「豊かなまちかど」なんかない町で『軍事研究』を初めて買った話
随分前にテレビを見ていたら、何かの著名人(曖昧)が生まれた街並みが変わっていくことを嘆いていたんですよね。
青山だか表参道あたりの生まれで、昔の情緒がすっかりなくなってしまったというようなことを言っていたように思う。
「おいおい青山(かどこか、その時名前が出てきたエリア)って人住んでんのかよ」というのが最初の感想でしたね。
今でもそうだけどあのあたりはどうもエタイが知れないわけです。
新宿はわかるんですよ。オフィスビルと酒と性欲でできてるような街じゃないですか。
それに引き換え青山、お前はなんなんだ。何かおハイソなエリアらしいが。しかし縁がないので東京のどの辺にあるのかも当時はよく知らなかった。プラモ屋とかないしな。
しかしまぁ青山、貴様は今日の本題ではない。先の著名人の発言の続きが問題だ。
どこもかしこもチェーン店だらけで同じような街並みになってしまう、というようなことを言っていたと思う。
大体その頃、いわゆる「ファスト風土」論なんかも出てきて、グローバリズム批判なんかとも絡まって「画一的なロードサイド」というテーマをよく目にした。
それに対して「ふざけんなこのヤロー」と思った、というのがこの文章の本題で、前置きが長くなってすいません。
青山だか表参道に生まれた人にしてみれば郊外のロードサイドというのは何とも味気ないというか下品というか偏差値低いと見えるのだろうし、そういうロードサイドで育った身としても「まぁそれは否めないっすね」としか言いようがないんですよね。
「何の変哲もないけど昔から愛されてる街のお店」とかないわけですよ。ココスの店員が虚無の目で注文取りに来るだけで。
路地でひっそり開いてる趣味のいい店とかもなくて、この地ではTSUTAYAが最も文化レベルの高い店だ。
その裏手の畑では、たしか僕が大学生くらいまで牛を飼っていて、今でも肥料として牛糞が山と積んであるし、いつだったか駐車場でヤンキーのカップルが養育費を払え払わないで揉めていた。代官山蔦屋も松戸のはずれまで来るとこのくらい「チューン」されるのである。
件の著名人の人を住まわせてみたら3日も保たないかもしれん。
しかし俺はそのTSUTAYAで初めて『軍事研究』を買った。
たしか中一か中二の時だ。
TSUTAYAができるまでこの街には個人経営の小さな本屋しかなくて、『軍事研究』のようなマニアックな雑誌は存在さえ知らなかった。
それまで買って読んでいた『航空ファン』に比べて圧倒的に「部内紙」感のある怪しい装丁(当時の『軍事研究』は表紙のカラーがなんか人工着色っぽい怪しい発色で艶もなかった)、圧倒的にマニアックな内容、どう考えても30年はセンスがずれている漫画のコーナーなど、手に取った瞬間に知らない広い世界が「ぬるん」と誌面から広がってくるような気がした。
あと『ムー』を初めて買ったのもこのTSUTAYAだったと思うし、二階のCDコーナーで初めてCDを買った。
1990年代から2000年代初頭の千葉県松戸市の外れでは、「ファスト風土」化はまさに福音だった、と言ったら言い過ぎだろうけど1000年前から変わらなそうなクソ退屈な世界を変えてくれたのはたしかだし、何より僕の生まれ故郷はここしかないわけで、だからファスト風土バカにすんなよな、と夜中に急に言いたくなってひとこと言ってみたわけです。
あと『人肉饅頭』借りたのもあのTSUTAYAだったわ。
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