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【笑ってくれないあさひくん】 #22


勇太の過去 5


 新しい生活。新しいベッド、新しい勉強机。
 ベッドの周りには新幹線のぬいぐるみが、机の上には見たことのないゲームや本が置いてある。
 前に泊まりに来たことがあるお家とは違う、もっと広くて大きいお家になっていた。「ここが勇太の新しいお部屋だよ。前のマンションだと狭いからね、少し前に引っ越したんだ」これからここで暮らす勇太のために、新しく何から何まで揃えたんだよ、と『お父さん』が話してくれた。


「お腹空いてない?お父さんたちは仕事に行かなくちゃいけないんだけど、何か頼もうか?」
「大丈夫、」
「そう。キッチンにあるものは何でも好きに食べていいから。何かあったらこれでお父さんたちに電話するんだよ。これをこうして、ここを押せば、」


 ばあちゃんが持っていたものより少しかっこいい携帯で、電話の仕方を教えてくれた。一回だけ練習をしたら「もう大丈夫だね」「じゃあ、行ってくるね」と『お母さん』と出かけて行った。
 家に着いてから『お母さん』とはお話をしてない。

 ベッドに座って自分のお部屋をぐるっと見る。
 あっ!と思いついて、部屋の隅に置いていたリュックの中から荷物を出す。
 確かここに……あった。
 幼稚園の連絡ノート。ここにじいちゃんの家の電話番号が書いてある。幼稚園でお家に電話をかける練習をしたとき、このノートを見ながら電話したのを思い出した。電話の仕方は知ってる。電話をかける姿をじいちゃんたちに見てほしくて、ばあちゃんの携帯からお家に電話したことある。
 えっと、ぜろ、……


「はい」
「もしもし、じいちゃん?」
「……勇太か?」
「うん、ぼく、勇太」
「家に着いたんか?」
「うん、お父さんたち、お仕事に行って、ぼくひとり」
「そうか。一人で大丈夫け?」
「うん、お父さんが携帯くれたの、僕の携帯だって。ばあちゃんのよりかっこいい、青いやつ」
「そうか、良かったな」
「いつでもじいちゃんに電話できるよ。じいちゃんも電話してね」
「そぉやな……飯食ったか?」
「まだ。お父さんが冷蔵庫にあるもの食べていいって」
「火、気ぃつけんとな」
「うん、じいちゃんはご飯食べた?」
「まだ、今から食おう思うてたところ」
「なに食べるの?」
「カレーかな」
「またぁ?じいちゃんカレーいっぱい食べるね」
「冷凍のご飯あるけ、食べとかな悪なるからな」
「また、すぐ会える?」
「そやなぁ、会えるといいなぁ」
「いつ?明日?」
「ハハッ、明日はよぉ無理かもしれん。勇太も新しい幼稚園行かないけんけ」
「新しい友達できるかなぁ」
「出来たらいいなぁ。元気に挨拶したらいい」
「これぐらい?勇太でぇぇぇす」
「ハハッ、おぉ、それくらいや」
「もっとできるよ、勇太でぇぇぇぇぇす」
「えぇ、えぇ。大きい声や。勇太、じいちゃんなぁ飯食うけ。勇太も飯食って、ちゃんとお片付けして、お風呂浸かって、温かくして寝んさい」
「うん、分かった、じいちゃん、また電話していい?」
「入院したら家の電話出られんけ、じいちゃんから、病院から電話するよ」
「うん、すぐね。すぐしてね」
「分かったよ、はい、切るよ」
「うん、ばいばい」


 よし、これでじいちゃんといつでも電話できる。
 じいちゃんの声を聞いて、少し元気になって、お腹が空いてきた。部屋のドアを少しだけ開けて本当に『お父さん』たちがいないか耳を澄ます。うん、いない。

 キッチンの色んな扉を開けてみるけど、カップラーメン、レトルトのカレー、お菓子はどこにもなかった。
 テーブルがあるお部屋からイスを持ってきて冷蔵庫の扉を開けようとしたら、じいちゃんの家に置いてあったものとは違って、横からじゃなくて真ん中から開けることが不思議だった。
 冷蔵庫にはお店のお弁当、見たことのないジュース、何て書いてあるか分からないもの、切ってある果物、冷凍のパスタ、ばあちゃんが高いからダメと言っていたアイス。

 じいちゃんと一緒のカレーが食べたかったな、と思いながら二つあるお弁当の中から一つを選ぶ。冷たい。温めようと電子レンジの前に立ってみるけど……やり方が分からない。じいちゃんの家と違うやつで、ボタンがいっぱいある。あ、た、た、め、あたためるのことかな。ボタンを押してみる。動いた。
 温めている間、飲み物を探してみたけど、ペットボトルのふたが開かない。力をいっぱい使っても、脚の間に挟んでみても開かなかった。いつもじいちゃんたちに開けてもらっていたから。
 ……うん、お茶じゃなくてもいい、お茶がないときはお水を飲んでいたし。
 食器棚の前にイスを動かしてコップを探すと、色んなコップがあった。細長いやつ、すごく小さいやつ、飾りがついているやつ。どれを使ったらいいか分からなかったから、取っ手がついてあるコップを選んで、水道のお水を入れる。

 大丈夫、出来てる。一人でも出来てる。

 温めたお弁当を高いテーブルの上に置いて、よいしょっと高いイスに座って「手を合わせましょう、いただきます」。
 幼稚園で習った挨拶は、じいちゃんの家でも言っていたし、ここでも、一人でもちゃんと言う。言わなかったらじいちゃんたち怒るから。

 お弁当の唐揚げを一口食べて、ご飯を食べて、涙を拭く。冷たい。お弁当が冷たい。ばあちゃんの唐揚げが食べたい。熱くて、美味しくて、ばあちゃんの唐揚げを、じいちゃんと「美味しいね」って言いながら食べたい。ご飯を口にいっぱい入れる。テレビの音も、お話しをする声もしない部屋で涙を拭く。

 じいちゃんたちに会いたい。
 一人でご飯食べたくない。
 温かいご飯が食べたい。
 寂しい。

 半分くらい食べたらお腹いっぱいになって、「ごめんなさい」と言いながらお弁当の残りをゴミ箱に捨てる。

 使ったものはちゃんとお片づけをする。僕はお皿洗いもできる。
 イスに乗ってコップを洗っていると、着ている服とイス、床が水でびちゃびちゃになった。タオルが見つからなくて、急いで着ている服を脱いでイスと床を拭く。
 お水こぼしたの、怒られないかな。でも、綺麗に拭けたから、あ、でも、服で拭いたことが見つかったら怒られるかも……ちょっと怖くなって、急いで洗濯機の中に入れる。他のお洋服も入っているから大丈夫、見つからない。
 そうだ、誰もいないからお風呂に入っちゃおう。その前に歯磨きをして……あ、歯ブラシ持ってきてないんだった。どこかにあるかな。洗面所にある棚を全部開けてみても、見つからなかった。
 うん、大丈夫、一日くらい歯を磨かなくても、虫歯にはならない。もし歯を磨いてないことが見つかっても、歯ブラシがなかったです、ってちゃんと言おう。そして明日『お父さん』に歯ブラシがどこにあるのか聞こう。


 バタン、という音で目が覚めた。
 ん……もう朝……?誰かお家にいるのかな?とベッドで耳を澄ましていると僕の部屋の前を通る足音が聞こえた。いつもは僕が起きるときには誰もいないのに。
 あ、『お父さん』かもしれない。歯ブラシのこと聞かなくちゃ。
 早足でドアの前まで行って、ゆっくりとドアを開けたら、玄関にいたのは『お母さん』だった。ドアを開けた音が聞こえたのか、僕の方をチラリと見る。


「あ、おはよう、ございます」
「……朝ごはんはキッチン。私と直仁さんは夜まで仕事だから」
「はい、あ、あの、昨日、お弁当、食べたけど、温かくしたけど、冷たくて、あの、じいちゃんの家でいつも使ってるやつじゃないから分からなくて」


 ちがう、違う。
 僕が聞きたいのはそのことじゃないのに。
 『お母さん』は履いていた靴を脱いで、僕を通り過ぎてキッチンの方に行く。
 なにか、分からないけど、なにか匂いがした。じいちゃんたちの匂いとは違うけど、似ているような、そんな匂い。後ろを追いかけながら、なんの匂いだろうと考える。


「ここを押してからここを押す。ここを押したら一分、ここを押したら十秒、二回押せば二十秒。分かった?」
「ここを押して、ここを……、はい」
「……ゴミはこっちに入れて。明日、午後から人が来るから。掃除したり、ゴミを片付けたりしに来るから、大人しくしてるか、外で遊んできなさい」
「はい」
「あと、このマグカップは直仁さんのだから、使うならこっちを使いなさい」
「はい、あの、ペットボトルのフタが開かなくて、」


 『お母さん』は怒ったり笑ったりしないで、ずっと同じ顔で教えてくれる。「どれが飲みたいの?」と聞かれて、これ、と指をさすと、ペットボトルのフタを開けてくれる。
 ちょっと怖いけど、本当は優しい『お母さん』なのかもしれない。少し嬉しくなった。


「上に置いてあるのは直人さんのだから、触らないで。あなたが触っていいのはここだけ。食べたいものがあれば、テーブルにお金置いておくから、自分で買ってきなさい」
「歯ブラシ、歯ブラシはどこにありますか?」
「……近くにドラッグストアがあるから、そこで買いなさい。鍵も一緒に置いておくから、持っていなさい」
「はい、」
「それと、自分で使ったものはきちんと片付けなさい。昨日、椅子が出しっぱなしだったし、床が濡れてた。あなたの家では代わりに誰かがやっていたかもしれないけど。もし自分で出来ないのなら、私か直人さんに言いなさい。それか何もしないで」


 ……出来てると思ったのに。
 全部ちゃんとできていると思ったのに、できてなかった。
 じいちゃんとばあちゃんがやってるところを見ていたし、一緒にやっていたから、自分もできるんだと思ってた。涙が出てくる。
 涙を『お母さん』に見られないように、もっと涙が出ないようにズボンをぎゅっと掴んで、涙を止める。


「ずいぶん甘やかされていたのね」


 『お母さん』は大きい息をして、バッグから何かを取り出してテーブルに置く。そして僕の横を通り過ぎると少しして玄関から音がした。

 あまやかされてた?
 どう言う意味だろう?よくない言葉?じいちゃんたちもよく「勇太は甘えん坊だなぁ」って言ってたけど、それもよくない言葉だったの?
 ……ううん、じいちゃんはよくない言葉を使うと怒ってたから、じいちゃんも言わない。
 涙を拭いて、テーブルの上に置いてあったご飯を食べる。美味しいパンだった。その横にはお金も置いてあった。何円なんだろう。これで歯ブラシ買えるのかな。五百円が良かったなぁ。五百円だったら、歯ブラシも買えるし、もしかしたらお菓子だって買えるかもしれない。お店に行ったらこのお金が使えるか、お店の人に聞いてみよう。

 マンションの前で掃除をしていた人に「あの、歯ブラシ買えるお店はどこにありますか」って聞いてみたら、お家のすぐ近くのお店を教えてくれた。
 お家からお店の道は、何回も後ろを見てお家を確認して、迷子にならないように気をつける。
 すぐ近くにあったお店に安心して、入ってすぐお店の人を探した。


「あの、」
「ん?どうした?」
「あの、このお金は使えますか」
「このお金は一万円だね、使えるよ」
「歯ブラシは何個買えますか」
「いっぱい買えるよ。十本でも二十本でも買えるよ」
「え、そんなに」
「……僕、このお金はどうしたの?」
「お母さんからもらった。歯ブラシ買ってきなさいって」
「そっか。お母さん今どこ?」
「お仕事」
「僕一人で来たの?」
「うん」
「そっかぁ、偉いね。歯ブラシのところまで一緒に行こうか?」
「うん」


 じいちゃんの家で使っていた歯ブラシと歯磨き粉を見つけて(ちゃんと辛くないのを選んだ)、お菓子売り場に行く。あ、これ僕が好きなお菓子だ、買ってもいいかな、と思ったけど『お母さん』に怒られるのはいやだなって我慢した。

 お店の人にお金をあげるとき、ちょっと心配になったから、お店の人に「あの、このお金で、買えますか」って聞いたら、大丈夫だよ、って言われて安心した。お店の人からもらったお金は、僕があげたお金よりもいっぱいになって「こんなに?」ってびっくりしたら「ちゃんと失くさないようにしまってね」って。

 そうだ、僕一人でお店屋さんに来るの初めてだ。いままでばあちゃんたちと一緒にお買い物してたから。ちょっと大人になった気分になった。
 あとでじいちゃんにも言わなくっちゃ。

 お家の、マンションの下まで来たとき、迷子にならなかった自分のことをすごいと思った。
 これもじいちゃんに言わなくちゃ。
 だけど、透明のドアの前に立ってもドアが開かなかった。ジャンプしてみても、手で開けようとしてみても動かない。
 どうしよう、お家に入れなくなった。
 なんでだろう、昨日ちゃんとイスを元に戻さなかったから?こぼれた水をちゃんと拭いてなかったから?お母さんに怒られたから?ちゃんとできなかったから、お家に入れないんだ。
 マンションを出て、近くにあったイスに座る。また涙が出てくる。今日は涙がいっぱい出る日だ。じいちゃんに会いたい。


「どうした、坊主」


 急に話しかけられて、びっくりして顔を上げる。
 あ、マンションの掃除をしていたおじさんだ。おじさんは僕が泣いている姿を見て「大丈夫か?」と聞いてくる。


「あの、ぼく、おうち、はいれない、」
「お家入れない?鍵ねぇのか?」
「カギは、あるけど、ドアがあかなくて、」
「カギが開かない?壊れてんのか?おっちゃんが一回やってみるから、鍵貸してごらん」


 カギを渡すと、おじちゃんはドアの前でカギを使おうとしたから「あの、それお家のカギで、」って言うと、「坊主、これはな、ここでも使うんだよ。坊主が持っている鍵をここに挿す。するとここの自動ドアが開く。お母さんに教えてもらわなかったか?」とおじちゃんは僕を見る。
 ……教えてもらってない。


「坊主、ここに住んでんのか?」
「えっと、11ってボタンを押すところ」
「11?11階だと、最近引っ越してきた人らか?」
「ひっこし?」
「坊主、学校は?」
「学校はまだで、僕は幼稚園で、お休みが終わってから幼稚園行くって」
「お母さんたちは?仕事か?」
「うん、」
「お母さんたち仕事してるときは一人で留守番してんのか?」
「うん、」
「そうか。おっちゃん、ここの管理人してるから、困ったことあったら言いな。管理人って分かるか?」
「えっと、お掃除する人のこと?」
「ハハッ、そう、お掃除する人。さっき、おっちゃんに薬局の場所聞いたろ?おっちゃん、この辺りのことだったら何でも知ってるから、何でも聞きな」
「おじちゃんもここに住んでるの?」
「おっちゃんは違うとこに住んでる」
「毎日来てるの?」
「毎日じゃねぇけど、たまにな。坊主みたいに困ってる人がいたら助けんのもおっちゃんの仕事」


 おじちゃんはそう言うと、ニコッと笑う。僕も一緒にニコッとすると「ハハッ、いい笑顔だ」と頭を撫でてくる。土がいっぱいついた手袋をして。
 少しじいちゃんに似てる。じいちゃんより若いし、じいちゃんより背が高いけど、じいちゃんと同じくらい優しい人だ。
 おじちゃんはまだやることがあるから、って僕にもう一度ドアの開け方を教えてくれてた後、「坊主一人でやってみな」と後ろに下がる。一人でドアを開けられたとき、おじちゃんに「できた」と言うと、うんうん、とまたニコッと笑う。


「鍵忘れたら、ここ開けらんなくなるからな、気ぃつけろよ」
「うん」
「おっちゃん、仕事に戻るな。何かあったら言えよ、じゃあな」
「うん、バイバイ」


 その日から、おじちゃんと僕は会うとお話しすることが多くなった。
 おじちゃんはいつも僕のことを「坊主」って言う。
 僕の名前は勇太だよ、って言うと「そうか、勇太っつーのか」「んで、坊主、飯食ったか?」といつまでも僕の名前を呼んでくれないから、もういいや、と諦めた。
 おじちゃんは会うたびに「飯食ったか?」「ひとりで寂しくねぇか?」と聞いてくる。ご飯食べたよ、と言うと「もし飯食ってなかったら、ちゃんとおっちゃんに言えよ。おっちゃんがいいもん食わせてやるから」とニコッとする。

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この小説は、小説家になろうで掲載している作品です。
創作大賞2024に応募するためnoteにも掲載していますが、企画が終わり次第、非公開にさせていただきます。

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