私の持っている発達障害について

皆さん、お忙しい中私のnoteをご覧になって頂き、誠にありがとうございます。
これが私の初のnote投稿になるので、温かく見守って頂ければ幸いです。

私は「自閉スペクトラム症」という名前の発達障害を抱えています。
自閉スペクトラム症(ASD)とは、対人関係が苦手だったり、特定の物事に対するこだわりが強かったりするものです。
↓具体的にはこのような症状が見られます。
https://www.smilenavigator.jp/asd/abc/
私はこのせいで学生時代では変わり者として認識されることが多く、いじめを受けることが少なくなかったです。
(まあ、私も学生時代は色々あって他人に迷惑ばかりかけていたので人のことは言えませんけども…)

私は1996年10月に北海道の地方都市に、3人きょうだいの真ん中っ子として生まれました。2歳年上の姉と、3歳年下の妹がいます。
私は浪人1年と留年1年を経て2021年3月に地元の国公立大学を卒業いたしました。
同年4月に地元の民間企業に勤めることになりましたが、肝心の仕事内容は私の能力に向いているものではありませんでした。
その会社は受託開発をメインとした仕事内容であり、新入社員はそれができるようになるまでに勉強のような作業をするのですが、私はその作業に向いていませんでした。
与えられた日程表からは遅れるうえ、その作業が好きでも得意でもないので、改善したいと本気で思えるような意欲が湧き上がりませんでした。
それで同年12月にLINEでとある人に相談したら、精神科とカウンセリングを受けることを勧められたので、私は地元の精神科で自分がどのような症状を持っているのか診てもらうことにしました。
2022年3月、私は「自閉スペクトラム症」という症状であることが判明しました。

図1. 精神科で貰ったプリント


精神科の先生からはこのようなことを口頭でおっしゃっていただきました。
・知能が平均以上で非常に高い
・コミュニケーションが苦手
・他人がどう思っているのか考えるのが苦手

障害者手帳は必要ないと言われました。
コミュニケーションが苦手であるということは過去の経験から自覚していました。(具体的な内容は後程述べます)
でも、私は知能の高さに関しては自信がなかったので、知能が高いと言われたことは意外で、嬉しかったです。
私は地元の中では優秀とされる高校に進学して卒業したのですが、色々あって私はその高校での成績は良くなくて、現役の大学受験では壊滅的な成績のせいで1年浪人して地方の国公立大学に進学したので、私は自分が知能が高いとはあまり思えません。
そもそも、常識を無視した馬鹿馬鹿しい行動を学校でやっていろんな人を呆れさせた経験の多い私を「知能が高い」と褒めるのは正直おかしいと思います。

まぁ、それはさておき……
当時勤めていた会社にそのプリントを提出したら、以下のようなことを指示され、退職勧奨を受けてしまいました。

図2. 退職奨通知書

私はこの会社での仕事内容が自分に向いていないことを自覚していたので、退職勧奨ということになってむしろホッとした気分です。
このまま無理して勤務を続けていたら、苦痛に耐えられなくなって自殺していたかもしれません。
仕事は一度失ってもまた探せばいいですが、命は一度失ったら二度と元に戻せないので、仕事を辞めた方が相対的にマシでしょう。
現在、私はどんな職業が自分に向いているか分からないので、8月に入ってから就労移行支援事業所に通う予定です。

次に、私がこの25年8ヶ月の人生で、どのように過ごしてきたのか、自伝のような形で紹介します。(ここから先は丁寧語じゃなくなります)

【赤ちゃん時代】
・母のお腹の中では足で子宮を蹴っ飛ばしていたらしい
・出産予定日より8日早く生まれてきた
・生まれた直後は爪で顔を引っ掻いた跡があったらしい
・母にめちゃくちゃ甘えていた、母のブラジャーで涙を拭いていた
・姉に懐いていた

【幼稚園時代】
・幼稚園ではまったく喋らなかった
・幼稚園で食事中に鼻血を出したのに報告できず、隣の女子がそれを先生に報告した

【小学校時代(2003年4月~2009年3月)】
・小学入学から、学校では喋るようになった。
・低学年のときは学校でおしっこを漏らすこともあった
・低学年のときは先生の指示に従わなかったり、隣の席の女子を怒鳴りつけて泣かせたり、朝の学習のときにブツブツ歌って「うるさい!」って言われたときもあった
・低学年のときは姉と一緒じゃないと怖くて下校できず、それが問題となり、クラスメイトの女子3人(俺と同じ幼稚園)から罵倒された
・小4から小6まで、「言葉の教室」に通っていた
・水泳を習っていたが自分に合っておらず小5の途中でやめて学習塾に通うようになった。そこで附属中学校の受験を勧められたが過去問が意味不明すぎてついていけず、不合格になった。
・卒業アルバムでは趣味は「絵を描くこと」と書き、将来の夢は「頭のいい人」と書いた。頭のいい人とは"すごく勉強ができるようになりたい"ってニュアンスで書いたのだと思う。「大きく変わりそうな人ランキング」ではクラス1位だった。

小学2年生のとき、どういうわけか図書室で「かいけつゾロリ」の本を借りまくっていたら、クラスで一番本を借りた生徒として教室で表彰された。それで担任の先生から表彰状をもらうときに俺は片手で表彰状を受け取ろうとしてクラスメイト一同から笑われる。そのとき俺は「ハッ!俺って人を笑わせるセンスがあるかも!?」と強く思い、調子に乗った行動を起こすこととなる。

調子に乗った俺は学校で「イヤ〜ン♡」とか「ドイツはどこのどいつだ!?」と騒いだり、学習発表会のときに自分が思ってることをそのまま喋ったりするなどの奇行に走った。
そしたら笑われることもあったが、一部のクラスメイトから「イヤーン言わないで!」とか「うるせえ!」とか「帰れ!」とか言われた。
俺はそれらを聞いてものすごくショックを受けた。
俺は生まれつき、他人から批判されることがすごく苦手で、クラスメイトとか先生に怒られると心がものすごく傷つく癖がある。
そういう性質を持っていた俺はクラスメイトからのそれらの発言のせいで、学校では全く喋らないキャラになった。(家では普通に喋っていた)
その学校では喋らない傾向は中学2年生の中間ぐらいまで続くこととなる。

小3以降の俺は学校ではまったく喋らなかった。しかも無表情だった。
これは世間の評判を下げないための秘策であり、本当はそこらへんの陽キャみたいにギャーギャー騒ぎたかった。
そのキャラのせいで、学校の授業とかで困ったことがあっても担任に報告できなかったせいでハプニングを招いたこともあった。(具体的な内容は黒歴史なので差し控えます)
学校の休み時間では自分の席でずっと座りながら固まった状態だったので、いじめられることが多かった。

小学4年生の5月に初恋をした。
しかし、当時の俺は全く喋らないキャラだったのでその女子に何も行動せず、そのまま別々の中学になって終わった。
(その次の恋で起こした事件のことを思えば、初恋で何もしなかったのはある意味正しい行動だったかなと思う)

そんな俺に得意なことがあったが、それは後程述べる。

【中学時代(2009年4月~2012年3月)】
・運動が苦手だからという理由で美術部に所属した。絵を描くことならいける気がした。

・学年主任の音楽教師がとても評判の悪い先生だった
 →そのせいで俺は学校ではものすごく真面目なキャラになった。この影響で俺は「合唱」という新たなスキルを身に付けた。
 →俺が中学2年生のときに例の事件を起こしたのは、もしかしたらその先生の影響も間接的な原因になっていたかもしれない。

・どういうわけかテストの点数は学年で上のほうだった。
・中学1年生のときは小学校時代と同様の全く喋らないキャラだった。
・中学1年生の学年末テストの成績がとても良かったので嬉しくなり、中学2年生になってからは少しずつ喋るようになった。
 →これも例の事件の間接的な原因になっていたかもしれない。

・小学卒業頃にボカロにハマった。
 →この趣味を公にしたのは高校生になってからである。
・中学1年生のとき、DSiの「うごくメモ帳」にハマりすぎて親にDSiを隠された。
・中学1年生の10月に皇室にハマった。
 →天皇陛下バンザーーーーイ!!!!
 →佳子さまより眞子さまの方が可愛いと思うのは俺だけでいい。
 →愛子さまに皇位継承権を譲るな!旧皇族の男系男子を皇籍復帰させろ!

中学2年生のとき俺は現時点で人生最大ともいえる事件を起こしたのである。
2010年10月20日か22日ぐらいの放課後、階段を登っていたら俺は同級生の女子(隣のクラス)とすれ違い、その女子に恋をした。小4のときに次ぐ2回目の恋である。
その女子は俺と同じ小学校出身であり、小2の3学期のときに俺のもとに転校してきて2ヶ月ほど俺と同じクラスになったことがあった。
身長が高くて声が低くて大人しい人だった。
中学では俺と同じ美術部に所属していて、学習塾のクラスも俺と同じだった。中2の前期は俺と同じ図書委員で同じ曜日に仕事をしていた。

俺はその女子に恋する前は落ち着いた学校生活を送ることができたが、
その女子に恋してからは、正気を保つことができなくなった。
12月に入ってから、俺はその女子を引き付けるため、学校や塾で奇行を繰り返した。
この件は学校で大きな話題になってしまった。
それから間もないときに俺はその女子の靴箱にラブレターを入れてフラれた。

この後も俺はさらにヤバい行動を繰り返すことになりますが、ここから先は笑えない話になるので割愛します。
そのへんの話を全部書いたらめちゃくちゃ長くなるので、笑える話でも割愛します。

この事件で俺は良くも悪くも大きく変わってしまった。
自分が今まで自覚していなかった自分の悪い部分がかなりあからさまになった。
そのせいで、俺の学校での振る舞いは、中学時代前半と後半で激しく異なる。

俺はその女子に強く嫌われてしまった。
加害者の俺が言うのもあれだが、ものすごく大きなショックを受けてしまった。そのショックは12年近く経った今でも完全には消えていない。
このショックのせいで中3になってからはテストの点数がガタ落ちした。
高校受験では志望していた高校には一応合格したのだが、順位はボロボロだった。
その女子とは学力の差があまりなかったので同じ高校に進学することになったが、やはり3年間会話を許してくれなかった。

【高校時代(2012年4月~2015年3月)】
・あだ名をつけられて、そのあだ名で親しまれた
 →俺の苗字をちょっと改変した呼び方
 →ネガティブなニュアンスはない
 →今まであだ名で親しまれたのは初めてだったので嬉しかった

・合唱部と将棋部に所属
 →合唱部がメイン
 →自分の才能のことを考えれば美術部に所属するべきだったが、色々あって美術部には入らなかった
 →自分はどちらも良い成績は残せなかったけど、性格のいい後輩たちに囲まれて色々会話できたのは楽しかった

・テストの点数は全体的にゴミだった
 →中学2年生のときの例の事件のせいで精神的にボロボロになったのが最大の原因と考えられる
 →高3の理科の定期テストだけは良かった(あれは学校で配布される問題集からそのまま同じ問題が出題されるからできた)

・高校2年生に入ってからはTwitterを始めた
 →最初はリア垢のような立ち位置のアカウントを動かしていたが、普通にツイートしていたつもりだったのに「お前のTwitter酷いな!」って30人くらいから言われた。たくさんの人にブロックされてしまった
  →これはいじめではなくマジで酷いとされていた。
  →これと、模試の成績不振が原因で、高3に入ってからツイ禁(7月にアカウント削除)。高校卒業後にはリアルの知り合いにTwitter上で関わらないという条件付きでTwitterを復活させた

・高3の8月にラブライブにハマり始めた
 →最初は西木野真姫推しだった。
 →それから8年近くが経った今でもラブライバーを続けていて、今は上原歩夢推しである。

・高3のとき、クラスメイトの男子に「お前がクラスで一番キャラ濃い」って言われた(なんか嬉しかった)

この高校時代は嬉しい出来事もいくつかあったけど、中学2年生のときに自分の誤った行動のせいで大好きな女子に嫌われたショックがまだすごく尾を引いていて、全体的にこの高校時代はものすごく幸福度が低く、暗黒時代と言ってもおかしくないくらいだった。
せめてテストの点数がもっと優秀だったら楽しかったのだろうけど、それが全然ダメだった。

そのショックで精神的に不安定だったせいで俺は高校生のときに恐ろしい行動をすることが多かった。(中2の冬からそうだったんだけども)
例えば初音ミクで発狂したりだとか………このへんに関しては本当に汚い思い出になっている。

大学受験の勉強は本当にダメダメだった。予定調和みたいな形で浪人した。
もし中2の例の事件さえなければ……と思わなかった日はない。

【浪人時代(2015年3月~2016年3月)】
・地元の予備校に進学

・4月に鼻の手術を受けた
 →そのせいで最初の予備校の授業を受けれず、後にトラブルを起こした(具体的な内容は言いたくない)

・もう何もかもが絶望だった、すごくつらかった、ただの地獄だった
・結局俺は行きたかった大学を諦めて、学力的に妥当な大学に進学することとなった

【大学時代(2016年4月~2021年3月)】
・例の事件から5年以上が経過していたので、失恋のショックはだいぶ薄れていた

・酒やタバコには手を出さなかった(今も手を出していない)
 →普段からチョコレートとかアイスクリームとかを好んで食べているので酒やタバコは必要ない
 →俺は本性が狂ってるから酒を飲んで酔っ払ったら絶対なんかやらかすと思う

・女子の少ない大学だったので新しい恋や女友達に恵まれず、退屈だった
 →女子と接する機会が少ないので、中2の例の事件みたいなやらかしを繰り返さずに済むというポジティブな面もあり
 →その反面、出会いが無さすぎて焦ってハプニングを起こしたこともあった

・友達が全然できなくて、孤独な日々を送っていた
 →いじめに遭う頻度が激減したのは良かった

・大喜利サイト「bokete」にハマった
 →自分の投稿したボケが殿堂入りの3位になった。
  →詳しくは「ボケて リーブ21」で検索
  →これがバズったときはめっちゃ嬉しくなった。中2の例の事件以降で起こった出来事の中では一番嬉しかった。
  →殿堂入りしたときは調子に乗ってTwitterとかで事件を起こしてしまった。
  →今ではこの嬉しさはなくなった。こんなものは学業や仕事では何の自慢にもならない。今はboketeなんてもうやってない。

・講義に意欲的になれず、1年留年してしまった
 →留年確定後は、「大卒の肩書きがあれば女にモテるかもしれない」といった変な考えを持ち、強引に勉強時間を増やして2留を回避した
  →なぜ最初からそうしなかったのか。
  →現在は大卒になれたのだが、女にモテている気配は全くない(そもそも出会いが無いし発達障害だし……)

・アルバイトの面接に9連続で不採用となった
 →接客の必要なアルバイトには一度も採用されたことがない。
 →まさに自閉スペクトラム症の本領発揮である。

・高校生のときは修学旅行で秋葉原に行けなくてすごく悔しい思いをしたので、大学生になってからは自分の金で秋葉原に行ってやった
 →こういうのなら夢は叶う。恋愛と違ってね。
 →ついでに訪れた沼津もとてもよかった
 →所持金が足りなさすぎて、秋葉原で野宿したこともあった
 →上野動物園でスマホを屋外のテーブルに置き忘れ、走って戻りに行って回収したら1分後にゲリラ豪雨に遭遇。間一髪だった。

・自分の地元がラブライブサンシャインの聖地になった
 →これに関してはすごく良かったが、桜内梨子ちゃんのキャラ設定がG'sとは全く違うキャラ設定になっていたのは今でも根に持っている。

【社会人時代(2021年4月~)】
・仕事うんぬんに関しては先ほど述べた通り。

・金銭的余裕ができたので、Switchを買ったり、すすきののソープランドを利用したり、北海道のいたるところに旅行することができた。

…………いかがでしたか?
非常に長くなってすみません。
要するに、私は普通の人とは全く違う人生を送っていたのです。

今までの俺の人生で一番印象に残っていてなおかつ一番後悔している出来事といえば、ダントツで中学2年生のときの例の事件です。
もし時間を巻き戻せるのなら、中2の11月末ぐらいまで巻き戻したいです。
過去は変えることができないのでもうどうしようもないですが、そこだけは絶対に変えさせてほしいです。
私は自閉スペクトラム症という対人関係が苦手でこだわりが強いとされる発達障害なのでこの片想いによる事件はなるべくしてなったのでしょう。
やってしまったことは仕方ないですが、今後はこのような大失敗は二度としてはいけません。

ちなみに、俺の過去の経験からすると、
得意なことと苦手なことは、以下の通りだと考えています。

【得意なこと】
・絵を描くこと
 →小学生のとき、学校の授業で普通に絵を描いていただけなのにクラスメイト達が「上手い!上手い!」って言いながら俺の席に群がったという出来事が多かった。
 →小学1年生の写生会でクラス唯一の金賞(表彰の制度があったのはこの年だけ)
 →小学6年生の学習発表会で竜宮城の看板のデザインを担当。
 →中学1年生の3学期で、美術部の活動中に絵の具で描いた制服の絵が上手かったらしく先輩や顧問から褒められる
 →中学2年生の夏に美術の授業で描いた建物の絵が他の人の絵と比べると描き方がやたら異質で、「最強だ!」とか「あれめっちゃ上手かったよね〜」言われた(下にその絵を載せています)
 →中学2年生の後半で描いた税のポスターが教育長賞を受賞し、校長室や全校集会で表彰される
  →それ自体はとても良かったのだが、受賞したタイミングが例の事件と被ってたのが残念(まあ作品に罪はないから別にいいかな……)
  →そのポスターを描いていたときはあの女子に恋したばかりで脳がときめいていたので、それが芸術センスの開花につながった可能性がある
 →中学3年生で最後の美術の授業で描いたオリジナルの色紙が顧問に「かっこいい!」って言われ、親にも褒められる
 →大学でイラストサークルに所属していたとき、俺が描いたラブライブのキャラクターの絵を部員に見せたら「可愛い~」って言われた
  →pixivで高評価が付くほどの絵ではない。神絵師と呼ばれる人の絵に比べたら程遠い

図3. 中2の夏に美術の授業で描いた絵

・市町村とか、国の位置とか、歴史の年表とか出来事を暗記すること
 →都道府県はすらすら暗記できた
 →北海道の市町村の位置とか名前とかカントリーサインを把握するのが好きだった
 →小学校高学年のときは歴史の学習漫画を読むのにハマった
 →中学1年生の6月頃、社会のテストでそんな苦労して勉強したわけじゃないのに満点をとった
  →それで自分が怖くなって、以後は社会科の勉強を控えめにしてしまった
 →中学生のときは社会科が得意分野だった
  →しかし、高校生のときは「文系より理系のほうが就職で有利だから」「国語は得意じゃないから」という理由で文系ではなく理系に進んでしまい、俺の才能は高校では発揮できなかった。高校では日本史の授業を履修していなかったので、これももったいなかった。

【苦手なこと】
・運動
 →父はスポーツができるし、姉と妹は水泳の大会に出場したこともあるが、俺だけは全然できない。
 →俺は体育の授業中は、運動中にケガをしたり球技で股間を強打するのを恐れる癖があったので、それが運動音痴の原因になっていた可能性がある。
・人とのコミュニケーション
 →友達というものがまともに作れない。
 →普通のことを喋ったつもりなのに、相手を悲しませたり怒らせたりしたことがとても多い。
  →現実世界でもネット上でもよくやらかしてしまう。
  →これは自閉スペクトラム症あるあるらしい
・他の人と行動を合わせること
 →複数人のグループに入ると俺だけ孤立しがち。調理実習では俺は壊滅的。
・人の話を聞くこと
 →学校の授業中に先生の言っていることを誠実に聞くことができない。ときどき消えて聞こえる。それで恥をかくことが多かった。

本来、仕事というのは、自分の得意なことをやるべきなのですが、私の得意なことは現時点では金になるようなことではありません。
得意分野をとことん学べるような学校には進学していなかったので、今から画家とか歴史学者を志してももう遅いような気がしています。
私は美術の分野に特化した大学や専門学校には通っていませんでしたし、地理や歴史の知識を深く学べるような大学や専門学校にも通っていませんでした。
今では私は美術や歴史学の道に進むべきだったかなあと後悔しています。
もう今年26歳なので、今から学校に入り直すのは遅いような気がしますし、親から猛反対されそうな気がします。

私が通っていた大学は情報系の知識を深く学ぶことができる大学でしたが、私はその大学での講義の内容に意欲的になれませんでした。そのせいで1年留年してしまいました。
ちなみに勉強すれば単位を取れる講義内容だったので、一応卒業はできました。
情報学に関しては私は好きでも得意でもないので、大学で学んだ情報学のノウハウは仕事ではあまり生かすことができませんでした。

そのため、今の自分が大卒のキャリアを生かしながら自分のできることを仕事として行うにはどのような仕事が向いているか、それをはっきりさせるために8月から就労移行支援事業所に通う予定です。
私は7月末に今の会社を退職する予定であり、それまでは事業所の正式メンバーになれないという決まりがあって現在は1ヶ月余り暇な時間ができてしまっています。
私と同じ年代の人々がせかせか働いている平日の昼間にもこうやってニートのような日々を過ごしてしまっているのが本当に申し訳ないです。
ですので、この暇な時間を生かして、noteに投稿するためのこの長文を書いて時間を潰しています。

発達障害はつらいです。
自分が発達障害であるだけで人生の難易度が上がってしまいます。

私は将来、素敵な女性を見つけて、結婚したいと考えております。できれば30歳になるまでに結婚したいです。
今まで彼女ができたことがないので、彼女と言えるくらい親密な関係の異性ができたら自分の人生はどれだけ光り輝くのか体験してみたいです。
私は自閉スペクトラム症であって対人関係が苦手なので、もし理想の女性を見つけてアタックしたら中学2年生の例の事件のようにまた失敗してしまうリスクがありますが、人生は一度きりなので後悔しないように自分のやりたいことをやってみたいのです。
その際には例の事件の二の舞にならないように、どのように距離を縮めるのが正しいのか事前に他人に相談して慎重な行動をするよう心掛けたいと考えております。

最後に、私の理想の女性像について説明いたします。
年齢は私と同じくらいで、眼鏡をかけておらず、太っていない女性が良いです。身長は比較的高い方が良いかもしれません。
普段はお淑やかで清楚だけども、日本のアニメや漫画やボカロなど、オタクっぽい趣味がある女性が良いです。
さらに初音ミクやラブライブが好きな女性ならより良いです。
私は絵を描くことや絵を見ることに特化したことがあるので、絵を描くことが好きで得意な女性が良いです。
もし上記のような女性がいたら、私に紹介していただければ幸いです。
仮にそのような女性に出会えたとしてもその女性が私のことを気に入ってくれるとは限りませんけども……。

これで終わります。長文になってしまいましたが、最後まで読んで下さり誠にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?