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少年の心


こんにちは

箱根駅伝を見ていて、襷を渡せることなく繰り上げスタートが起きた時、襷を渡した瞬間やゴールした瞬間にその場に倒れ込んでしまって担架で運ばれている姿をみると少し泣きそうになるようになった。角を曲がって、いるはずの人が、いるはずの場所にいないとか悲しすぎる。


小学生の頃はそんなに興味もなく、中高のときは年上のお兄さんたちが頑張って年始から走っているな、としか思っていなかったのに。

今では同い年、年下の人たちが箱根駅伝を走っている。もうそんな年齢になってしまった。


近くの大きい公園に行くと凧揚げをしているちびっこがいた。自分も昔遊んでいた遊具で遊んでいる少年少女も沢山いる。他の公園では老朽化の影響かかつての遊具が撤去され無くなっているものもある。

もし、今の自分がそこに紛れて遊んだらどんな目で見られるのだろう。とりあえず「なんだこいつは、大きい人が来たんだけど何?」そう思われるだろう。なぜなら自分であればそう思うから。たしかに昔そう思ったことがあるから。

人間は年相応の遊び方や遊ぶ場所があるのかもしれない。活発な大学生がオールでROUND1とかスポッチャとかで遊ぶように。


でも世の中には大人たちを少年の心や遊び心といったフレーズで煽る広告が溢れている。例えばムロツヨシの車のCMとか。ということは多くの人はずっとそういった少年の心を持ち続けているのかもしれない。

年相応の振る舞いが求められるのに、少年の心を持っている。そこにジレンマを見る哲学もありそう。

あー、凧揚げしてぇー。


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