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ばあちゃんが天国に行った話


※長くなる上に祖母の死がテーマのため苦手な人は回れ右





私はその日神戸にいた(また関西)


大阪で大日本プロレスを見て、大阪城を堪能し
神戸空港から札幌まで戻る予定だった。


ポートライナーから降りたところで、母からの着信に気づき折り返す。





「ばあちゃん、もうダメかもしれない」



母の涙ぐんだ声は今も耳から離れない。




私の祖母はその時95歳。


でも、元気も元気でしっかり歩き回り、受け答えのできる状態だったので、親族一同祖母は絶対100歳まで生きるだろうと思って疑わなかった。


だが、元気すぎたが故に自分でなんでもやってしまう。


だから、祖母は台所の戸棚にある何かをとろうとした。


台に登って。



聞いた話では祖母は台から落下、背骨を骨折したらしい。

そこから肺炎になった祖母はあっという間に弱り、危篤状態になった。



そこからはもう頭が真っ白で、大阪で会った友人にLINEで知らせたことも先日の大阪で再会した時に言われて初めて気づいた。


色々な考えが巡りながらのフライト。


私はずっと泣いていた。



周りは遠距離恋愛なのかなとか
フラれたのかなとか
色々なことを思ったと思う。


だが、周りを気にする余裕などなく、涙はとめどなく溢れてくる。


悲しい涙ではなく、不安の涙。


2時間はとてつもなく長く感じた。


普段は爆睡するが、全く寝付くことが出来ない。



新千歳空港に着陸。


フライトモードにしたスマホに、母からの着信が再び来ていないことを祈って、モードを解除する。


母からの着信はまだなく安堵した。



母へ電話し、すぐに帰る旨を伝えた。


仕事のこともあるから、亡くなってから休みを取った方がいいと言われたが、生きてるうちに会えないなんて絶対後悔する。


そう思い、実家へ7時間車を走らせた。


すぐに病院へ。



横たわり弱りきった祖母の姿はそれだけで胸がぎゅっと締め付けられた。



話しかけると声は出さないが頷いて返事をしてくれた。


お医者さんの話では今日明日が山との事だった。


子供の多い祖母の病室は常に人でたくさんで、祖母は最後の最後まで寂しさを感じることはなかっただろう。


本当に本当に強い人で、なんと祖母はそこから5日間も頑張って、長女以外の子供たち、孫、曾孫みんなに会ってから静かに息を引き取った。


本当に眠っているような姿のままだった。




こんなに愛されている人を見たことないと素直に思った。


子供たちはもちろん、孫も曾孫も、娘婿も、息子のお嫁さんもみんなみんな大泣きしていて、みんなで別れを惜しんだ。



祖母の思い出話は本当に尽きなくて、逸話を聞く度偉大だという思いが増した。


95歳と聞くとみんな大往生と言うけど、祖母に関してはまだまだ生きれた気がして本当に悔しい気持ちがある。


でも、祖母は幸せだった。

それだけは自信がある。



祖母が亡くなる1ヶ月前。


どうしても祖母に会いたくなって実家に帰った。


なんとなく普段は撮らない写真や動画を撮った。



それが祖母の最後の写真で、最後の動画。


動画の中で祖母はずーっと話してた。



娘の誕生日に、娘から胡蝶蘭のプレゼントをもらったこと。


本当なら自分がプレゼントあげるべきなのに「生んでくれてありがとう」ってくれたのって、嬉しそうに私に向かって話してくれた。


その姿が可愛く、何度見ても笑顔が、涙がこぼれる。





祖母の葬式。


私は親族代表で弔辞を読ませてもらえることになった。


泣いて全然読めなくて、当日は大幅にショートカットしてしまったけど、フルバージョンもちゃんとあるんだよ。


読めなかったけど届いてるよね?



ばあちゃん、私は今でも思い出して涙が出るし、まだ実感がわかない。


すごくすごく会いたいです。




もし、もし私が天国に行けたとしたら
また、絶対花畑の中から見つけ出すからね。



これが5月の出来事。


気持ちの整理のために書いたので、とくにこれといって発信したいことはない。


ただ、あえて言うなら高齢者は元気でも骨折から肺炎になってあっという間に弱ってしまう。


ちょっとした気遣いで元気が長続きすると思うので、身近に高齢者がいる方は気にかけてあげて欲しいな。



あと、会える時に会いに行くのは大事!!



おかげで私は後悔せずに済んだから。





天国に行ったばあちゃんに私がただただ会いたい話。


おしまい!





以下弔辞


ばあちゃん


まさかあなた1番の心配の種と言っても過言では無い私がこの場所にたつことになろうとは、思ってもみなかったんじゃないかな?

もちろん私だって思ってなかったし、万が一たつことがあってもこんなに早いだなんて思ってませんでした。

だってそうでしょ?

みんなみーんな、ばあちゃんは100歳まで余裕で生きるって思ってたんだから。

ばあちゃんだって思ってたよね。

だから、本当にいつまでたっても実感がわきません。

私に至っては、ばあちゃんの寿命に制限なんてないんじゃないかって本気で思ってたくらいです。




でも、そんなばあちゃんにどうしても会いたくなったのが先月。

お正月は仕事で帰ってこれなくて、次はゴールデンウィークかお盆かななんて考えていたけど、どうしても会わなきゃいけない気がして。

本当にただばあちゃん会って帰るだけの予定で、実家まで来て帰る日の朝ばあちゃん家に寄りました。

今でもあの時自分の直感に従って良かったと本当に思います。


久々に見たばあちゃんの背中はなんだか小さく見えたのは気のせいじゃなかったのかな?

でも私たちの顔を見て驚いて、喜んでずーっとおしゃべりしてる姿はいつものばあちゃんで。


ばあちゃんの驚く顔が見たくていつも事前に知らせないで家に行っては怒られてたね。

準備があるんだからちゃんと連絡しなさいって。

そんなにいらないよって言ってもたくさんたくさんお土産持たせてくれて。

重いもの持たなくていいからって言ってるのに、元気だから全然持っちゃう。

何でも何でも1人で出来ちゃうスーパーばあちゃん。

私の知ってる90過ぎたおばあちゃんにこんな人いないから、ばあちゃんは違う時間軸を生きてるのだとさえ思えるくらいでした。

辛いとか苦しいとか一切泣き言言わない、心も体も強いばあちゃん。


大阪にいる時にばあちゃんが倒れたと知らせを受けて、なんとか私が帰るまで間に合ってと急いで帰って、なんとそこから5日間、私どころかみんなが来るのをちゃーんと待ってたばあちゃん。

強すぎてお医者さんもびっくり。

いつも帰ろうとしたらおしゃべりでなかなか帰してくれないばあちゃんの姿が重なって、強いけどやっぱり寂しがり屋なんだよね。

たくさんの家族に見送られて、本当にいっぱい愛されてたばあちゃん。

いつも病室は満員で熱気がこもってました。

みんながいるのつたわってたよね?


ばあちゃんのおかげでみんな幸せだったよ。

ばあちゃんも幸せだったよね?


天然な子供たちに振り回されるばあちゃん。

自由な孫たちに心配つきないばあちゃん。 

曾孫たちの名前もしっかり覚えてるばあちゃん。

私がばあちゃんみたいになれるかってふと考えたけど、とてもじゃないけどなれる気がしません。


それくらい偉大な妻で母で祖母で曾祖母で、素晴らしい女性だったばあちゃん。


こんなに素敵な人がばあちゃんで私は幸せでした。


ばあちゃんの家の周りを散歩してみたら、どの景色にもばあちゃんは必ずいて、優しく呼びかける声が聞こえて。

手を繋いで七つの子の替え歌を歌いながら歩いた海までの道、大きな発砲スチロールを持って歩く倉庫前、もらったお花の説明を嬉しそうにする玄関、お花や木に埋もれて姿を探すのが大変な大切にしていた庭。

今チューリップも桜も本当に綺麗だよ。


全部全部愛おしくて、幸せな思い出です。


たくさんたくさん心配かけてごめんね。

髪の色や薄着を怒る声がもう聞けないと思うとたまらなく寂しいです。


本当にありがとう。

天国でじいちゃんや、息子たち、兄弟たちと楽しく暮らしてください。


ばあちゃんの孫で女の私はきっと長生きなので、まだまだそちらには行けませんがそれまで達者でね。


もう一度ありがとう。


みちる

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