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中国からフィリピンへ

中国の“南国”から正真正銘の南の島フィリピンに越してきてから、あっという間にたくさんの時間が過ぎてしまっていた。同じ南国生活とはいえ、中国とフィリピンとではずいぶん大きな違いがあって、そんな違いが楽しめるのも海外生活の醍醐味というものではないかと思う。

で、何が違うと言って、いちばんの違いは、フィリピンでは本当にマーティンデニーのレコードジャケットのような女性たちが街を歩き回っているということだろう(「南国生活はじめました」を参照のこと)。
考えてみたらフィリピンというのは300年以上に渡るスペインの支配に続いて100年以上アメリカの支配が続いた混血の国なので、エキゾチック美人がいても全く不思議ではないのである。
というか、エキゾチック美人だらけの国と言っても言い過ぎではないくらいなのだ。
しかもそのエキゾチック美人が南国特有の薄着で歩いているので……。
そんなわけだから、初めてフィリピンに来た人は、右を向いても左を見ても天使だらけに見えるかもしれない。とはいえ、それと同時に、古くからある賢者の言葉の真実さにも、すぐに気付かされるだろう。

「美人は三日で飽きる」

なるほど真実である。
確かに三日もすると、すし詰めのジプニーで隣に天使が密着して座ってきたとしても何とも思わなくなるどころか、狭苦しくてやだなぁ、とさえ感じるようになってしまうのである。
慣れというのは本当に怖いものだ。

さて、その天使たちだけど、フィリピン人は実はけっこう内面も美人で、気立がよく、思いやりがある人たちが多い。もちろんどんな世界にもハズレくじというものは必ずあるのだけど、基本、内面もかなり天使なのである。
しかしここまで誉めておいてこういうのもなんだけど、フィリピン人と結婚するのだけはやめた方がいいと思う。日本人とでは価値観、あるいは文化、メンタリティが全く違うからである。
そしてこの違いは、やっぱり貧しさにあるのではないかと思っている。

フィリピンはとにかく貧しい。
大昔のサザエさんなどに「ちょっとお隣からお醤油借りてきてちょうだい」なんていうセリフが出てくるけど、あの高度成長期前の貧しい日本の雰囲気が今も現実の生活として存在しているのである。
考えてみて欲しい、生活に密着したお醤油でさえ、隣人と貸し借りしてしまえるこの「距離感」!
あなたは受け入れられるだろうか?実際に醤油の貸し借りがあるかというとないとは思うけど、貧しい社会に特有のこの「距離感」が生活のあちこちに息づいているのがフィリピンなのだ。
そして隣人との距離がこうであるということは、親戚同士となったらさらに距離が縮まってくるということになる。その結果、「お前のものはオレのもの、オレのものはお前のもの」の道理が通ってしまうのだ。ジャイアンと違って、「オレのものもオレのもの」でないのに救われるが、しかし、実際のところ実に無計画で暑っ苦しい距離感なのである。
こういった自分と他人の境界線のない世界というのは、受け入れられない人にとっては絶対に受け入れられないものだし、特に金銭が絡んでくると大きな問題を招くことになりかねない。
「お前には金がある、オレには金がない。だから払ってくれて当然だろ?」となってしまい、こういう社会では払わないのは人情味のないやつ、となってしまうのである。もちろん逆もまた真なりで、「お前は金がない。オレには金がある。だから今日はオレが金を出すよ」となるのである意味楽ではあるのだけど、でも、こんな思いつき&どんぶり勘定生活が肌に合う日本人は少ないだろう。

時々、フィリピン人の大勢の家族にたかられて身ぐるみ剥がされた日本人の話を聞くことがある。日本人としては「騙されちゃってかわいそうだね」と思いガチなのだけど、そんなわけで、果たして本当に騙されたのだろうか、という疑問も最近感じはじめている。
フィリピン人からすると、金のある奴が金のないもののために金を払うのはあたり前のことなので、彼らとしては騙して金を取った気などさらさらないのである。大抵の場合は「お前お金持ってるだろう?オレは持ってないんだ。払ってくれよ」のナアナア精神と、断れない日本人の性格の弱さでコトが運んでしまったのではないだろうか。もちろん「ハズレを引いて悪いのに大当たり」というケースも少なくはないだろうけどね。

まあ、そんなわけで、いくら見かけと中身が天使であっても、メンタリティも文化も生活習慣も違うので、すり合わせるにはきっと苦労するだろうな、と街を歩いている外国人とフィリピン人のカップル(大抵は年配の男性と若い女性だけど)を見るたびに思ってしまう。

「若いうちの苦労は金を払ってでも買え」と言うけど、金を払ってまで苦労する必要はないと思うぞ。

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