第1話「大使館」 #限界シェアハウス文学
都内某所に通称「大使館」と呼ばれるビルがある。現在シェアハウスとして使われるそのビルには怪しい人間が日々出入りし、住居不定のイスラーム法学者などが住んでいる。今回はそのビルに住む者たち、このシェアハウスの成立背景や崩壊の始まりについてを紹介していく。
こんなビルどうやって手に入れたの
ビルの入手先は大司教である。ビルのオーナーの家族と知り合いで格安で貸してもらえた。今更大司教については紹介するまでもないかもしれないがイスラム国に学生を送ろうとしたと言われている人である。詳しく知りたかったらたらい回し人生相談でも読んで欲しい。
そもそもこのビルは4階建てで、1階はどっか知らない会社の倉庫として使われており2階から4階までに1フロアに1部屋ずつ住居、そして屋上があるという構造になっている。おそらく以前は3,4階に生活保護受給者が暮らしギリギリの住環境で住んでいたものと思われる。築年数は不明で大家ですら知らないらしい。おそらく50年以上は経過しているものと見受けられる。当初、壁や床の一部が腐敗していたりまともに使える風呂がないなど様々な問題があったのだがすごいひとをはじめとする有志のDIYによりある程度改善した。そういった背景を踏まえて以降の章を読んで頂きたい。
どんな住人がいるのか
2階にはハサン中田考というイスラーム法学者が住んでおり、このフロアはソファや複数台の冷蔵庫もあるため人が集まる時には1番使われる場所でもある。元々豊島区でネズミや謎の虫が大量発生するあまりにも不衛生なアパートに住み、若者に部屋を掃除させ疲弊させてしまっていたためここに連れてこられた。勉強する意思のある若者が好きで見つけるとついつい飼ってしまう。後述する4階の住人も拾ってきてこのビルで飼うことに決めた。また人間嫌いを自称しており特定の人間以外と長時間いると不快らしい。3階に住むすごいひとと4階に住む若者はその数少ない例外とのこと。
次に3階に住むのがこの記事を書いているすごいひとだ。元々都内で2人暮らしをしていたのだが相手が出ていくことになり家賃10万円の綺麗な家に1人で住み続ける理由を無くしていたためこのシェアハウスを作った。中田先生とは8年くらいの付き合いで、昔興味本位で会うために上京してそのまま田舎に帰らなかったらこうなった。仕事は殆ど在宅で、このビルでは「お母さん」という役割をしており様々な面倒の対処をしている。このビルの住人が起こす面倒ごとに耐えられなくなり近いうちに引越しすることにした。「お母さん」の苦労については後述。
そして4階に住むのがM君という若者である。本人曰く受験生というのだが、勉強している様子を殆ど見たことがなく最近まで女性たちを誑かし3股していたカスである。あらゆる面倒ごとの元凶で、とにかく問題ばかり起こすため最近毎日のように査問会を招集されている。起こす問題については具体的に書いても良さそうなことが一つもないため読者の皆さんにお伝えできないのが残念であるが、日光を浴びると叫んでしまうという習性があるあたりで察してほしい。
また一時期、たらい回し人生相談に出演していた放火魔なども1ヶ月ほど4階に住んでいた。先住民のM君との仲が非常に悪く低さバトル(低め合いとも言う)に耐えきれなくなり3階に移り、そこでも2ヶ月ほど住んでいた。ビルの階段に異常な量の吸い殻を棄てるなどM君とも十分張り合えるほどの低さだったが、最近レキサルティという薬を飲んで改善したらしい(本人談)。色々あって退去済み。
「お母さん」という役割
呼称は違えど、よく限界シェアハウスでこういった役割はあると思う。一言で言えば世話役である。家賃の徴収や大家への振り込み、工事の手配や事務手続きなどこのビルに関わる殆ど全ての面倒事をすごいひとが担っている。普通のシェアハウスであればそうそう面倒事というのもなさそうであるが、4階に住むカスが契約書にサインしたはずの家賃の金額に難癖をつけて支払いを渋ったりある日突然屋上の水道管が破裂するなどの地獄のような問題への対処に日々追われている。当然手伝いなど誰もしてくれないので無理矢理他人を巻き込んで一緒にやってもらうこともあるが、基本1人でなんでもやっていた。
特に辛いのがM君の起こす様々な問題への対処であり、すごいひとはこの対処をしていく中で「お母さん」と呼ばれるようになった。対処自体というよりも「それ犯罪だからやっちゃダメだよ」とすごいひとが言うと「でもバレなくないですか?」と舐めた態度をとってくることなどがあり話すこと自体が非常に苦痛だった。無限にリソースを消費するため自分の時間や勉強に充てたい時間などが殆ど奪われてしまっていた。
実はこんな役割でもやっていて良かったことが無いでもない。すごいひとは実は昨年12月頃からやや鬱っぽく過眠や無気力などの症状があったのだがより重い発達障害者の面倒を見させられていくうちに少しずつマシになっていった。もともと感情の起伏が少なくあまり怒ったりもしない性格であると自負しているのだが、クソバカの始末をしていくうちに「ムカつき」という感情を取り戻したのである。
自分で言うのもなんだが、すごいひとは優しい(というか甘い)ので相手をしてやっていたが、関わらざるを得ない理由があったから面倒を見ていただけで本当に嫌だった。いつでも逃げ出せたのに、感謝も賞賛も全くされない「お母さん」をやっていたこと自体が自分でもどうしてなのかわならなかった。
シェアハウスの「お母さん」の先輩である大司教は宗教家としての慈善活動として高機能発達障害者たちの面倒を見ていたそうだ。あの頃面倒見ていた連中の中で可能性を開花させた者は少ない。殺人をした奴、失踪したり自殺した奴、生活保護で落ち着いている奴など最悪な連中の顔ばかりが頭に浮かぶ。
M君も悪気なく犯罪をするタイプの救い難いクズなので、別に自分がタレコミするとかではなくいつか塀の向こう側に行くことになると思う。それで良い。というかそうであって欲しい。そうでないと変われないだろうし、恐らくそうなっても変わらない。血の繋がっていない、数歳しか年齢の変わらない「お母さん」は26歳児の育児に疲れてしまったので行政や宗教施設、教育機関などにお任せしようと思う。
さいごに
ここまですごいひとの愚痴に付き合って頂き感謝しかない。本当は怒りに任せてもっと地獄のような話をここに書いても良かったのだが一応今はまだやめておく。本当に書いてはいけない内容は書いてないものだと...信じたい。某企業を守るために人知れず闘っていた話、M君にここまでヘイトが集まっていた詳細な理由、このビルが「大使館」と呼ばれている理由...話題自体は無数に有るのだが、どこかしらから怒られが発生するものばかりなので今はまだ伏せておこう。その辺の話は何もかもがどうでも良くなった時にでも続きを
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