見出し画像

第11話「特別編 大司教からの寄稿」

今まで度々触れてきた界隈の中の「低さバトル」で出た死人の話について、大司教から寄稿があったので今回は特別編。正直すごいひとはその時期あまりこの周辺に居なかったので、殆ど知らなかった話だし死んだ糸柳さんのことも数回話した程度の関係性しかないのだけれど「愛の教団」が「糸柳も弱いから死んだ」と言ったのを聞いて大司教が何か言いたそうにしているのを間近で見ていた。

というわけでほとんどの読者にとっては意味がわからないかもしれないが、関係者内でのこのnoteの認知はそこそこあるっぽいし以下に大司教からの寄稿を原文ママでどうぞ。



糸柳は弱いから死んだのではない。

多くの自殺がそうであるようにせいぜい何もかもうまくいってなかっただけだ。仕事でも私生活でも趣味でも行きづまっていた。その穴埋めのように界隈で誰彼かまわずマウンティングし、ある人とはもうめちゃくちゃに揉めていた。

普段から揉め事しかないこの界隈でも特に揉めていた。しまいには私に「自分と相手のどちらが正しいと思うか、どちらの肩を持つのか」という選択を双方が迫ってきた。

紛争は強い側を抑えなければ終わらない。M氏とS先生との揉め事では、私はM氏を抑えた。それはM氏が強かったからだ。この界隈で強いというのは守るものがないとか止められないという意味だ。そういう意味で糸柳のほうが強かった。

そのとき糸柳の不快さにほとほと参っていた私はやりすぎてしまった。彼が一番大事にしていたことを踏みにじってしまったのだ。こういう風に言うと怒鳴ったとかあからさまに侮辱したとか普通は思うだろう。

私と糸柳が最後に話した6時間のうち5時間は沈黙だった。ある人ともう揉めないでくれという話のはずだった。相手のことを尊重し、無理なものは無理だとあきらめてくれというだけのことだ。

そもそも糸柳は無理をしすぎなのだ。地道な訓練はせず急に無茶をして障壁を乗り越えようとする。それが彼の人生そのものになっていた。そうやって無理に無理を重ねて越えるべき障壁もどんどん高くなり、いよいよ彼は行きづまった。

無理を重ねたせいで肉体もボロボロだった。無理が祟ったのか油を飲むような変なダイエットをするせいか知らないが太い血管もだいぶ詰まってると言っていた。でも医者によれば手術するほどの状態ではないのだから、すぐに死ぬわけでもない。

肉体には脳も含まれる。思えば糸柳の無茶は一種の代償みたいなものだったのかもしれない。脳に負荷をかけることで無理やりなにかを乗り越えていたようにも見えた。そして彼はあの頃から急に無理がきかなくなっていた。たぶん脳もだいぶ壊れていたのだろう。

年明けに小規模な脳梗塞を起こしたとき糸柳はひどく狼狽していた。なにかあればすぐに病院に連れていくと言っても、自分はじきに死ぬのだと悲観して怯えた顔をしていた。それも悪かった。そのせいで彼は死ぬのが怖いやつという目で周囲に見られてしまった。すごいひとも言っていたが「そういう雰囲気」が界隈には蔓延しているらしい。

糸柳はこんなハキダメでも序列が下がってしまった。放火魔なども露骨に彼を低く見るようになった。放火魔本人は覚えてないと思うけど。それに反比例するようにマウンティング癖は常軌を逸していった。そして夏を前にあの日は来てしまった。

ほんの一言だった。長い沈黙の合間にぽつりぽつりと届かない言葉を漏らしながら、うっかり。彼は見たこともない表情をした。決意ともあきらめともつかない不思議な表情だった。私は直感した。

そして彼は姿を消した。

しばらくしてタイムカプセル郵便が届いた。遺書になにが書かれていたか他人に一切言うつもりはない。けっきょく糸柳のやったことは、死ぬのなんか怖くないことを証明するために死んでみせただけのことだ。

せめてもう少し待ってくれたらまた戦争に連れていくこともできたのに。いまの戦争は電子戦やパソコンカチャカチャも大切な要素だ。ロシア軍にやられっぱなしじゃシャクだからやり返したいとかアホみたいな相談も来る始末だ。生きてたらいろいろ頼んだのに。

遺書が来てもめんどうだからしばらく放置していた。夏が過ぎる頃、糸柳家の郵便を整理していたら例の殺人犯から手紙が来ていた。あいかわらずあのバカは他人が野蛮だとか自分に反省すべきことはないとか書いている。あと10年ぐらいで出てくるはずだが誰が迎えに行くんだろうね。俺はやだよ。

こんな無茶ばかりしていたら死なないまでもいつかどうにもならないことはわかりきっていた。でも誰も止められなかった。地道に基礎的なことを積み重ねろと言ってもやらなかった。そのわりにプライドが高くて偉そうでどうしようもないやつだった。

糸柳は強くて誇り高いから死んだ。
そんなこともわからないやつに糸柳のことを語ってもらいたくない。

高校数学も言えば教えてやったのに。あの本は形見でもらっていくよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?