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Bluetooth

 田舎暮らしにとって車は必需品である。なぜなら、交通手段が少ない上に、街灯はまばらで夜中には外を歩けたものじゃないからだ。子供の頃から車で移動するのが当たり前だったし、大人になった今でも移動の大抵は車である。かと言って、車が好きというわけではない。運転自体が好きではないし、さらに言えば人と乗るのが好きではない。いつも沈黙の空間が生まれないように、会話が途切れないことに神経を擦り減らせている。そんな時の頼みの綱は決まって音楽だった。そして、今も。

《どんなに伝えたい言葉も目に見えないなら透明なんだ》*

 ふと、後部座席に座る女性をバックミラー越しに見る。ハンドルを握る私の手が汗ばんだ。窓の外に広がる真っ暗闇を彼女は虚げに見ている。いや、元彼女か。私に別れを告げたユミを送り届ける道中である。

《長い夜の向こう側で この心ごと渡したいから》*

 この音楽はユミが流しているものだ。後部座席にいながらも、Bluetoothでカーステレオから流しているのである。便利な世の中だ。カーステレオにBluetoothを搭載させた人も、こんな使われ方をするとは思ってもみなかっただろう。そう言ってみたのなら、ユミはなんて言うのだろうか。

《夜に浮かんでいた 海月のような月が爆ぜた》†

 くだらないことを考えている間に車は目的地に近づいてきた。アクセルを踏む足が自然と緩む。
「ここで――」とユミが話すのを遮るように、私はアクセルを少しだけ踏み込んだ。
「もうちょっと先まで送るよ」
「……ありがと」

《口に出せないなら僕は一人だ それでいいからもう諦めてる》†

 視界が明るくなる。街灯が増えてきた。今度こそ目的地に到着する。口が乾いてくる。私は車を停めた。
〈ガチャ〉
 ユミが車のドアを開けて、新鮮な空気が車内に入り込む。
「ありがと。じゃあね」
「……気をつけてな」
〈バタン〉

《春になって 夏を待って 深い眠りが覚めた頃に》‡

 私一人残された車内で、カーステレオは相変わらず歌っている。ユミの後ろ姿から私は目が離せなかった。

《空を見ようよ 言葉とかいらないよ》‡

〈ブツッ、ブツッ〉

《神様なんていないから》‡

〈ブツッ……〉
 千切れる音がする。思わず私はカーステレオを見た。
〈ブツッ〉

《忘れることが自然なら》‡

〈ブツッ、ブツッ〉

《想い出なんて言葉作るなよ》‡

〈ブツッブツッ……〉
 ついに音楽は途切れ、静けさが車内を覆った。私は曲名を知る機会を失った歌を口ずさみ、眠るように目を瞑った。

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引用元:*ヨルシカ 『準透明少年』、†ヨルシカ 『ただ君に晴れ』、‡ヨルシカ 『冬眠』

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