが、人間の健康維持やアンチエイジングに大きく貢献していることは意外と知られていないのです。
厚生労働省や様々な大学病院では、水素を用いた先進医療の開発に取り組んでいます。その一例として、慶應義塾大学病院においては水素ガス治療開発センターを設置して研究されています。
トルコのメディカルツーリズム促進
約10年前以上前からトルコへのメディカル・ツーリズムの人気が高まっていました。2014年時点でさえ、メディカル・ツーリズムを目的とした訪土客が約36万人。直近の2021年にはコロナ禍にも関わらず、メディカルツーリズムを目的として訪土した旅行者は約64万人と飛躍的に伸びています。
メディカルツーリズムを目的としてトルコに入国する旅行者は中央アジアや欧州、中東がメインです。何よりも欧米に比べて費用が30〜50%安いうえ、通訳の支援体制、地理的なアクセスのしやすさ、医療水準の高さなどが人気の秘密です。
このようなトルコの取り組みは日本の医療ツーリズムにとっても参考になりそうです。
JETRO(ジェトロ・日本貿易振興機構)のHPにもトルコのメディカルツーリズム促進の記事が掲載されていましたのでご紹介いたします。
なぜトルコなのか?
2020年初頭の新型コロナウイルス感染症発生直後より、観光関連産業は大変深刻な影響を受けました。そのパンデミックが世界的に終息を迎え、日本の観光業界にも復活の兆しが見えてきました。
「今は円安だから外国人に自社製品をたくさん売り込もう」
「インバウンドでどんどん外国人観光客を集客しよう」
と考えることはとても大事です。
しかし、相手のことを理解せず自分の利益ばかり考えても商売は上手く行かないことは誰もがご存じです。
インバウンド事業に置き換えると、外国人観光客を誘致するだけでなく相手国への誘致などベネフィットも同時に考える。
つまり、訪日外国人の母国の習慣を理解してから事業をスタートされることをおすすめします。あとは日本を好意的に想っている国を選ぶのが一番理想です。
その中で、親日国として代表的存在がトルコ。
日本とトルコとの交友は今から約130年以上前に遡ります。
トルコ友好132周年の長い歴史
1887年、小松宮同妃両殿下のイスタンブールご訪問への答礼としてアブデュルハミト2世の命により、日本へ派遣されたオスマン帝国軍隊エルトゥールル号はオスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねて日本へ派遣。
オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けたのです。
そのエルトゥールル号が母国オスマン帝国へ帰路に就いた途中、和歌山県串本町沖の海難事故での地元住民の献身的な救護によって生存者69名が救出され、生還に成功した。
エルトゥールル号海難事件の事実はトルコの人々によく知られており、トルコの小学校の教科書で詳しく語られてるのです。
時は経て、エルトゥールル号海難事件が起こった95年後の1985年、イランイラク戦争の空路封鎖によりテヘラン空港に足止めされていた215名の日本人乗客を救出するために、ターキッシュエアラインズが緊急救援機を飛ばしました。
エルトゥールル号海難事件とテヘランでの日本人救出という2つのエピソードが日本とトルコ約9,000キロ離れた両国の人々が、人が人を想う気持ちによって叶えた奇跡と希望。
これが言葉や文化の違いを超えた友情と絆を生み出すことを歴史が証明しているのです。
このようなエピソードは日本の近江商人が受け継がれている「三方よし」は、近江(滋賀県)や日本など一定の地域にしか通用しない思想ではなく人類普遍の原理であり、崇高な理想でもあると思われます。
日本の近江商人の街が今でも誇りにしていること。
近江商人の起源は、鎌倉時代にまで遡ります。戦国時代末期、近江を治めた織田信長による安土城下の「楽市楽座」をはじめとする商業基盤の整備が、近江商人の繁栄に大きく貢献したといわれています。
信長は商人にとって恩恵のある政策を進め、その経済政策は後の豊臣秀吉にも受け継がれ、近江の国の商業はこの時代に飛躍的に発展します。
その楽市楽座の自由商業主義のもと、活発に活動を続けた八幡商人(滋賀県近江八幡市)たちは、豊富秀次没後まもなく天領となった近江八幡の町から、天秤棒を肩に全国に活動を広げます。
北は北海道から南ははるか安南(ベトナム)やシャム(タイ)まで進出し、当時まだ発展途上であった江戸にもいち早く店を出しました。
明治以降、社会が大きく変転する中で日本経済の近代化にも八幡商人をはじめとする近江商人たちが大きく貢献しました。
彼らは、買い手よし、売り手よし、世間よし、という三方よしの理念を商売の基本とし、自ら利益のみを追求することなく、社会事業に大きく寄与しました。
その勤勉で潔癖な倫理観には、改めて深く考えさせられるものがあります。
近江商人たちが残した財産は、形にのこるものばかりでなく、その精神に大きく価値があるといえます。
ただ単に自国のみの繁栄を考えるだけでなく、他国、第三者の繁栄も考えて初めて自国の繁栄が成り立つということが先人から教えられています。
実は、日本国憲法にも以下のとおり記載されています。
日本国憲法「三方よし」の精神が記載
日本国憲法の前文をご覧になられたことがありますでしょうか。
政治に精通していない限り、なかなか読む機会がないと思われます。
(作者もここ数年の間で知りました)
その前文は以下の通りです。
日本国憲法にも記載されている通り、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
と記載されている通り自分のことだけを考えていては繁栄しないということを伝えているように思われます。
そこで「三方よし」の精神が国境を超えて生かされるかと思われます。