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仮面の告白



福田恆存は、『仮面の告白』を次のように評している。

【豊穣なる不毛 ― そんな感じがする。
無邪気そうな悪党、子供のようでいながら大人、芸術家の才能をもった常識人、模造品をつくる詐欺師。
だが、芸術家とは才能以外のなにものでもない、芸術家とはつまり詐飲師のことではないか、といわれれば、まさにそのとおり】

「新潮文庫」『仮面の告白』解説

先日東京で深瀬昌久の写真展に行ってきました。
CWでも写真集を販売しているアーティストの大規模な展示。

(深瀬昌久 1961-1991レトロスペクティブ 6/4まで)
あとちょっとだけやっているので都内に行かれる方は是非。

はじめて深瀬の写真を見た時の衝撃は今でも脳裏に焼き付いていて
深瀬の写真に出会って約2年。
言葉で形容するには難しく、しっくりこないものを並べてきましたが
ふと。探していたそれが【真実】だと悟りました。

大衆うけを狙って作られた作品。
後付けやこじつけが許された物語。

上記とは一線を画す、【自己】と【写真】の本質の上に成り立つ作品群。

『作品は自己表現の一つである』とか。
どこかの誰かが使い古した、耳触りの良い言葉も
深瀬の作品の前に立てば、沈黙し。
これが真実なのだと告げられます。

真実という言葉が存在するということは
虚構や虚偽が存在する証明にもなります。

僕らはこの3年弱。
新型感染症を経験し馴染みのなかった【とあるもの】を身に着けることが義務付けられ、まるで嘘のような現実を送ることになりました。

それをしなければ、移動も会話をすることも許されず、非難され、
何よりも命の危険にさらされました。

この一生で一度経験するか否かの数奇な経験から。

過去と現代におけるそれ。
【マスク】の存在意義を問い直していく。
そういった意味も込めて、ETHIC&TROPIC(エシックアンドトロピック)の展示販売を行うことにしました。

ETHIC&TROPICは南アメリカの少数民族によりハンドメイドで丁寧に編まれたマスクのブランド。

マスクをする意味は大きく3つに分けられるでしょう。
1つ目は前途したように感染予防
2つ目は降霊や擬態
3つ目は匿名性

ETHIC&TROPICは2つ目に分類されるもので
用途は降霊の儀式用。
使用された面は儀式後に火にくべられ、天空に舞い戻ります。

もちろん今回CWで販売するのは
実際の儀式に使用されたものではなく、民芸品として製作されたもの。

民族のアイデンティティーでもある儀式の大切さがうかがえるかの如く
ひとつひとつに想いが込められ、とても繊細に作られています。

パッとみでもわかる高い職人の技術。
なのに、あどけない、、、と言えばよいのか。
このクスッと笑ってしまいたくなるような。
味のある不細工な動物たち。

中にはちょっと不気味なのも混じってるけど、、、。

作り手の想いが宿ると
民芸品でも僕らのシックスセンスに訴えかけてくる何かがあり
まるで古来より伝わるアートピースを前にしているような感覚。
畏れ、、、というよりはオーラを発しているように感じます。

被って、、、みても良いですが。
おそらく、大半の方にとってはインテリアとなるでしょう。

最大サイズのものでも、画鋲ひとつで手軽に飾ることができます。

プリミティブな要素は古いものだけではなく、
モダンな雰囲気ともとても相性がよく、お部屋の良いアクセントになるのではないでしょうか。


さて、マスクをする意味。
その最後のひとつについてですが
本当を隠し、偽る面の。
歴史は約9000年前に遡ります。

イスラエル南部から出土した謎の仮面。
これが病防であったのか、儀式用であったのか用途は不明ですが
ここに文明があったかといえば、それは旧約聖書で語られるよりもはるか昔のこととなります。

ありのままでいたいと望んでも、それを許さない社会。
ありのままを誰かにさらす、危険性。
それは皆さんもよくご存知なのではないでしょうか。

容姿を隠すこと。偽ること。
身分を隠すこと。異なる身分を演じること。

それを可能にするマスクは
古くから多くの人にとって重要なものであったことは間違いないでしょう。

しかし、現代におけるマスクをする意味いや意義は薄れています。
実際にマスクや仮面、お面を見る機会はごくわずかで。
宗教的な儀式、あるいは劇中くらいでしょう。

では現代の人は嘘偽らず、演じず、身分をあかさずとも
安全で豊かな暮らしを獲得したのでしょうか。

はたして、各々がのぞむ形でコミュニケーションを取れているのでしょうか。

人は今までとは別の場所にある種の仮面を手に入れたのだと僕は思います。
仮面に代わる新時代の新しいツール。
SNSという名の仮面を。

SNSにはいまや僕らの真実も嘘もプロフィールにすることができ
使い方次第では実際とは全く異なるキャラクターが創造されます。

画面上には真実もあれば、嘘もある。
素顔を晒す以上に人間性がありありと浮かび上がってきます。

【芸術が生まれる瞬間は人が生きるために必要であった過程が形骸化したときである。
生きる術として生まれたものがその機能を失い、そうでなくなった前時代的なものが芸術となる。】

「ジャン=リュック・ゴダール」 『イメージの本』より

これは現状公開されているジャン=リュック・ゴダール最後の作品となる『イメージの本』の引用です。
昨年この世を去った巨匠の言葉を借りるとすれば

仮面はSNSによって役割を終え、芸術に昇華されたとも言えるのではないでしょうか。

今後もアバターやメタバース、AIの普及により
必要であった物が不必要な物になっていきます。

SNSと仮面が違うのは物質として残ること。
こうして機能がなくなってなお残る美しい物は
これからどんどん芸術性を帯びていくでしょう。

そして一部は忘れ去られ、残ったものは数千年後の人たちによって
一体なんのために使っていたか、、、など
今の僕のように色々と妄想を膨らませるのではないでしょうか。

今も昔もきっと未来も。
人は誰かになりたくて、でもなれなくて。
誰かを理解したくても、理解出来ないと思う生き物なのかもしれません。

あるいは。もしかしたら。
人間も芸術に生きるだけの【物】になるかもしれない、そんな世界がくるかもしれない。

いや、さすがにちょっとそれはないかー。

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