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【笑ってくれないあさひくん】 #21


勇太の過去 4


 気がついたら、布団の中だった。
 昨日、あのまま眠ちゃったんだ。隣を見たらじいちゃんがいなかった。眠い目をこすりながらじいちゃんを探しに行くと、じいちゃんは縁側に座って、畑を見ながらコーヒーを飲んでいた。外は夜か朝か分からないけど、じいちゃんがコーヒーを飲むのは朝だけだから、きっと朝だ。ゆっくりじいちゃんの背中に抱きつくと、じいちゃんは身体をビクッとして「なんだぁ、勇太かぁ。びっくりしたぁ」と僕の腕を優しく撫でる。


「じいちゃん、早起きだね」
「んだよ。じいちゃんだから。じいちゃんが入院してるとき、隣のおじちゃんさ、畑お願いするから、その前に色々片しておこうかぁって。まだ早いから寝てろ」
「僕もお手伝いする、眠くないから」


 じいちゃんは少し、遠くを、畑よりももっと遠いところを見て、大きい息を三回した後、「あんな、」「じいちゃんな、勇太に言わなきゃいけんことがあんだ」と話し始める。震えていて泣きそうな声。
 きっとじいちゃんは、僕に嘘をついたことをごめんねしようとしているんだな。やっぱり。ニコニコを隠しながら、抱きついてた背中から、じいちゃんの顔が見えるように横に座るときに見たじいちゃんの顔は、怒っているような眉毛、口をぎゅっと結び、太ももに置いてある手をぎゅっと丸めて、履いているズボンがしわくちゃになっている。


「じいちゃん、どうしたの、こわい顔になってる」


 こわいよ。
 じいちゃん、こわいよ。


「本当はな、ずっとずっと前に言わないかんかったんけどな、でもな、じいちゃん、さみしくなってなぁ、言われんかった」
「うん」
「勇太とじいちゃん、今日でバイバイや」


 バイバイ?
 じいちゃんと、じいちゃんともう一緒に住めなくなるの?
 じいちゃん、もう会えなくなるの?
 じいちゃん、すぐ帰ってくるよね?
 じいちゃん、死なないよね?
 じいちゃん、ごめんねって言って。嘘ついてごめんねって言って。


 俺の欲しい言葉じゃないと分かったとき、じいちゃんの身体を思いっきり揺らして、なんでなんでと繰り返したのを覚えている。
 あのときは、じいちゃんの気持ちが分からなかった。「これからもずっといっしょにいるよ」「すぐに治して帰ってくるよ」「じいちゃんは死なんよ」なんて、子供騙しの嘘を言ってもらえたら、俺だってあんなに泣き喚いたりしなかったかもしれないのに。じいちゃんは変に生真面目だったから。

 じいちゃんの身体にしがみついたまま空が明るくなる。じいちゃんは何も言わずに俺の頭を撫で、優しく背中を叩き、首から下げるタオルで俺の涙や鼻水を拭く。


「じいちゃんもなぁ、じいちゃんも頑張るから、勇太もお父さんとお母さんの言うことをよぉく聞いて、お手伝いもせんね。あそこには、勇太が住むところには色んなもんがある。サッカーも習ったらええ」
「サッカーできなくてもいい、じいちゃんといたい」
「そうや、勇太、こっち来ぃ」


 じいちゃんは身体に抱きついたままの僕を引きずりながら、奥の納屋から何かを取り出した。
 箱に入っている新品のサッカーボール。
 いまあるのは隣のおじちゃんから貰った古くて汚いやつだから、ずっと新しいのが欲しかった。


「サッカーボール……」
「勇太、ずぅっと前から欲しい言うてたけ。これ使ってサッカーしろ」
「これ、いつ買ったの」
「本当はな、ばあちゃんと一緒に買いにいくつもりだったき、あんなことになってしまって。じいちゃんが入院する分かった日に、買いにいったんよ。お店の人さ、どれがいいですか、聞いて。一番高くて、一番かっこいいやつ下さい、言うて。勇太、これでサッカーしぃ。サッカー習って、上手なって、じいちゃんに見せに来い」
「じいちゃん、ぼくが、ぼくがサッカー上手になったらじいちゃん嬉しい?上手になったら、じいちゃん元気になって、一緒に住める?」
「んだなぁ、そうなればいいなぁ」


 そしてすぐ『お父さん』と『お母さん』が来た。
 難しい話をすっからあっちで遊んでろ、とじいちゃんに言われたけど、ぎゅっと腕にしがみつく。
 『お父さん』は僕と目が合うとニコッと笑い、『お母さん』はずっと怖い顔をしていた。お泊まりに行ったときも『お母さん』の笑った顔を見たことがない。
 『お母さん』はじいちゃんとばあちゃんの子どもなんだよって聞いたことあるけど、どこも似てない。じいちゃんとばあちゃんはいつもニコニコしているし、優しいし、温かい匂いがする。


「勇太、お父さんとお母さんな、仕事があんだって。もう行かないけん」


 もう?
 もう本当にじいちゃんとバイバイなの?
 じいちゃんに抱きつく力がもっと強くなる。その姿を見た『お父さん』が「勇太、おじいちゃんも困っているよ。またすぐに会いに来よう。あっちのお家にはおもちゃがいっぱいあるよ」と言う。
 おもちゃなんかいらない、じいちゃんといたい。
 僕が涙を流すと、『お母さん』が大きい息をして「早く準備しなさい。新幹線の時間に間に合わなくなる」と立ち上がって玄関へ歩いていく。『お父さん』は車に荷物を積んでくるからゆっくりおいで、と『お母さん』を追いかける。
 いつのまにか用意されていたリュック、大きいカバンに入った服や宝物たち。大切なものは自分で詰めろ、って言われて『お父さん』たちが来る前にじいちゃんと一緒にぎゅうぎゅうに詰めた。


 じいちゃんは俺の頭を撫でてから、自分の身体から俺を引き剥がし、俺と目を合わせるように膝を床につき、俺の肩を強く掴んで、少し怖い顔で俺を見る。


「勇太、しゃんとせぇ。これからは自分でしてかないけんことがいっぱいある。じいちゃんはもう助けてやれん。お父さんもお母さんも誰も甘やかしてくれん。傷つくこともあるかもしれんき、勇太は強くならないけん。ひとりでも強くなっていかないけん。自分で自分を守るしかない。自分で自分に優しくしろ。困ったら助けてくれる友達をつくって、おまえもその友達を助けろ。ほんで、ほんでじいちゃんに元気な顔見せに来い。分かったか?」
「うん、うん、」
「じいちゃんの宝もん持ったか?」
「うん、」
「勇太、ほれ。これカバンにしまっとけ。将来、勇太が大きくなって、どうしても困ったことがあったら開けなさい。お母さんたちには内緒にしてろ。じいちゃんと約束」
「うん、」


 じいちゃんから渡された少し汚れたポーチをリュックの奥に押し込んで背負いなおすと、じいちゃんが力いっぱい俺を抱きしめる。


「勇太はじいちゃんとばあちゃんの大切な息子や。優しく育って、良い子に育って、じいちゃんとばあちゃんのとこに来てくれてありがとう。本当に幸せやった」
「じいちゃん、だいすき、」
「じいちゃんも」
「じいちゃん、はやく元気になってね」


 じいちゃんの心臓の音が聞こえる。
 じいちゃんの温かい匂いがする。

 それからすぐに「ほれ、行け、お母さんたちが待っとる」と身体を離され、玄関へと身体を押される。
 いつもの土だらけの靴を履いて振り返ると、じいちゃんは「いいから、行きなさい。車に乗ったら、お父さんにすぐ出発するよう言いなさい。じいちゃんはここでいいから」「早く行きなさい」と強く言われる。
 「じいちゃん、ばいばい」と手を振ると、じいちゃんは頷いて居間に戻っていく。
 それからゆっくり歩きながら、車の横で待っていた『お父さん』に「すぐ出発するようにって」と言って、後ろの席で携帯を触っている『お母さん』の隣に乗る。
 車が動き出したとき、振り返って後ろの窓を見ると、じいちゃんが縁側からこっちを見ていた。

 じっと、口を結んで、ただ立っていた。

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この小説は、小説家になろうで掲載している作品です。
創作大賞2024に応募するためnoteにも掲載していますが、企画が終わり次第、非公開にさせていただきます。

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