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父。2⃣

父と駅で待ち合わせをした。
行く前に頓服を飲んでいった。

自分が話すべき内容。
予測される父からの言葉が容易に想像できて
怖くなった。

待ち合わせ場所に父が先に到着していた。
私はぺこりと会釈した。

いつもと同じ牛タン屋さんに行く事にした。

席について、父はビールを頼んだ。
私はバイクで来ていたのでソフトドリンクを頼んだ。

食べたい料理を一通り頼んで、
まずは私から父へ話を振った。

父は身体的にも年齢的にもガタがきていることから、
年内に退職することを目指していると言っていた。

それから、夢遊病があるという話から
中途覚醒があり、病院で睡眠導入剤を
処方されている話があった。

私は、その間ずっとタバコを吸っていた。
緊張していたから。

父にそれを指摘され、
これはOT(オーバータバコ)
だと伝えた。

そこで、父がODという単語すら知らないことを知った。​

※OT(オーバータバコ)は私が個人的に作った造語で、
OD(オーバードーズ)からとり、
ODしてしまわないようによくタバコを吸うことからきています。


そして。
私から本題の、元彼に関して付き合いの経緯から
今回の堕胎の件、
それから、今後どのように動いていこうと思っているか
説明をした。


父より、
「けじめをつけて、やりたいのなら足が出たとしても弁護士をつけた方が良い。」と言われたが
その出た足に関してサポートする発言は全くなかった。

これから動いていくにあたり、メールの㏄に父をつけても良いかと聞くと、それは了承を貰えた。


途中で、父よりこう発言があった。
「お前はIQが低い。」
「先を見通す能力、人間の言動や態度から察する能力が低い。」
と。



私は、薄々は気付いていたことを強く言った。
そして、判断能力についてはうつ病で脳がバグっているからであること

これは、言えた。


改めて、うつ病で私がどういう状況にあるのか説明した。
突然に身体が動かなくなり、仕事にも行けない日が度々あったこと。

前に父にツーリングに誘われた日は、
行きたくないからではなく、動けなくてそういう状況になった事を話した。

併せて、‘‘あの時はごめんなさい‘‘
そう父に伝えることが出来た。

しかし、あくまでも「ふーん。」とのみ返され、
「その後1人でツーリングにその辺まで行ったよ」と笑い話にされた。


そして、私と母の間にあった出来事を話した。
(虐待、家を飛び出したこと、シェルターに入った事、荷物を取りに行った時に家に入れてもらえずに、荷物をベランダから落とされた事)



母と父にされてきたことから
人が自分から離れていかれることに恐怖心が根付いていること。
だから、依存していて離れられなかったこと。

これは、言えなかった。


私含め、兄弟全員が精神的に蝕まれていることに関して、現時点で私が知っている兄弟の情報を父に伝えた。

‘‘これは、家のせい。環境のせい。‘‘
私は、あなたたち両親のせいであることの含みをもたせてはっきりと言った。

父は、「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。」

ただ、それだけだった。
それだけ。

みんなして、被害者面
悲劇のヒロイン


こっちが叫んでやりたい。
責任もって育ててくれよ。
こうなったのは貴方たちのせいだよ。
ケアしてくれよ。
貴方たちが作った種を
作ったのであれば、ちゃんと管理しろよ


父より、今の私の生活状況や経済的な状況は聞かれることが無かった。

「生活保護が一番良いね。バイクに関してはうまく出来るよ。」

ただ、それだけ。
なんなんだ。もう。

私が今後1人でやっていくことに関して手を差し伸べられることは無かった。

私は、父に藁にもすがる思いで伝えた。
後から思うと、こんなものに縋るもんじゃなかった。

大学に母から一切の援助なしで奨学金を借りて自力で行ったこと。
入学金の30万も、小論文を提出して合格を貰ったこと。
20歳で家を飛び出し、当時の彼の家を借りて1人で全部やってきたこと。
そこから就職し、自分で家を借りて自立したこと。


‘‘よく頑張ったね‘‘
‘‘凄いね‘‘

なんて言葉を少しでも期待していた私が馬鹿だった。
自分が傷つくだけなのに。分かっていたのに。

そんな私の頑張りや努力が認められるような言葉は一切なく、
「ふーん。」
ただ、それだけで終わった。


ーー代わりに?
父から一緒に住まないかと提案があった。

父は、退職後、ブラック企業から追われる可能性が高い。
私は、元彼のこともあり、なるべく早く引っ越したい。

あくまでも、利害の一致。

でも、それは、私が父の老後を見なくてはならない可能性が大いに出てくる。

家賃、光熱費は出さなくてもいいにしろ、
1~2万程度家に入れて欲しいかも、とあった。
場所の指定は父からあった。

それが、元々私が幼少期の頃に住んでいた地域で
私にとっては嫌な思い出しかない。
それも嫌だった。

もしもの話で一緒に住むのであれば、
私から以下の条件を提示した。

・家に誰も入れない
・私の出入りが楽なように、玄関に一番近い部屋が私の部屋になる間取り
・私の出入りに関しては干渉しない。帰らない日は連絡する
・お互いの部屋には入らない
・お互いの部屋が角々になる間取り
・料理・洗濯は別々で行う。

以上を提示した。

父からはURの物件が良いといい、探し始めた。携帯で。
その時だけは、会話のキャッチボールができた。

それが、全てを物語っている。




私は
妊娠の時から相談して、何もレスポンスもなく、
堕胎の時も駆けつけてくれることもなく、
その後休職することになったことを伝えるも、
2か月ほど何の連絡も寄こさない。

私との溝を埋めるような姿勢が見られない。
私のことを認めてくれない。
今回会ったことでそれがよく分かった。

私のことを介護要員として利用してきそうな気がする


以上のことから、きっと一緒に住むことはない。
というか、出来ない。
したくない。
もうこれ以上、振り回されたくない。


私はこれからも
両親とは壁を作り
1人でやっていくだろう。

大丈夫。今までと何も変わらない。
私はわたし。
あの人たちとは違う。

これからも、私は1人でやっていく。


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