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あの奈良は返ってこない

改札口の傍にはミスタードーナツ。外に出たら、街のシンボルみたいに大きなダイエーが建っている。毎回、押し寄せる感動の景色!

……ここに来る前は?
難波に着いて鶴橋に行き、近鉄線に乗り換えたはずだが。

……ふむ、子どもは謎の生き物だ。電車に乗って大阪の街を車窓越しに見たときは目新しさを感じていなかったのに、奈良のほうが数倍、都会に映る。意味がわからない。私の幼少期なんだけれども。


改札口を出たあとは定番のアレが待っている。
横断歩道の信号機が青に変わった瞬間、

ぽっぽー
ぽっぽー

と、鳴る仕掛け。「都会ではあの狭い箱のなかに鳩を飼っている」または「声を録音して再生しているのだろうな」と思っていた。小学生時代の妄想は、無知から来るものが多いようだ。


「◯◯(地区名)の××(母の旧姓)までお願いします」

自家用車で来ないときは、母がタクシーを捕まえてお願いする。運転手は毎回「××さんね。了解しました」と言って、快く受け入れてくれた。正確な番地を話さなくても通じるのは、祖父母が某タクシーの常連だから。リッチ過ぎやしないか?




二十分も走らないうちに、タクシーは速度を落とし始めた。住宅街の傍にある道路が、境界線のように映る。反対側には広い田んぼ、畑、細い道路。家が点々と建っている。

道路の端でタクシーは停まり、母が財布を開けてお金を支払うと自動でドアが開く。
私は運転手にお礼を言ってから座席を下りて、外の空気を吸った。海を跨いだ先、本州の。


目の前には、鉄筋の二階建てアパート。木造住まいの私は羨ましかった。
ほかにも好き所がある。
祖父母が住んでいる部屋の玄関は、銀色のノブが付いていた。一枚のドアが前後に動くなんて憧れる。自宅が引き戸だったせいかもしれない。



母に促され、ドアを開けて小さな玄関に靴を並べる。

冷蔵庫は、自由に開けていいことになっていた。
夏は冷凍庫にスイカバー、ソーダとバニラの棒アイス、牛乳の味が濃厚な棒アイスが入っていて、
冷蔵庫には雪印の6Pチーズが入っていた。これは祖父の大好物だ。

一階の奥には1畳分くらいのフローリングスペースが在り、洗濯機の電源がオンのとき、
ガコン、ガコン
箱が揺れる大きな音は、居間にも響く。
洗濯機から3歩くらい後退した位置に籠が吊り下がっていて、色違いの綺麗なインコを2羽飼っていた。

すり硝子のドアを横に引くと、田んぼと畑が見える。夏は鮮やかな黄緑色の稲が立っていて、私はそこから眺める景色が好きだった。

水路では真っ赤なザリガニを釣り、すばしっこい小エビを目で追いかける。
畑に呼ばれたときはミミズにぎゃあぎゃあ喚いて、お手伝いができなかった。

マッチ棒のように体が細くて背の高い祖父はお寿司を握るのが得意で、達磨さんのように丸い祖母は2階の寝室にテレビを置いてあり、『日本むかしばなし』が好きだと話してくれた。

祖母がベランダで洗濯物を干す後ろ姿を眺めるのも、なんとなく醤油くさい居間のにおいも好きだった。

私は兄のように素直な子どもではなかったけれど、自宅に帰る日は感傷に晒されていたなんて、ふたりは……、いや、家族すら気付いていなかったはずだ。



数年前に祖父は他界し、祖母は別のアパートに引っ越した。

思い出は返ってこない。

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