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週刊セブ島留学&起業日記(第87回)

この記事は2020年6月15日に配信されたメルマガのバックナンバーです。

6月13日(土)、私は無事セブから日本に帰国しました。

一方で現在でも、セブから出ることができずに苦労している日本人が多くいると聞きます。そこで、今回は英語学習や留学とは全く異なる話題とはなりますが、「今回の帰国に際して私が行ったことの一部始終」を書き残しておこうと思います。

(すみません、今回のメルマガのこのネタ一点のみです)

こうした私の個人の体験が、いわゆる「帰国難民」の皆さんのお役に立てれば嬉しく思います。また、今後フィリピンでビジネスをしようと思っている方にとっても大いに参考となる内容であると自負しております。

まず結論から言うと、私の下記のフライトで帰国しました。


エアアジア 12:50発マニラ行き

アシアナ航空 23:50発ソウル行き

アシアナ航空 9:00発成田行き


そして、取得した書類は下記です。


Medical certificate (発行元)BOQ / Bureau of Quarantine

Travel authority (発行元)City Hall


※巷間、必要と言われているPNP(フィリピン国家警察)発行のTravel Passは不要と言われました。これは、実際にセブ空港の1階にあるPNP事務所まで言って確認したことです。免除の条件は「外国人が経由地(マニラ)に降りずに空港トランジットのみで母国行きのフライトにすぐに乗ること」でした。

<ロックダウンとフィリピンの航空事情>
セブは3月29日からロックダウンに突入しました。現地ではECQ / Enhanced Community Quarantine(強化された地域検疫)という言葉が使われていましたが、法的拘束力を持つ紛れもないロックダウンでした。5/16から一部地域はGCQという緩和された状態に移行しましたが(私が住むエリアも含む)、大きな違いはありませんでした。

そんな中、フィリピンの国内線は運行停止を余儀なくされました。貨物線やスイーパーフライトと言われるチャーター便を除いて、ロックダウン中にフィリピンで飛び続けたフライトはマニラに離発着する一部の国際線のみでした。ですから、マニラ空港に陸路でアクセスできる人は日本へ帰ることができたのですが、セブを含むルゾン島以外に住む外国人は、基本的に帰国の手段を奪われていたのです。

<国内線再開?>
6月1日にマニラ首都圏とセブシティがようやくECQ(ロックダウン)からGCQという状態に緩和され、国内の航空会社がこぞって6/1からの運行再開を宣言しました。各島から動けずにロックダウンを耐え続けていた人は歓喜と共に航空券を購入し、我先へと空港に向かったのですが彼らを待っていたのは地獄絵図だったのです。

キャンセルの連発。

中には搭乗ゲートまで乗客を入れておいての「土壇場キャンセル」まであったそうです。理由は、関係者間の調整不足。中央政府、陸運局、航空会社、出発空港、到着空港、到着空港のある自治体。

確かに登場人物は多いのですが、普通、再開を視野に入れて事前に詰めておくのが日本人的発想なのですが、フィリピンには「事前準備」とか「リードタイム」という言葉がないのです。

ということで、6/1から調整を初めて1週間、キャンセルを連発しまくったのです。空港には遠方から来る人も多いので、そういう人は空港で寝泊りしており、ソーシャル・ディスタンシングもなく非常に感染リスクが高い状況にいるそうです。

私はフィリピン歴6年半で、ビジネスにおいても全て自力でフィリピン人と交渉しているので、こうした状況は容易に予想することができました。ですから、私がまず6月第1週にしたことは「本当に国内線が飛ぶかの確認」でした。この国では焦って得することはありません(これまで、何度裏切られたことか)。

そして、残念ながら結果はNO。6/6の土曜日には空港まで行って、空港スタッッフ、フィリピン航空のチケットオフィス、空港警察にも直接ヒアリングを行いました。そして得た結論は「週明け」まで待とうということ。そう、フィリピンで生きるとは「我慢する」ということなのです。

<渡航に必要な書類>
そんな中、もう一つの大きな関門が突如私の前に出現しました。それは、航空会社が搭乗に際して3種類の書類の提示を要求し始めたのです。これは航空会社の方針ではなく行政からの要請とのことだったので、基本「マスト」と考えなければなりません。これも6/6の空港訪問で裏を取ってきました。

その要求される書類とは下記です。

Medical Certificate(健康証明書):DOH/保険省発行

Travel authority:市役所

Travel pass:PNP フィリピン国家警察

馬鹿ですか?こういう時に余分な仕事を作るのがザッツ・フィリピン流なのです。更に私を呆然自失とさせたのが「健康証明書を取るためには、登録後2週間毎日、1日2回体温を報告しなければならない」という馬鹿げた規定。

更には、通常フィリピンでは書類は即日発行されることは稀なので、全て含めると手続き開始から3週間はかかる計算となるのです。実際に「17日間かけて全て取得しました」なんて情報をツイッターか何かで見かけました。

そんなのあり得ない。

ということで、私は久しぶりに自分自身をトップギアに入れました。気合をマックスまで高め、自分に対して「何があっても怒らない」と何回も言い聞かせました。フィリピンの役所と自分でやり合うとは、本当にこのくらいの覚悟が必要なのです。そして、6/8(月)に役所参りを開始したのです。

(1)バランガイ・ホール

バランガイとはフィリピンの最少行政単位。まずはここで、そのバランガイに住んでいる人間であるという認定を受ける必要があります。朝9時半頃バランガイホールに到着すると、100人以上の大行列。おそらく補助金か何かの受け取りに来た人の列です。こんなの並んでいたら軽く3時間はかかります。

そこで奥の方で偉そうに列を監視しているおじさんの所に行き、「日本に帰るための手続きに来たんですが」と英語でまくしたてました。そのおじさんは、面倒くさそうに100人の列に私を割り込ませ「次」と言って入り口の前に座らせてくれました。

経験上、バランガイ・レベルでは明らかに外人特権があります。また、英語でまくしたてると自分では対応したくないので(英語が堪能な人は少数です)、すぐに先に通してくれたりします。すみません、今回は時間もなかったのですこし嫌らしい手段を使いました。

そして、1分も立たずに中に通され、すぐに事情を説明しました。先方の回答は「このルールはフィリピン人向けのものなので、外国人には適用されません(not applicable)。ですので、DOH/保健省に直接行って下さい」とのこと。

第1関門突破。


(2) DOH

次のDOHについては、週末に既に情報を得ていました。実は私のスタッフの一人にDOH勤務の友人がいるのです。その友人曰く「外国人のことは分からないので、空港にあるBOQ(検疫局)に行って下さい」とのこと。

第2関門突破。


(3)BOQ

そして、私は本丸であるBOQに向かいました。場所は空港のターミナル2の1階。現地に着きガードマンに「日本に帰る手続きのためにBOQに来たんだけどどこ?」と告げると、一言「航空券は?」。

意味不明。

よく聞いてみると、航空券がないと健康証明書は発行できないとのこと。日本人的発想だと、航空券買って健康診断でダメと言われたら航空券無駄になるだろ!となるのですが、ここはフィリピン、日本人の感覚は通用しません。

そうこうしているうちに、偶然BOQの役人が私たちの前を通りかかったのです。ガードマンがこの人BOQの人、と言うので直接話すことにしました。すると、結論は一緒でした。具体的には、

外国人にはBOQでMedical certificateを出す
しかし、それはフライトの前日限定
必要な書類は航空券のみ

この時点で私の「早期帰国」は現実味を帯びて来ました。当初入手した情報による「14日間体温を送り続ける刑」の免除がここで確定したのです。

第3関門突破。

私はその足で、当日のフライト情報を確認しようと、国内線ターミナルに行きました。この日から飛ぶ予定だったエアアジアのマニラ行きのところに「Check-in」という表示が出ているのを見て、胸が熱くなりました。エアアジアありがとう!さすが外資!(こういう時、本当にフィリピンの会社はダメダメ)。


(4)PNP

その後、空港内をウロウロしているとPNPという看板が目に飛び込んできました。PNPとはフィリピン国家警察のこと、そして今回の手続きでTravel passを発行する役所です。私はすぐにPNPに直行し直談判を始めました。

担当の警察官が言うには、Medical Certificateがあればすぐに発行すると思います、とのこと。おー、ありがとう!で、どこでもらえるの?と聞き返すと、このビルの1階に事務所があるからそこで発行します、とのこと。

第4関門突破。

もうここまでくれば、ほぼ安心です。しかし、フィリピンの役所の酷さを骨の髄まで経験している私がここでやめることはありません。私は翌日、市役所/City hallに向かいました。


(5)市役所

受付で事情を説明した後、数カ所盥回しにされ、最後に行き着いたのが市長室でした。そして、市長室前に単独で座っている中年の女性(多分、市長の右腕)のところに行くよう指示されました。

私が事情と他の役所の対応を説明すると、彼女は外国人の扱いについては全く分かっていませんでした。私が何度も説明するうちに、偉い彼女は徐々に自分の部下を巻き込み始め、最後には8人程の輪ができていました。

そして、彼女が最後に下した結論は、Medical Certificateがあれば、即日Travel Authorityを出せるように最大限の努力をします。実は、彼女はこの時確約はしなかったのですが、これ以上問い詰めるのは無粋というものです。フィリピンでは、役人を追い込み過ぎてはいけないのです。

第5関門突破。

これでようやく、私の帰国の道筋が見えてきました。今後、日本人の皆さんが上記の役所に行く場合は、かなり楽だと思います。どこも私という「前例」を経験しているからです。最後に役所交渉の極意を開示しておきます。


<役所折衝の極意>

絶対に上からいってはいけません。下から、下からです。ヘルプミー作戦です。今回、私が連発した言葉は、

All I need is your help.
直訳:私に必要なのはあなたの助けだけです。

そして足で稼ぐことです。何事も1回で済むと思ってはいけません。フィリピンには下記のような格言があります(私が作りました笑)。

”初対面は赤の他人だけど、2回目に会った時は既に親友”

フィリピン人って一度会った人の顔を本当に忘れません。また、仲間意識が非常に強く、その仲間に入るハードルも非常に低いのです。ですから、日本以上に根回しが重要で効果的な国なのです。更には、外国人が足繁く通えば、彼らの自尊心も刺激することができます。

今回、私は5ヵ所の役所とコンタクトを持ったのですが、全て上記の二つの極意を駆使して突破したのです。


<フライト前日>

BOQ

朝8時半にBOQに向かい、無事Medical Certificateをゲット。フライトの24時間前に行ったのですが、「これから市役所に行くので時間がないからお願いします」と言って押切りました。

PNP

冒頭書いた通り、PNP発行のTravel authorityは不要とのこと。私は念には念をいれて、エアアジアまで行き「PNPは不要と言ってるけど、明日乗せてくれる?」と確認しに行きました。答えはOK。ここでも、2人のスタッフに顔を売っておきました。

市役所

私が市長室に入って行くと、多くのスタッフが私に挨拶してきました。根回しが聞いている証拠です。私から書類を受け取り、ここで待っていて下さいの一言。15分ほど待って、昼過ぎにはTravel authorityを発行できるので取りに来て下さいとのこと。結局、午後3時頃にゲットできました(昼過ぎ?)


<帰国当日>

書類が完璧だったので至ってスムーズでした。

チェックイン手続き、フライトの様子、マニラでの乗り継ぎ、成田の検疫については、他の方でも発信されているので、そちらを参考になさって下さい。

勿論、必要であれば、問合せを頂ければ回答します。

もう少し落ち着いたら、ロックダウン生活の総括や今後の見通しについても書いてみようと思います。Youtubeも復活予定です。

ということで、

Mission completed!!


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