わたしたちがマジョリティ
正月、巫女さんをやっていたら2歳くらいの女児に告白された。
何となくぎこちない笑顔で手を振って送り出した。
わたしは赤ちゃんや小さい子が苦手だ。
目を輝かせて赤ちゃんに対して可愛いと言う人の神経が分からない。
いやなんか可愛いとかいう次元じゃなくて危ないとか怖いとか傷付いたらどうしよとかはあるけど可愛いはまず出てこない。
まっすぐな目で見てくるんで気まずいとかはあるけど。
まあでもとにかく子どもは正直だからお姉さん大好きと言うからにはわたしをいい人間だと判断したのだろう。
たかが引いたおみくじを渡しただけだけど。
理科の先生が言ってた。
赤ちゃんが可愛い理由はどうしてか?
それは親がちゃんと育てるように、だ。
可愛い子どもと可愛くない子どもなら可愛い子どもの方が育てたいはずだ。
ちなみにわたしは可愛くない子どもだ。
かつ子どもを可愛いと思わないのでこの法則でいくと子どもを育てられない可能性もある。
子どもを作る気はない。
中学、高校でとてつもなくしんどい思いをした。
誰も自分のことなんか分かってくれないと思っていた。
だから自分だけはこの気持ちを忘れないように、これ以上こういう思いをする子どもがいなくなるように、と思ったので子どもに関わる仕事をしたいと思った。
子どもが好きとか勉強を教えたいというより、ただ関わりたい。
問題を何とかできると思わないけど、そこに関わってみたいと思った。
重松清の本が好きな理由はこれだった気がする。
当時の気持ち、これだった。
忘れてない大人が本を書いている。
重松清を教えてくれた国語の先生は子どもみたいにはしゃぐ元気な人だった。
教育学部だと教師になるの?と聞かれる。
笑って否定するのがお決まりになった。
小学校と中学社会の免許を取るのに教師にならない大学生は何人いるのだろう。
社会科の担任が好きだった。
いろんな会社を転々として教師になって初めて担任を持ったクラスの1人がわたし。
後ろから見守るのでみなさんで頑張ってくださいスタイルなのに、大事なときは学年全員の前で思い切り応援してくれたし、ここが勝負どころという場所で立ち止まって叱ってくれた。
思い通りにいかないのが好きだと言っていた。
不登校の子にアプローチする仕事をしたいと思ったのもこのときで、15年生きて初めて出会ったタイプの変わってるねじゃ片付けられない子と友達になれたのもこのときだった。
その子とは久しぶりに来週会う予定だ。
先生はわたしをマイノリティかもなと言っていた。
わたしはどこにいってもマイノリティだ。
普通ならいい言葉じゃないのかもしれないけど、わたしは嫌いじゃなかった。
その友達も多分マイノリティなんだと思う。
もっとそういう子と関わりたい反面、そういう子がたくさんいたらマイノリティはひっくり返るんだよなと思う。
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