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横浜市寿地区でプライマリ・ケアを学ぶ ~研修ガイドブックの制作後記~

C&CH協会の村上です。
前回の記事ご紹介した研修ガイドブック「マナブことぶき」、半年前からこのガイドブックの制作に関わったのですが、この制作に携わって色々なことを感じ、学ぶことができました。
研修ガイドブックに載せられなかったこともあるので「制作後記」としてその一部を記録しておきます。



私自身、寿地区の知識はなく、訪れたこともなかったために、まず最初に金子先生推薦の参考書籍「寿町のひとびと」を読むところから始まりました。読み終えたあとは、寿町の介護や福祉に関わる方の話を聞き、町の案内をしていただき、関連書籍や資料を読んでいって理解を深めていきました。


住民たちの力でつくった社会活動の街

現在、寿町地区の簡易宿泊所には約5,300人が生活していて、そのうち95%近くが生活保護受給者となっています。もともと簡易宿泊所は一時的な居住場所ということで生活保護を受けることができませんでした。
しかし、横浜市では、1970年代に寿日雇労働組合という組織が強く行政に働きかけたことで、簡易宿泊所でも住民登録ができるようになり、生活保護が受けられるようになりました。これは大阪の釜ヶ崎や東京の山谷などの他の寄せ場とは異なる、寿町地区の特徴と言える動きだったとのことです。

他の街から 寿地区に移り住む人たち

いまの寿町地区の住民は、①元日雇い労働者のグループと、②経済・社会生活の基盤を失い寿町地区に流入したグループの2つがあると見ることができます。
①のグループは、もともと寿町地区に寝泊りしつつ港湾、建設現場で働いているうちに定年を迎え、そのまま生活保護になった方々で、近年高齢化が進んでいます。
②のグループは近年増加しているグループで、アルコール依存症、薬物中毒、ギャンブル依存症などの疾病、あるいは、服役、リストラにより経済的、社会的な基盤を失って流入してきた人々です。
②のグループが増えてきているのは、生活保護を受けている人や、精神疾患を患っている人でも入居できる簡易宿泊所が多くあるからで、寿地区以外の地域からの流入者です。また、路上生活者の生活自立支援施設やアルコール依存症からの回復のための通過施設の存在も大きいと言われています。
本来であれば、こうした人々は、自分の生活していた地域でサポートすべきですが、それぞれの街でセーフティネットが機能していないために結果的に、寿地区に移り住んでくるようです。

認知症でも、精神疾患でも自由に生活できる

私が見学させてもらったのは寿の中でも進んでいると言われる簡易宿泊所で、他人を傷つけなければどんな病院や障害があっても入居できるとのことでした。
ベテランの管理人さん(帳場さん)は住人の病気や症状を把握していて、ケースワーカーや主治医、介護事業所とも繋がっています。本人の同意の元で金銭と薬の管理をしていて、毎朝服薬確認をすると共にその日に使えるお金を渡します。管理人室には複数名のお薬カレンダーと金銭管理のドロワーも設置されていました。服薬、お金の支給に来ない人は各部屋に電話して状況を確認するとのこと。金銭管理と服薬管理と見守りができれば、ずっとすみ続けられると思う、とインタビューした帳場さんが話してくれました。

私は都内の地域医療に携わっていますが、例えば、認知症の人の安全のために、あるいは周囲に迷惑をかけないようにするために行動を制限されていることはよくあります。入院したり、施設に入居した場合はなおさらです。
その結果、認知症や精神疾患を抱えている人が本人の希望をもとに生活できる環境づくりを目指しているわけですが、認知症であっても、精神疾患を抱えていても、好きなときに外出できて自由に生活できる寿地区にはそのヒントがあると感じました。

医療者以外も知ってほしいSDH

恥ずかしながら、私はSDH(健康の社会的決定因子)についての知識がなかったので、寿地区について学びながら「実践SDH診療:できることから始める健康の社会的決定要因への取り組み(中外医学社)」で勉強をしました。


私自身、比較的ニュートラルな思考をしていると思っていたのですがそんなことはなく、多くの偏見が染み付いていることが認識できました。生産性や効率性を求められる企業のなかで働いていると、無自覚に、誰かにとっては生きづらい世界に作り出していることが理解できました。

この書籍は医療者向けに書かれたものですが、医療者に限らず、多くの人がこのような考えを学べると、多様な人たちが一緒に暮らせる社会に近づくのだろうと思いました。この書籍のなかで、医学部でSDHを学ぶ理由について書かれている部分が記憶に残っているので引用して紹介します。

がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
(上野千鶴子 平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 抜粋)


「あの患者はリテラシーがない」。「この人はアドヒアランスが低い」,このような言葉を言ったり聞いたりしたことのある医療者は少なくないであろう。連絡なく予約日に受診しなかったり,何度助言しても生活習慣を改めないといったことがあると、ついつぶやきたくなってしまう。
努力が報われて医学部に入学し勉強を続けている医学生にとって、努力できる環境や、努力を続けるために応援されるのが当たり前になっていると、冒頭の上野氏の言葉にあるように、個人の力ではどうにもできない構造的な要因の存在に気付きにくい。決まりを守らなかったり、適切な行動が取れない人に対しては努力が足りないと考えがちで、「病気になったり、治らないのは自己責任」のように思えてしまう。実際は、医療費や薬代が払えるか心配で受診を先延ばしにする患者,仕事に追われてヘルシーなライフ・スタイルなど絵に描いた餅である状況にある人は少なくない。しかしながら、そうした経済的困窮も努力不足の結果だと思えてしまう。
病気の治療を困難にしている直接の原因が受診控えであったとして、その原因に経済的困があり、さらにその背景には進学できなかった家庭環境や低質金、コロナ禍による失業など、個人の力では変えがたい構造的な要因,SDHが関係している可能性がある。SDHの学びは、病気の「原因の原因(causes of causes)」に学修者が気付くきっかけとなる。経済的格差が広がり、孤立が社会課題となる今日、SDHによって健康やウエルビーイングが阻害されている患者への働きかけや、構造的な問題について発信し行動できる医療者の育成が求められている。

実践SDH診療 第3章4 武田裕子


寿地区のような場所の意味

戦前から戦後、高度成長期の横浜の発展の背景には寿地区の存在があり、寿地区の存在なしに横浜の発展はなかったとも言えます。
現代でも同様に、住民にとって寿地区は、生きにくい社会から逃れるためにたどり着いた場所であり、人によっては自分らしく生きるために選んだ場所です。
生産性が優先され、マジョリティが中心の社会が生んだ弊害を認めて、多様性を認め、協調していくことの大切さが再認識されています。その方向性は素晴らしいものの、寿地区を見たときに、多様性を認めて協調するということ自体が難しかったり、負担を感じる人たちがいることも事実です。そのような人たちが選べる、寿地区のような場所は社会のどこかに必要なのだろうと思いました。

この研修ガイドブックに関われ、たくさんの学びを得られたことに感謝します。


金子先生は、医学生や研修医など医療者の研修を受け入れています。
今回の研修ガイドブックは、研修に来てくれた方が寿地区を表面的に見るだけでなく、この街の歴史をはじめ、この街に長く関わっている人たちの話を直接聞くことで、「ここで何かを感じ、医師として成長していく過程のどこかで役に立ててもらいたい」と考えて制作したものです。

医学生・研修医や医療者が対象となりますが、ご興味のある方はパンフレット記載のお問合せフォームにてご連絡ください。
※研修ガイドブックは研修に来られた方に配布いたします。

「マナブことぶき ~研修のご案内~」はこちら



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