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好きでも、全ては大切に出来ない:Vaundy


あたりめです。


11月にVaundyの2ndアルバム、replicaが発売されました。

バウくんとヌーが同じ月にアルバムをリリースするというトンデモねぇことを しでかしてくれたおかげで、1ヶ月以上経った今でも凡人の脳みそは見事にカオスな状態を保ち続けている。さてはここまでが狙いか?予定調和の連携プレーなんか???(違います)




今回バウくんに関連したことを書くにあたって、新譜・replicaにどんな異変が起こっているのかというくだりをチマチマまとめていたのだけど、普通に長すぎる(いつもだろ)のと 話が若干ズレる(だからいつもだって)ことに気が付き、そのへんについてはまるっと別の記事で使うことにした。その記事を書き上げるための気力が残ることを、自分自身につよく祈っている。

己の気力の話なんぞ どうでも良すぎるのでさておき、replicaを聴き 漠然と「バウくんを知るチャンスかもしれない」と感じた私は、アルバムの話を聞くためにSpotifyのLiner Voice+ライナーボイス プラスを聞くことにした。これは各アーティストが自ら新譜について詳しい解説をしてくれるもので、いわば音声版のインタビューという感じだ。これのVaundy・replica編がアップされていたのである。



そのなかで 冒頭 'Audio 007' というSEの次に収録されている、アルバムの本格的なスタートである楽曲 'ZERO' についてバウくんが話していたとき、めちゃくちゃ感情が高ぶってしまった箇所があった。

(※引用部分において一部直接的な表現が含まれますが、引用ということもあり 今回はそのまま表記します。)


「そもそも歌詞がないので」
歌詞から曲調を感じ取ってほしいんじゃなくて、曲から音楽の感情を聴き取ってほしかった

(インタビュアー・山崎さんの「アーティストからデモを聴かせてもらったとき、入れてあるウソ英語・ヘニャヘニャ言葉の仮歌がすごく良かったりする。あとで正式な歌詞になったときに、なんかその生命が死んじゃったな、というのがなかったりあったり」という言葉に対して)

「僕は、なんだろう、殺す作業に近いと思ってて、やっぱりその 歌詞を入れるっていうのは」

「なんでかっていうと そもそも僕は、歌詞を入れる作業のこと "翻訳" って言うぐらい、やっぱりもう『元ではないよ』っていうのが前提なんですよね」

『音の持つ力のほうが、実は歌詞より大きいんだよ』というのを、僕が曲を出すことで体現出来ていればなと」

Spotify Liner Voice+より


紙面インタビューではこんなことも言っていた。


僕は歌詞じゃなくて、和声とかメロディから感情が伝わってくるのが音楽の本質だと思っていて。例えば「サビのメロディと音でこういう気持ちになったから、こういう感情の歌詞なのかな」と想像することがありますよね。それこそが音楽だと思うんです。歌詞というのは、感情の説明にすぎない。

音楽ナタリー インタビューより

だから僕は最後にメロディの翻訳を歌詞にする。オケが言いたいことがメロディの中に出てきて、メロディが言いたいことを僕を通して日本語に翻訳する。だから何言ってるかわからなくてもいい。それが今回の「ZERO」っていう曲。

Skream! インタビューより




もう心臓が、全身が、ギュ〜〜〜〜〜〜〜となってしまった。これはもう何年もずっと、ず〜〜っと、私が音楽を聴くうえで常に抱えていたモヤモヤだったからだ。



正直、いや ここまでバッサリ言っちゃうんか!?とも思った。だけどこれはあくまで "Vaundy" が持つ考えであり、彼が自身の音楽を作るうえでの話をしているのだ。

私は彼のこの考えに、言葉たちに、めちゃくちゃ勝手に救われた。なぜなら、私は歌詞をすすんで読まないからである。


早くに歌詞を確認し その意味を意識する回路が脳に出来てしまったとき、自分のなかで失うものがあまりに多いと感じていた。




"歌詞を意識することで失うもの" というのは、具体的に言うと 想像(イメージ・情景)や質感、感情などが該当する。

私にとっての歌詞は、作り手が示す答えのような存在だ。すごく事実というか現実というか、そんな風に思ってしまう。だから歌詞を読み その意味を理解したとき、楽曲としての正解を意識したときに、それまで自分が楽曲に抱いていたあれやこれやを失うことが多いのだ。

別に歌詞を読んだって それはそれ、これはこれという感じで別のものとして楽しめばいいということは分かっているのだけど、いかんせん脳みそがカスすぎるゆえに、私はこの共存がどうしても出来ない。作り手の答えと自分の勝手な想像を並べてどちらかを捨てるとなったとき、選ぶのは当然自分の勝手な想像なのである。




歌詞には作り手の想いが込められているし、助詞の一文字をどちらにするかで3日間悩みもがいたひとが居ることだって知っている。こういう苦悩をみるたび、それから「歌詞が良い」という言葉を目にしたり耳にするたびに、自分の聴き方が心底嫌になるということを繰り返してきた。なんというか、音楽が好きだといいながら、それをものすごく蔑ろにしている感覚が、ずっとべったり纏わりついて離れなかったのだ。



逆に私が "失うもの" の具体例で挙げていた想像(イメージ・情景)や質感、感情などを何から抱いているのかというと、もっぱら『音』である。メロディやリズムからももちろん影響を受けるが、特に音そのものから あれこれを抱き楽しむことが多い。

この楽曲にはどんな音があるか?
どの部分でどんな風に入っているか?
空間での配置はどのあたりか?

ほとんどの場合で、最初はこんなことを考えている。

強烈なものはすぐに印象を持つこともあるけれど、そのあと繰り返し聴いていくなかで「この足元で鳴ってるのなんか柔くて淡いな」とか「サビ裏に入ってるやつめっちゃ可愛いな」みたいな感じで、徐々に質感や感情を音に抱き始めるのである。




音から得て 歌詞で失うのであれば、ボーカルが入っていないインストを聴けばいいのでは?となるかもしれないが、歌詞・言葉を紡ぐボーカル、つまり『声』も、私にとってめちゃくちゃ大切な、『音』に分類されるひとつの要素。なんならいちばん大きな存在かもしれない。インストも好きで文章を書くときによく聴いているけれど、それ以外のシーンではやはり 声のある音楽を聴きたいのだ。




楽曲を構成する一つひとつの音を、なるべくたくさん捉える。それぞれの存在を具体的に意識して、そこから想像を広げて味わいを深めていく。

曲が始まってから終わるまでの間、これでもかとなだれ込み続ける音の情報たちが なんというかピタ、ピタ、とそれぞれのところに辿り着き結びついたとき、ふっと鮮明な情景や特定のひとが浮かぶことがある。その瞬間、本当にたまらない感情になる。




これは全部私の勝手な想像であり楽しみ方だ。楽曲を作ったアーティストが描く答えとは確実に離れたものだし、さっき書いたように 自分の不器用さを理由に歌詞を読もうとしないのはなかなか酷いもんだなと辛くなることが多い。それでも私は、自分自身が音から感じて想像するものたちに対する愛情を、どうしても優先してしまうのだ。


『歌詞を大切に出来ない』ことに対してずっとモヤモヤを抱えていた私に、バウくんの「歌詞より音から想像して感じ取ってほしい」という言葉はあまりにも衝撃で、同時に とんでもなく救いだった。





そうはいっても当然ジャンルごとにスタイルは様々で、ヒップホップなんかは特に 声は言葉、メッセージとしての意味を強く持つし、アーティストによっても「伝えたいことは何なのか、歌詞からたくさん考えてみてほしい」とその大切さを直接伝えるひとが居たりすることは確かである。

だから私のモヤモヤがすべて綺麗さっぱり消え去ったということはないし、これから先も ときめきと罪悪感の狭間でたくさんの音楽を聴くことになるだろうけれど、『Vaundy』という一人のアーティストの音楽を聴くことに関してだけは全部、ぜ〜〜〜〜〜んぶ、それで良いんだよと言ってもらえた気がした。



作者の意図なんて僕は自分から説明しないし、それはそれぞれが自分自身で感じてほしい。この曲のストーリーをあなたなりに想像して、あなたの主題歌にしてほしい。その時に感じたことが今のあなたの想像力の限界ですよ、という話だと思うし、全員が同じピースを与えられているのに組み立て方の説明書きがないから、完成するパズルの形は人それぞれで全く違うっていう方が楽しくないですか?
そのために僕はピースの形を複雑にするし、何ならピースを抜いておくし。

だけど僕は、誰かの人生のBGMになればいいと思いながら曲を作っているし、その人生の主人公(リスナー)の邪魔をしない曲を作りたいという気持ちがあるので、聴いた時に「私だったらこう考えるな」とちゃんと思えるような、想像の余地のある音楽を作りたいと思っていますね。

例えば絵画があったとして、それを眺めながら 「アーティスティックで最高だよね」と言っている人って、多分、その絵の良さが分からない人からしたら、ちょっとキモいんですよ。でも、その "キモさ" というのは想像力が肥大化したものであって、想像力=相手のことを思う気持ちだから、その感覚は誰しも必要なものなんですよね。それは絶対に大事なものだと思うから、僕たちアーティストが作る音楽というものは、想像の余地がなくちゃいけないんです。

リアルサウンド インタビューより



歌詞を理解する、その楽曲が 作り手が、表現していること 伝えようとしていることをズレなく正しくキャッチしようとしなくていい。自分の想像を楽しんでいいんだよ、むしろそうしてくれよ、とすら感じられる言葉たちだ。

正しさとか答えとか、そういうのって無くていい、という言葉を、今 音楽をしている彼が発してくれている。


私は "『答えが無くても良いんだよ』という答え" を、音楽をしているひとから貰いたかったのかもしれない。なんだかとても、ヘンテコな話だ。




※参照


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