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春の散歩

天気が良かったので、旦那さんとふたりで大きな本屋さんまで散歩をしてきた。
家の近隣には、大きな本屋さんが存在しない。
読みたい本を確実に買うのなら、少し遠くまで足を運ぶのが確実だと思う。
(このご時勢に外出が賢明なことだとは思わないが、通信販売だって、様々な倉庫や人の手を渡って対面で届けられるのだ。)

家からその本屋さんまでは、ゆったりと静かな住宅街を抜け、大きな公園の横を通り、また住宅街を抜けた先の商店街の入り口にある。

ひとの気配の少ないいつもの散歩道は、花で溢れていた。
花壇や庭先にたっぷりと植えられた、小さくてカラフルな花達や、延々と続く生垣の姫椿。
大きな大きな桜の樹が、風に吹かれて淡い色の花を散らす。
ところどころに濃いピンクの枝垂れ桜。

殆ど空と花ばかり見上げるようにして歩く私の手を引いて、旦那さんは黙々と歩く。
彼は、時々「この花は何?」と私を振り返って、立ち止まる。
私は「全部わかるわけじゃないんだよ。正解はあとで調べてね。」そう言って、その問いに答える。

「この紫の花は何?大根の花みたいだね。」
「ムラサキダイコン」
「今、テキトー言ったでしょ。」
「いや、今のはちゃんとテキトーじゃないよ。あるんだよ。ムラサキダイコン。」
彼は笑って、また歩き出した。

言葉遊びをしながら、ゆっくりと遠くまで歩く。
薄暮れの西の空に、針のように細い月と強く輝く金の星が見える。
私は小さな八百屋で買った土のついたネギの束を抱えて歩く。
片手はやっぱり旦那さんと繋いでいる。
旦那さんの反対の手には大きな本屋さんで買った本。

「今日の夕飯は何?」
「それは、当然、すき焼き。」
「なんで当然?」
「だって、桜が咲いたら食べる文化あるでしょ?すき焼き。」
「無いよね。」
「まあ、無いけど。あ、でも、ジンギスカンは食べるな。花見といえばジンギスカン。」
私達は北海道の友人を思い浮かべて、顔を見合わせて笑う。
桜の舞う帰り道は、少し肌寒い。

道中に咲いていたムラサキダイコンの名前をきっと嫁の冗談だと思っていたのだろう。
帰宅後、旦那さんは花の写真が並んだタブレットの画面を眺めて、また笑っていた。
「あるんだ、本当に。」
「あるんだよ、本当に。」
彼は、私が時々、思いつきでテキトーな事を言うのを楽しみにしているみたいだった。
存在しない虫の名前とか、存在しないカクテルの名前とか、存在しない詩人の言葉とか。
大体の場合、それを口にして私はすぐに、こう続けるのだ。
「まあ、無いんだけど。」
だから彼は、それがあることを知っている。




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