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日曜劇場『テセウスの船』を観る

こんにちは、東京スタジオのヤマケイです。


東元俊哉先生の漫画、『テセウスの船』がドラマ化!

というわけで毎週楽しみに観ています。

ストーリーは、平成元年に毒殺事件の犯人として捕まった父親について、息子である主人公が調べようとした矢先に、まさにその事件が起きる直前の時間へタイムスリップするという話です。


放送前に先生がイラストを上げてくださるのも、原作者がドラマを応援という感じがして安心します。


漫画は読んだのでオチも知っているのですが、あらすじをテキストで読んだ時よりも漫画のほうが面白かったので、ドラマもどういう風に動画として演出されるのか楽しみです。


タイムスリップものにありがちなパラドクス(過去を変えたら未来は変わるのか?別の平行世界が生まれるだけなのか?)をどうするのかなということの答えがある意味タイトルに示されているのかなと思って読み始めたのがきっかけです。

ある物体の全ての構成要素(部品等)が置き換えられたとき、基本的に同じであると言えるのか、というのがギリシャ神話「テセウスのパラドックス」と呼ばれるものですが、私たちは基本それが「無機物」であれば「復旧した」と言っている気がします。


でも、人間だったらどうでしょうか。

「Aという経験をしていたから今の自分があり、判断もそれに基づいている」のに、過去を変えると「経験していない自分」が出来上がるわけです。

私は小学生の頃、インフルエンザが風邪よりも怖い病気であるということだけを知らされていて具体的なことは何も知らなかったのですが、うっかりかかってしまったことがあります。

検査中ずっと「インフルエンザはいやだ」と思っていたのに、医者から「インフルエンザですね」と言われたときのショックといったらありませんでした。

当時、順番待ちで選びようがないことでも、「絶対に赤色のロープウェーに乗りたい!」など強く願ったことは叶っていたので「自分の神通力もここまでか…」とファンタジー脳を諦めた瞬間でもありました。

まあそのあとも何回かひくんですが…。

結果的に「世間で大流行している病に対して、何も対策しない自分」ということを避けるようになりました。

でも、もしもあのときインフルエンザにかからず、それ以降もかからない強い体を持っていたら「そんなに備えなくても、大丈夫じゃない?」と楽観視する自分が継続していたであろうことは想像に難くありません。

だから、世間で騒がれているのに何もしない人の気持ちもわかります。


ほとんどの人が、「今までの経験があるから今の自分がある」という部分があると思います。

だからこそ、「過去を変えたらどうなるのか」という点に魅力があります。

ドラマ版、観た人が最後に何を思うのか、楽しみです。


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ニイザト

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ヤマケイ