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「働くを考える」を続けていこう。       ~鳥取へのUターン前夜に想うこと~

こんにちは!

「鳥取で働くを考え支援する」を終の仕事にしたいと、ゆる~くキャリアコンサルタントをやってるくろちゃんです。

まずは今週外せない話題から。
昨年のサッカーW杯に続いて、WBC侍ジャパン凄かったですねー!
スポーツの素晴らしさが凝縮された2週間でした。元野球小僧の僕が夢中になるのは当然ですが、普段は野球に興味ない奥さんが夢中で観てました。

そういった「にわかファン」を夢中にさせるのは、ゲーム内容に加えて選手個々人のサイドストーリーが魅力的であったことでしょう。家族や仲間たちとのエピソード、野球に取り組む姿勢やプライド、大会にかける想い、国境を越えた選手間の交流などなど。。。

そういうストーリーは、昨日今日いきなり降って湧いてくるわけではなく、選手の人柄や人生から表現されるもの。美談めいた多少の「盛り」はご愛敬で、素直に楽しんでこそ生まれる一体感を大切にしたいですね。


では今回の本題です。
明日、地元米子へUターン帰省します。家族と話し合って今回は単身帰省。実家で母親との二人暮らしが始まります。仕事は県関連で職業訓練生への就職支援となりました。働く人を支えながら、地域を盛り上げる活動に繋げていけるよう、多くの方々と繋がっていきたいなと思います。


本格Uターンを思いついたのはいつで、なにから始めたか

明確に思い立ったのは定年後の60歳。それまではぼんやりと故郷を思いながら、仕事と生活に邁進する日々。思い立った時期は遅かったのか、適切だったのか。計画性からすると遅かったな~、とも思うし、いやいやそれまでの経験や時間を過ごしたから今がある、とも思える。あまり深く考えることに意味はないと思うし、過去には戻れないのです。


まず準備として始めたことは何だったかな?
会社の用意してくれる、定年前後に関するライフプラン研修は参加しました。半分は信託銀行さんの営業の場だったような気もするけど、老後のプランについて考えるきっかけにはなりました。


次に「定年後再雇用は希望しない」という意思表示を会社へ提出(何となく人事が安堵していたような……)。またお世話になった関係企業さん数社からの有難いお誘いを丁重にお断り。つまり、何をしたいがあるわけではなく、このまま東京で働き続ける環境を継続してはならない!という、何かを始めた部類には当てはまらないことから始めました(紛らわしい…)。


それでお前は何がしたいんだ?

それを考える前に、まずは懸案となっていたマンションのリフォームをやりました(脱線してすみません…)。これは本当にやってよかった!家族も喜んでくれたし、お金の遣い道としても有意義だし、やってみて分かったけど忙しい仕事しながらでは無理でした。そして年越ししてから考えました。これから何がしたいんだろうか? 定年後4カ月が過ぎていました。


キャリアコンサルティングをうける

そんな時出会ったのがキャリアコンサルタントさんでした。ハローワーク経由で3回無料の面談サービスを利用し、面談を重ねるうちにぼんやりしていた考えが明確になってきました。それは、①生涯現役でいたい、②働く人を支援したい、③地方移住を応援したい、という考えです。


てことは、①専門的なスキルを身につけ、②これまでの経験もいかしつつ、③地方を応援するなら地元で恩返しすればいいじゃん!となったわけです。これはお世話になったキャリアコンサルタントの資格取得が先決だ、ということでそこからの動きは早かったと思います。1年後の資格取得を目標に定
めて、短期のパートで働きながら講習会に通いました。


家族の応援をもらうための時間と話合いは欠かせない

翌年晴れて資格を取得し、実績も積まねばと某私立大学の東京キャンパスで就活相談業務を10カ月担当しました。昨年3月で契約終了させ、さてUターンとなりましたが、鳥取での相談業務の求人は殆どなく、行政の会計年度任用の求人募集をさらに翌年まで待つことにしました。


結果的にはこれが幸いしたと思います。なぜならば、Uターン帰省について避けては通れない家族と話し合う時間がたっぷり取れたことです。
また、縁あって大山の「合同会社sunsunto新メンバー募集」で採用され、8月から10月まで地元で働くことができ、3カ月実家で暮らすこともできました。気になっていた高齢の母親との二人暮らしや、家族と離れて暮らすことなど、事前に体験できたことはとてもよかったと思います。

(大山「シゴト場カケル」で働いた体験記はこちらから ↓ ↓ ↓)


とくに妻との間で、今後の暮らし方(経済的なことや家族との関係性など)を、時間をかけて話合えていなければ、きっと実現は難しかったなと実感しています。それほどに家族との関係は大切なことと、63歳の転機を迎えるにあたって考えさせられました。


転機や迷いは生涯尽きることはないと割り切る

こうして、定年後3年半かけて辿り着いたUターン帰省。明日、車に荷物を詰め込んで移動します。埼玉から米子まで、ゆっくり時間をかけて帰ることにしましょう。


今月初旬、父親の法事で妻と娘を3年半ぶりに連れて帰省しました。息子家族は2人目が産まれて間もないのでお留守番。コロナの影響でずっと家族は連れて帰れず、一人で帰っても親類や友人など誰にも会わずにいました。久しぶりの実家での再会を皆で喜びました。


さて、4月から定年後4回目の新人生活です。もう4回目か~、と感慨深い。遠回りしたようで、どれもこれも必要で必然な時間だったように思います。きっと、3年経てば、10年経てばと、生涯転機と迷いは尽きることなくやってくるのでしょう。それはそれで楽しみなことです。


ではでは。。。











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